備忘録として

タイトルのまま

タシケント

2016-08-09 23:00:35 | 

ウズベキスタンの日中の気温は、35℃ほどになり大変暑いのだけれど、日本の夏やシンガポールよりも過ごしやすいような気がする。それは湿気がなく乾燥していることだけでなく緑が豊かできれいだからだと思う。オアシスとはまさにこのような土地のことを言うのだろう。中央アジアの旅の余韻が抜けず手元にあるシルクロード関係の本を読み漁っている。

シルクロードやインド関係の本を読むとかならず7世紀に玄奘三蔵が歩いた場所に出会う。そんなとき『大唐西域記』を紐解くのである。玄奘三蔵の『大唐西域記』は、大書店のPC検索でも古本屋でも見つからなかったので結局アマゾンで平凡社の中国古典文学大系22の分厚い古本を購入した。本の状態を心配したが新品同様で水谷真正成による訳本は、脚注、写真、地図、参考文献が豊富で単なる訳ではなく大唐西域記の研究書になっている。

今回行ったウズベキスタンの首都タシケントにも玄奘は立ち寄っていて、赭時国(石国)の巻として国の様子を記録している。

赭時国(タシケント)は周囲千余里で、西は葉河に臨んでいる。東西は狭く、南北が長い。産物・気候は笯赤建国(スージカンド=タシケントの東200余里)と同じである。城や邑は数十あるが、それぞれ主君を別にいただいている。全体の君主もなく、突厥に隷属している。これより東南のかた千余里で怖捍国(怖は本当は”りっしんべん”に市=フェルガナ=大宛国)に至る。

産物・気候が同じだとする笯赤建国は、”土地は肥え農業を十分に営み、草木は繁茂し、華や果は非常によくできる。葡萄が多く、これも貴ばれている。”とあり、脚注には”隋書石国伝は粟、麦、良馬を産する”と書かれている。今のタシケントにはチルチク川という川が流れていて、玄奘の言うタシケントが今と同じ場所にあったとすると葉河とはチルチク川ということになる。

タシケントの川

井上靖『遺跡の旅・シルクロード』によると、タシケントはウズベキ語で石の町という意味だという。玄奘が石国と記録したことに符合するので昔から石の国と呼ばれていたことがわかる。昔は石の城壁で囲まれていたらしいが井上靖の訪れたとき城壁はなかった。井上靖はよほどタシケントが気に入ったようで、以下のように絶賛している。

町はこれが中央アジアの町であるかと思うほど、明るく整然と造られた近代的大都市である。いつまでも昏(く)れない夜の町の感じは全く南方的で、出歩いている人の多いところはアテネなみであり、開放的な感じはハワイのようでもあり、広州のようでもある。私たちはホテルで久しぶりでうまい夕食を摂った。大きなどんぶりにはいったスープもうまいし、野菜もソ連へはいってから初めてありついた野菜らしい野菜であった。食後の苺(いちご)の味もいい。私たちはこの散歩でタシケントの町が街路樹で埋まっていることを知った。ちょっとした広場には必ず噴水が造られてあり、花壇が配されてあった。

井上靖が泊まり周辺を散歩したというタシケントホテルは、今回私の泊まったホテルやチムール像からは少し離れているが、50年前に井上靖の見た町の良さは今も変わっていないと感じた。もしかしたら、”土地は肥え農業を十分に営み、草木は繁茂し、華や果は非常によくできる。葡萄が多く、これも貴ばれている。”という7世紀の玄奘が見た町の様子とも変わっていないのではないだろうか。

下は地方都市で昼食を摂ったチャイハナと呼ばれるレストランで、井上靖によると”チャイはお茶、ハナは家の意味で、文字通りお茶を飲む休憩所である。京都の鴨川の床の如きものが木で組まれてあり、絨毯が敷き詰めてあって、その上に細長い座布団様のものが敷かれ、老人たちがそこに上がり込んで茶を飲んでいる。紅茶と緑茶が出た。緑茶は日本の緑茶とまったく同じである。サムサという肉饅頭も出る。”と解説してくれる。私もお茶とサムサを食べたがこれが大変美味なのである。チャイハナの天井は葦簀になっていて冷たい蒸気を出している。座敷に上って昼食をとり、お茶を飲みサムサを食べると、心地よくてそのまま居座り(居眠りをして?)午後の仕事などどうでもよくなる。

井上靖がタシケントに行ったのは昭和40年(1965年)58歳の時だった。それが最初の西域旅行で、その後、井上靖は昭和55年の73歳まで毎年のように西域を訪れる(『遺跡の旅・シルクロード』の巻末情報なので、この本以降も訪れている可能性が高い)。すごい執念である。私は西域を再訪できるだろうか。

今日8月9日は、シンガポールの51回目の建国記念日で休日である。ウズベキスタンの旅で溜まった仕事を片付けながら、リオオリンピックの録画放送を横目で見て日本選手の活躍を応援した。大会4日目で萩野400mメドレー、大野将平の柔道、体操団体の金3つである。 体操団体は予選の出だしが悪かったし、銅メダルをとった重量挙げの三宅宏実は腰痛ではらはらしたが、重圧を跳ね返した勇気と精神力に感動した。しばらくは応援に熱が入る。


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