備忘録として

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阿育王事蹟

2014-08-31 01:35:32 | 仏教

『阿育王事蹟』は、森林太郎(鴎外)と大村西崖がアショカ王の事跡をまとめたものである。国会図書館のホームページからダウンロードした。書体は古い(明治時代?)ので読みにくいが何とか理解できる。本はアショカ王の残した摩崖、石柱、石窟に刻まれた銘文(法誥)をすべて訳出している。

【壱 前紀】 紀元前2000年ごろインドに進行したアーリア人種から出た釈迦族、アレキサンダー大王による征服、カースト制の最下層民スードラ階級から出たチャンドラグプタがマウリア朝を開き、その子ビンビサーラを継いだ3代目アショカ王(阿育王)までのインドの歴史を概説する。

【弐 摩崖】 インド各地7か所で発見されているアショカ王が遺した摩崖(大石の表面を磨いて文章を彫ったもの)の翻訳を示す。各地の摩崖にはほぼ同じ内容の14章からなる法誥文が刻まれている。右から読む古い梵字で書かれている。

  • 第1章 ”この法誥(ダルマ)は天愛善見王(アショカ王が自称した名)の命に依りて刻せらる。”から始まり、生き物を殺すなと記す。
  • 第2章 領土内いたるところに薬草を植え、道路に植樹し泉を設けた。
  • 第3章 我が諸侯や役人は通常の政務に加え、ダルマの実践を命じる。父母に従い、友人、親族、バラモン、仏教徒に仁であることは善である。生命を重んじることは善、ぜいたくや暴言を避けることは善である。
  • 第4章 天愛善見王は即位12年に不殺生、法(ダルマ)の実行を宣する。アショカ王の宣したダルマとは有情残害(感情があるもの、すなわち生きとし生けるものを殺害すること)の禁止、親族に礼儀正しくつつしみ深く、バラモンや仏教徒を敬う、父母に従う、目上のものに従順であること。
  • 第5章 善を行うのは難しいのでダルマを守る役人ダルマ大官を置く。ダルマ大官は庶民の幸福を守る。
  • 第6章 役人は庶民にかかわる政務を速やかに自分に報告すること。報告を受けた天愛善見王はいかなる時でも速やかに指揮命令する。これを刻む理由は自分の子孫も同様にダルマを実行してほしいからである。
  • 第7章 天愛善見王は様々な宗派の人々がいっしょに住まうことを願う。十分の仁を為しえずとも、欲を伏する徳、心の清浄、知恩と真実は常に賞すべきである。(この章の意味をあまりよく理解できなかった。察するに、信仰度合いは人それぞれ異なるが、その志は賞されるべきということか)
  • 第8章 天愛善見王は即位10年に菩提に入り、ダルマを実行することになった。
  • 第9章 ダルマの作法は不朽であり、現世で成就できなくても他生(あの世)で功徳を得ることができる。
  • 第10章 天愛善見王はダルマの実践のために名誉と声望を求める。解脱は貴賤を問わず無上の精進と完全な捨離(我執を去ること)で達成できる。
  • 第11章 ダルマを実践するものは現世と後世に無窮の功徳を得ることができる。
  • 第12章 他の宗派を尊重すること。
  • 第13章 天愛善見王は即位8年インド東部カリンガ国を征服したとき、15万人を奴隷とし、10万人を殺害し、その数倍の民衆が死んだ。自分はこれについて深い悲痛と悔恨を感じている。
  • 第14章 この法勅文は天愛善見王の命により各地に刻まれた。国土は広大なので各地の文は必ずしも同じではない。

【参 石柱】 インド各地で9基の石柱が確認されている。それぞれの場所、大きさ、形状、柱頭、保存摩耗状態、刻文(法誥)の内容が写真や図とともに詳しく述べられる。釈迦生誕の地ルンビニーに阿育王が建てたルミンデイの石柱は雷のため上部は地に倒れ(下の絵)柱頭は鈴形部のみ残るが、石柱表面に彫られた刻文は完全に残っている。玄奘三蔵はこれを見て、「四天王太子を捧げたるストゥーパの側、遠からずして大石柱あり、上に馬象を作る、無憂王の建つるところなり、後、悪龍の霹靂のためにその柱中折により地に仆(たお)る。」と『西域記』に記録している。『西域記』には他に7つほどの石柱について記述がある。法顕も『仏国記』に石柱を見た場所と高さや柱頭や文様のあらましを伝えている。ところが、二人とも刻文についての記述がない。筆者(森鴎外ら)は梵字が古体であったため二人が読めなかったからではないかと推測する。また、二人の記録から、現存する石柱以外にも寺院、伽藍やストゥーパの由来を刻した石柱が数多くあったことを知ることができる。高さは20~70尺(6~20m)で柱頭には現存の獅子、象、馬のほか牛や法輪があったこともわかる。下図は鼻の欠けた象の柱頭と獅子の柱頭。

【肆 灌頂】 阿育王の即位時のことが書かれている。阿育王は世嗣でなかったため長兄のスーマナを始め兄弟99人を殺害して即位したという伝説があるが、摩崖文に即位13年の時点で兄弟がいることが記されているので、伝説は必ずしも正しくないとしている。また、即位年は、他国との交渉記録から紀元前269年と推定する。年代が判明しているエジプト王プトレマイオス、シリア王、マケドニア王らとの交渉が摩崖文に残り、それをもとに年代を類推したものである。即位年齢は在位年数などから、20歳という伝説を採用せず、25.6歳から30歳のころであったろうと推定している。また、仏教に帰依するまでは、無理難題に随えなかった諸臣500人を自ら殺したとか、自分の好んだ無憂樹の枝を折ったとして女官500人を虐殺したとか、城外に地獄をつくって人々を幽閉したことや、愛欲に溺れKamashoka (Kama Sutora+Ashokaの造語)と呼ばれたなどが伝えられている。しかし、これは後世仏教の功徳を誇張するための作為だろうとする。阿育王が仏教に帰依したのは、カリンガ征服の惨状を見たからであることは摩崖文第13章に書かれたように明らかである。

【伍 帰仏】 阿育王が仏教に帰依した理由は、仏の教えを愛したか、仏教徒の性行を喜んだか、法に名を借りて人心を収攬しようとしたか、審らかにはできない。しかし、カントも言うように、「人の行為の動因は不可知なり」とすれば、王がまさに法を愛したということを否定する理由はないと筆者は書いている。(ここで筆者の言を自分なりに解釈すると、”人の行為の動因”=カントの言う”物自体”=本質であるから不可知である、さらに不可知を経験で正当化できるとすれば、経験から類推した王の心の中を否定する理由はないということになる。阿育王が仏教に帰依した理由にカントを引き合いに出す必然性はないと思うのだが、おそらく森鴎外の時代、カント哲学が相当流行っていたのだろう。) 阿育王は仏教に帰依したが他の宗教に寛容であることは前述の摩崖文に見える。

【陸 建塔】 阿育王は仏教に帰依してのち、ブッダの骨を納めた8塔のうちラーマ国のストゥーパを除く7塔を開き、8万4千に分骨し各地に新しくストゥーパを建立した。筆者は8万4千塔は誇張だろうとする。

【質 区域】 阿育王が統治する地域は石柱などの分布から全インドに及ぶことは明白だが、記録に残る阿育王の征服戦は前述のカリンガとの戦いのみである。王の威光により全インドが服属したものであり、1回の兵勝と多年の法勝によるものと言える。服属していないのはセイロンのみであった。

【捌 治績】 阿育王は仏法をもって国を治めた。民をしてダルマを行わしめ善行により現世と後世に功徳を得る。民を子と思いその幸福を願い、自分を父と思わしめ、一切の有情の生を重んじてその安固を願う。このような真実の至情による高尚な治道の理想は他に類をみないと筆者は絶賛する。

【玖 所信】 仏教が民の教育そのものであった。

【拾 結集】 阿育王が結集を行ったことは南伝にあり刻文にも北伝にもない。仏教の興隆に反しその他の宗教の信徒は困窮したため仏教徒を装うものが出て仏法が乱れる。その後、阿育王の処置で仏法の乱れが正され結集が行われる。(結集=経、論、律の三蔵をまとめた編集会議、ブッダ入滅後五百羅漢が集まり結集したのが第1回、仏滅後100年ごろ第2回結集、アショカ王の時が第3回)

【拾壱 布教】 ブッダの頃の仏教は中インド地方に広まるに過ぎなかったが、アショカ王によってアジア全域に広がった。筆者は「阿育王の広宣久住の功は教祖仏陀のこれを開ける徳と並べ称するも復た殆ど過褒に非ずと言いつべし」と絶賛している。

【拾弐 巡礼】 阿育王は在位中、インド各地にある仏跡を巡り塔や石柱を建立する。

【拾参 眷属】 妃や世子の伝説が主体で特筆すべきものはなかった。

【拾肆 晩年】 阿育王の刻文は即位27年で終わるので晩年のことは阿育王経と阿育王伝に依るしかない。晩年は最後の布施の話が中心となる。

【拾伍 芸術】 阿育王の石柱やその時代の建造物を豊富な写真を使い解説しているので森鴎外と大村西崖のどちらかはインドを歩いたに違いない。アショカ王の遺物・遺跡の芸術について202ページから233ページまで約30ページを割いている。

【拾陸 後紀】 マウリア王朝は紀元前183年または178年に滅ぶ。その後、大乗仏教のナーガールジュナ、玄奘や義浄のインド訪問などの仏教関連事跡を中心に解説し、19世紀まで下りビクトリア女王がインド帝の称号を兼ねるところで終わる。

巻末には阿育王年表、和英両方の参考文献、索引、正誤表、法誥文の原文(梵語?)を載せる。

森鴎外は『渋江抽斎』で抽斎の周辺を細大漏らさず調べ書き留めているように、本書でも阿育王の事蹟を細大漏らさず収集し記録している。森鴎外は小説家だが森林太郎は学者だということがわかる。学術論文ともいえる本書を読むのに時間はかかったが、アショカ王の遺跡はインド各所にあるのでインド旅行に持参する価値はある。


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