備忘録として

タイトルのまま

羅漢

2008-02-17 13:53:28 | 江戸
今月初めスノボの7人が遭難し2日後に発見された広島のスキー場は”恐羅漢(おそらかん)”という名だった。羅漢とは、”悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人”(大辞林)、”釈迦如来の直弟子をいい、正式には阿羅漢と言う。尊敬・布施をうける資格を持ち悟りをひらいた高僧を言い、十大弟子・十六羅漢・五百羅漢が代表的な存在”(どこかの寺のホームページ)、”仏の別称。後には仏弟子を指す言葉となり、声聞と同義とされた。中国や日本では、正法を護持することを誓った弟子達であると解釈し、直弟子に十六羅漢、さらに第一結集に集まった五百人の弟子を五百羅漢という”(曹洞宗関連用語集Livedoor Wiki)
聖徳太子が道後温泉を訪れときに立てたという伊予湯岡の碑文に、”実相五百之張蓋”(五百羅漢が五百の衣笠をさしているように思われる)という一節があり、五百羅漢は法華経に典拠があるのだそうだ。(梅原猛”聖徳太子”での福永光司の訳)

石見銀山の五百羅漢(写真)には昨年11月に行った。写真の橋の左手の岩をくり抜いた石窟内に五百羅漢像が並んでいたが、写真撮影は禁止だった。喜怒哀楽様々な表情の羅漢さんだったので、羅漢とは煩悩をかかえて仏に救いを求める一般衆生だと思った。前述のような悟りを得た釈迦の高弟とはとても思えなかった。

(島根県太田市のホームページより転載)

石見銀山の概要を一応述べておくことにする。
地下深くマグマで熱せられた地下水が周囲の金属成分を融かしながら地層の割れ目に沿って上昇し地表近くで冷やされ固まり鉱脈を形成したもので熱水鉱床という。
石見銀山の間歩(まぶ)とは鉱脈に沿って掘り進んだトンネルの跡である。
精錬には、まず採った銀鉱石は鉛とまぜて焼き不純物を除き鉛との化合物を作る。その後灰吹き法という灰と混ぜて化合物を焼くと鉛だけが灰とくっつくので銀を取り出すことができる。
石見銀山は佐渡金山などと同様、戦国時代から江戸時代にかけて盛んに採掘された。





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