年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

何回目の退院か?

2013-05-31 00:00:00 | Weblog

 刑の執行を満期にて迎える受刑者と面接をすることがこのところ増えている。刑期中の素行不良、生活態度規律違反でもあれば、仮釈放を取り外される。仮釈放で出所ともなれば保護観察所などと連携しながら再びの実社会に緩やかにテイクオフできようが、満期ともなれば、着の身着のままで放り出され、しかも住むところ食べるものも保証されていない空間へ放り出されることになり、事件の起きぬようふたたび矯正施設へ舞い戻ることのなきよう指導していくことになるけれど、そこは道徳心でもって指導することでもなく、経済的に自立できる最低限のラインを模索することになってくる。物質的なものの確保から精神的な余裕を編み出そうとする当たり前の支援になる。

  人は保守的なものだろう。日本国内どこに行って暮らしてもいい。どのように暮らしの糧を得ていくのか、自分で判断し決定していけばいいけれど、やっぱり住み慣れた場所へ帰りたがる。

 帰住先はどこか? 一応○○方面です。そこには一緒に事件を起こした人がいるのではないか? ハイそうです、しかし会いたくありません・・・  逢ったらどうする・・ しかしよその土地で仕事を探すとなると地理がわからないし不安ですから・・・住む所は? あてがありませんが親元には帰れないですし帰りたくないです・・じゃどこで夜露をしのぐのか? ちょっと知り合いがいるのでお願いしてみようかと思っとります。

 これが仮釈放者であれば全国100数箇所の更生保護施設の受け入れ先に余裕があれば引き取ってくれるが、満期釈放者にはこれも限度がある。ゼロからもう一度やり直したいといくら頑張っても何もなく野に放り出される不安が付きまとう。

 午前中は満期釈放者と差向っての面接。これが終わり、一人暮らしの母親の所へ行くと、さっそく用事が・・・夕方弟が退院するから、とのこと。本日も微熱続きで頭がもうろうとしているので、代わりに妹に行ってもらうことにした。91歳の母親は、シャカリキになって、指示をしてくる。医師と本当のところは退院などしてもいいものかどうなんかとか、聞いてくれとか

 退院しても帰る場所があり食べ物が確保される現状を見れば、刑余者に比べると幸せな方かも知れない。 5月も今日で終わり。


今日も同じ

2013-05-30 00:00:00 | Weblog

 微熱が続いている。体温計で測ってみると先日の8℃まではいかないが、7℃前後を上がったり下がったりしている。家にある置き薬を片っ端から開けて飲んでいるけれど痰が止まらない咳が止まらない。

  

 ナンチュウ試合をしているのか・・・ブルガリアを相手にちょっとなめトンのちゃうか。

 


一日中布団の中で過ごす

2013-05-29 00:00:00 | Weblog

 熱が下がらない。今回は熱との勝負・・と対決したい思いから安易に病院に行かないと考えた。

  昔からのスタイル、冷やすことと汗を出すことで急場をしのいでいこうと思った。布団に横になり目を閉じればいつのまにか、ウトウトとまどろみ夢の中に入る。先ほどの夢は、自分の小学生時代の夢ではなかったか・・友達の顔ぶれから見ると。むろんその後、お会いしたことがないけれど、昔は一緒によく遊んだ友達であった。今は何をしてるんやろうか。

1~2時間もすればまたしても目が覚める。シャツが汗で濡れているので着替える。そしてまた水を飲んで横になる。その繰り返し。


しどろもどろで

2013-05-28 00:00:00 | Weblog

 

 あかんあかん。熱が上がっておる。とうとう8℃4分まで行った。どないしょか、きょうの仕事は満期釈放者に再犯の道に走らぬよう就職する方法や住む場所を探す方法など教える仕事があるし。こころ塾ではスタッフミーティングがあるし、夕方は中国吉林省からやって来た金さんとアポを取っているし、どないしょか・・・

 結局最初の一つだけフ~フ~云いながらやっつけたけど、後はキャンセル。自宅に帰り、冷やす道具がないので代わりに冷凍庫から肉や先日搗いたお餅などの冷凍したものを袋に入れてタオルに巻いて、頭の前後腋や大腿部の根元のリンパが通っている所にあててガンガン冷やした。随分気持ちよくなって眠ってしまった。起きると12時近かった。


とうとう熱が

2013-05-27 00:00:00 | Weblog

 梅雨入りとなった。確かに空を見上げれば鉛色した雲や墨を落とした雲が東から西に向かって流れている。この雲の上はぎらぎらした太陽があるのだろう。梅雨が明けるとまた暑い暑い夏がやってくる。

  土曜日の夜が蒸し暑く窓を開けっぱなしにして寝た。明け方寒さを感じたが、とうとうそれが原因か熱が出た。7度6分でも体が重い。


暑いと・・・

2013-05-26 00:00:00 | Weblog

  蚊が飛ぶ季節になった。夜中にブ~ンと耳元に襲撃してくる蚊がいる。ついつい去年から仕舞うことのなかったスプレー缶で一吹きシュ~ッと辺り一面に吹きかける。フト、窓を開けっぱなしにしていたことを思い出した。昨夜は暑かったので、ガラス窓を網戸といっしょに開けて寝ていた。

 だから、今日は調子が悪い。咳が出る痰がでる。熱っぽい一日何もできず。久しぶりの風邪引きか。

  昨日は母親とであったが今日は妻と実家での片づけのために出かける。自分は動くと身体がゾクゾクしてくる。横になり新聞を広げると、おやおや精神科医の金澤先生がうつ病と診断されている人が実は、適応障害と誤診しているなどと私どもに教えてくれていることを発表していられるではないか、次のページをめくるとアララ、同じ町内の愛大教育学部の山本先生が現行教育制度について前加戸知事と賛否に分かれて出ているではないか、次のページ、これまたTさんのご主人さんの松大の先生が地域活性化について書かれているではないか・・・

 そしてスポーツの欄を見れば今夜はガンバ大阪との試合がニンジニアスタジアムであるとか、3男に聞くとチケットを二人分買っていて、すでに完売しているからもう席はない、などと言っておる。3男とお嫁さんの二人で今夜は行くらしい。たまに地方紙を見ると、やはり身近な記事が多い。


良い人へ

2013-05-25 22:00:12 | Weblog

 良き親であろうとして  

 良き父であろうとして                                       

 良き男であろうとして

 良き友人であろうとして

 良き隣人であろうとして

 良き仕事人であろうとして

 良き社員であろうとして

 良きカウンセラーであろうとして

 少しは意識しながら 歩いてはみたものの

 良き息子であろうとすることに 少しは面倒くさくなり

 かといって、悪しき息子になる気にもならず

 明日が20年目の父親の命日につきお墓へ母親を連れてお墓参り

 

 


今日は何をしゃべろうか

2013-05-24 17:33:48 | Weblog

 毎回の刑務所講話の日。何も偉ぶってお話するような内容は、残念かな持ち合わせていないし、考えも浮かばない。・・・が、これも自分の仕事の内。朝起きてからいつものようにPCの前で骨子を打つ。

 

  お題 「初夏」

 1)蛍のこと

  ・自宅近くで今年初めて蛍を見た。

・長男夫婦が帰省し、お嫁さんが掌のホテルを「熱い」と思った。

恐怖はどのように自分の体にしみこんでゆくか→幼児体験で親が蛇が嫌いであれば子供にも伝わる?ヘビが嫌いでもウナギは好き?ゴキブリが嫌いなのにどうしてビールのつまみの柿の種は口に入るのか?(私のボーイスカウトでの体験の話)

昔大変いやなことがあって、それから嫌いになったことがないだろうか

   大きいゲンジ蛍、小さいヘイケ蛍

  →蛍はなぜ光る?

ホタルはお尻を発光させることによって、仲間に自分の居場所を知らせるなどのコミュニケーション。日本にはゲンジやヘイケ蛍など約40種類いる。大きく明るい光を出すのがゲンジホタル。ゲンジホタルは卵、幼虫、成虫と一生を通して光る。

産卵からふ化するまでに約40日、水中の幼虫(ようちゅう)の間が約265日、さらにサナギの姿で約40日のあと、成虫となってからは約7日間の命しかない。

夜、光りながら飛んでいるゲンジホタルはほとんどがオス。メスは草や木の葉にじっととまって、小さな光を出している。光り方には、プロポーズのための光、刺激された時の光、敵を驚かせるための光の3種類あると言われています。

アメリカの蛍は同じ仲間と見せかけて違う光を放ちメスを食い殺す蛍もいる、詐欺のような蛍。

ホタルのお尻に近い部分に、黄色く見える"発光器"というものがある。その中には"ルシフェリン"という発光する物質と、発光するのを助ける"ルシフェラーゼ"という酵素がある。この2つの物質と体の中の酸素が反応して光を出す。

蛍の光は最近「癒し」があり人気が出ている。

 2)蛍には思いで多いものがある。  アニメ:「火垂るの墓」野坂昭如 

1945年(昭和20年)、清太は神戸三ノ宮駅構内で衰弱死した。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には、妹節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。

太平洋戦争末期、兵庫県御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は65日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。

当初は共同生活はうまくいっていたが、戦争が進むにつれて諍いが絶えなくなる。そのため2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。清太は、畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら生き延びる。やがて日本が降伏し戦争は終わった。敗戦を知った清太は、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。

節子の状態はさらに悪化し、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走るが、既に手遅れで、幼い妹は終戦の7日後に短い生涯を閉じた。節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を後にして去っていくが、彼もまた栄養失調に冒されており、身寄りもなく三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死ぬこととなる。

 3)戦争による悲惨さ

  戦争は勝った方も負けた方も悲惨な結果になる。

  私の母親→引き揚げ→兄弟の戦死→内地の暮らし→家族が離れ離れの生活→何もないところから出発

  アメリカベトナム戦争の話、毛利君の少年自衛隊からアメリカ軍の友人からの手紙 愛する人、家族に再び会うためには、敵を倒さね 

  ばならない。

 4)悲惨な状況からどのように脱出するか

  今後、出所してどのように社会復帰してゆくか

 再びの例 友人T君の話 60歳まで学校教員で最後が校長 訳があり求職し、65歳の今交通警備員となる。厳しいと本音を言ってく 

 る。仕事が厳しいのは当たり前。生活を守るのに命を懸けることは珍しいことではない。

 T君の問題。知識を教えることと体を張って安全を守ることの違いは?

  5)人と仕事には、適材適所という言葉がある 

 仕事を探すのはハローワーク、知人、身内、雑誌など

 いずれも長所と短所がある。

 知人であれば・・身内であれば・・雑誌からの応募であれば・・・

 一番良いのはハローワークでの求職活動。理由は支援制度があること。事業主との間に入ってくれる担当者がいること。

 

でもハローワークは近寄りがたい、いやだという人が多いようだ。

→なぜか? 敷居が高いから・・ なぜか?

 6)人に会う自信 自分のウリをどれほど持っているか、持っていないのではなく気が付かないだけではないか

 何も自分のことを知らないからではないか、自分の強みは何なのか、逆に弱みは何か・・

 自分の強みである武器を持っていけばよい。そのために相談員がいる。

 ハローワークの利用の仕方について説明

 

人間関係について

 上司との関係 (注意された時の対応)

 同僚の中に溶け込めない(人ごみに入るときの対応)  


病院へ

2013-05-23 00:00:00 | Weblog

 

 母親と弟の二人は、身体の調子が悪いとなるとすぐに病院へ駆け込むことになる。それが日替わりのメニューのごとく、お互いに順番に入院退院することがこの数年の間の行事になっている。今は弟の番。今回はトイレに行こうと歩いていく途中に二人で倒れたこと、咳が一日中止らないために検査すると肺炎だと診断されたことで、嫌がる弟も入院することになった。弟のいない家で一人住む母親も気になり毎日病院へ顔を出したい様子ではあるが、足腰が思うようにならず行くに行けない。当然ストレスがたまることになる。また弟の方もなんやかんやと母親から身の回りのことを指示されることを嫌いあつかましがっているようではあるが、一人でお箸を持って食事することが困難につき、スプーンで幼児のように口にゆっくりと、しかもこぼしながらご飯を口に入れるので弟も母親の介助を欲しがる。だから、いたたまれなくなるのか、母親の方も食事介助の手と指示する口が同時に動くようになることが日常である。考えてみれば、これが逆になっているのが通常だろうと思う。63歳の弟が91歳の母親の食事介助をしたり身の回りの世話をする光景が普通に考えられる。でも全く逆の老老介護状態。弟の身体も長年にわたる透析生活のために、腕に作ったシャントが数か所あり腕がボコボコ、足などは骨と皮だけで筋肉がない。

 これら二人を妻と私と妹の3人がお互いに連絡しながらカバーしている。で、今日の午後仕事中の私のケータイに母親から電話が入った。今日は仕事してるのか・・・今から病院へ連れて行って欲しい・・・と。この病院といってもよく聞いておかないと、母親の病院か、それとも弟の入院先か行先不明のことが今までもたびたびあった。しかも母親のかかりつけの病院も大学病院に始まって、近所のM医院、T病院、隣町のK医院、さいきんは整形外科にも行っているので我が家近くのM整形と5か所あり、今日はどこに行きたいのか、はっきりしないと間違うことになる。今日は弟の病院だとか。弟の入院先は、3人がカバーしているからOKであるけれど顔を見たいのだろう、夕方連れて行くことにした。車の中で母親は、自分の年も考えず弟に対して、いつまで生きているかわからないから好きなようにさせてやりたい・・と母親は云っていた。

 振り返ってみれば、当時こちらにいなかった私に代わり、元気なときの弟が身体の弱った父親の日常を母親と二人で面倒見ていたので自分も弟に対しては借りがある感じではある。

 5月26日が父親の命日になる。父は76歳で亡くなった。


ストレッチ

2013-05-22 00:00:00 | Weblog

 筋肉のこわばりから背や肩や腰はたまた神経痛から足のふくらはぎの痛みと足の痺れが慢性化している。何とかしなければと考える。そこで気になりつつ時々しかやらない柔軟体操やらストレッチを風呂上りや朝の時間に10分くらいやっている。

 ところが先日やってきた孫のW君が、ランニングを趣味とする父親のストレッチを自分も見て覚えているのか、上手にいくつかの種類をこなしていた。腰や足や太ももの筋肉を父親が日ごろやっていることを私にお手本を示す如くやっているので、びっくり。きっと身体能力の高い子供になるだろうと楽しみである。

 一方、W君の母親は運動方面はからっきしダメらしい。走ることも苦手、無論水泳なぞとんでもないこと。だから、W君のオカァさんは私に似ず父親に似て欲しいと云っておった。でも私は運動音痴であれ金づちであれ、人間味豊かな人をたくさん友人に持っているし、またスポーツ万能ではあるが面白みのない知人もいるので、ウ~ンと云ったとこらだろうか。

 何とかこわばっている自分の筋肉を柔らかくしたいと思っておる。そうすれば痛みもグンと抑えることができるだろう。