備忘録として

タイトルのまま

古事記

2009-11-21 12:23:33 | 古代
 東京行きの飛行機の中に、梅原猛訳「古事記」を置き忘れたのは8月のことだった。となりに座った小学生が、羽田に着陸すると同時に飛行機酔いで激しく嘔吐したことに気を取られ、読んでいた古事記を前のポケットに入れ忘れた。
 ちょうど倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東国遠征からの途次、都を前にして死んでしまう箇所を読んだところだった。古事記のクライマックスで、命が死んで白鳥となり飛び立つ件だった。
 「鳥は、古代日本人にとって、霊魂の使い、死霊そのものであり、死者の世界と生者の世界とを結びつけるものであった。」ということを柳田國男と折口信夫は実例をあげて示したという。(梅原猛著「赤人の諦観」)
不思議なことに外国でも、白鳥は死と関連して語られる。白鳥が死ぬ間際に歌うという”swan song”という言葉が、人間の最後の作品を指すという。Oxford dictionaryによると、”the final performance or activity of a person’s career. — ORIGIN suggested by German Schwanengesang, denoting a song fabled to be sung by a dying swan.”とあり、もともとはドイツの伝説によっている。辞世の句や歌、遺作なども白鳥の歌ということになる。
 庄司薫の「白鳥の歌なんか聞こえない」を読んだのは高校のことで、莫大な蔵書を持つおじいさんが、その知識とともに死んでいくことに、人生の虚しさを覚える薫くん(虚しさを感じたのは彼女のゆみちゃんの方だったかも?)に(共感?)影響されて、大学に入った直後の一時期、目標を見失い虚無的になったことを思い出す。柴田翔の「されど我らが日々」や、先日亡くなった原田康子の「挽歌」や「殺人者」をその頃読んだのもその延長だったと思う。挽歌とは死者に手向ける歌のことで、万葉集に挽歌が多いことは以前書いた。ような気がする。

 今思えば、虚無的になることと”ぐうたら”は紙一重だった。若いうちはいろいろあるからね。とわかったようなことが言えるのも、生き様、死に様をいっぱい見てきた歳になったということか。だからといって、歳を取っただけで人生がわかるはずもないし、死ぬ瞬間においてもわかるとは思えないけど。

 古事記から脱線してしまった。
ANAに電話して古事記を取り戻すのも面倒だし、もう一度同じ本を買う気にもならず、結局、古事記を中途半端にしてしまった。そのかわり、梅原猛の「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」を買った。宮崎と鹿児島の神話の故郷をめぐる紀行だったが、はっきり言って面白くなかった。というより梅原猛の想像力についていけなかった。津田左右吉が古事記の大半をフィクションとしたことに反発するかのように、神話の一部始終に史実を当てはめて考えるのだが、この本での梅原はやりすぎだと思う。梅原猛の本は、彼特有の想像力や発想力に基づく奇抜な解釈が面白いのだが、根拠が明確であるからこそ面白いのであって、根拠の希薄な空想ではただの陳腐な紀行本になってしまう。松本清張や黒岩重吾の古代物のレベルになってしまっていた。同じ紀行本でも以前読んだ東北紀行「日本の深層」は面白かった。これは、私自身の九州と東北に対する愛着度の違いによるものかもしれない。

 ところで、テレビの「不毛地帯」が面白い。親父は戦時中満州に開拓団とし入植し、そこで召集され、二十歳で終戦を迎えシベリアに3年抑留されている。主人公の心の拠り所が戦友会であるように、人づき合いがいいとは言えない親父が満州時代の戦友が集まる会には毎年参加している。ところが、親父から満州やシベリアの話は聞いたことがない。戦争中の話に水を向けたこともあったが、聞いてはいけないことがあるかもしれないという遠慮もあり積極的に話をうながさなかった所為か、無口な親父の口は重かった。それにしても、商社の世界は生き馬の目を抜くというがテレビの商社マンも厳しそうである。東南アジアで会ったことのある商社マンは自信家ばかりであまり付き合いたくない人が多かったが、プライベートで会った商社マンは普通の人ばかりだったので、あたりまえだけど仕事とプライベートはちゃんと使い分けているようだ。

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