備忘録として

タイトルのまま

セイロン

2014-08-25 03:49:04 | 仏教

Hatred ceases not by hatred but by love (憎しみは憎しみによって止むのではなく慈愛によって止む)

これはセイロン(現スリランカ)のジャヤワルダナ首相が、1951年サンフランシスコで開かれた対日講和会議で各国に呼びかけた演説中のことばで、セイロンはこの講和会議で日本に対し賠償請求権を放棄し、他の会議参加国の多くが同調する。サンフランシスコ条約によって連合国と日本の戦争状態(第2次世界大戦)が終結し、日本は国際社会に復帰する。当時の吉田茂首相はジャヤワルダナ首相には感謝の言葉もないと言い遺しているらしい。鎌倉大仏内に元首相の顕彰碑が立っているらしい。このジャヤワルダナ元首相(のちに大統領)の話は、スリランカ人で日本国籍を取得した社会学者でタレントの”にしゃんた”さんのYahoo Newsで知った。

上のことばは下のブッダのことばに由来する。ジャヤワルダナ首相は敬虔な仏教徒であった。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。  『ダンマパダ』(中村元訳『原始仏典』より)

中村元『古代インド』第11章にセイロンの歴史がまとめられている。

セイロンに仏教が本格的に渡ったのはやはりアショカ王の時だったようである。紀元前3世紀にアショカ王の子マヒンダがセイロンに派遣されたとき、修行僧を伴い仏教を確立した。この仏教はもっとも保守的な上座部仏教であった。セイロン王はミヒンタレーに石窟寺院を建て、ブッダガヤーの菩提樹の枝をもってきてアヌラーダプラ霊場に植えた。この菩提樹は現在世界最古とされている。同じころ、アショカ王からブッダの骨をもらいうけたセイロン王はトゥーパーラーマ塔を建て中に骨を納めた。伝説によるとブッダはセイロンを3度訪れ、その3回目にケーラニア河畔にあるケーラニア(Kelaniya)寺院に留まったとされる。ジャワルダナ元首相は2006年94歳で死去し、コロンボ郊外の聖地ケーラニア河畔で火葬にふされ本人の希望により遺灰は川に流された。ブッダは、死に臨み弟子のアーナンダに”私の遺骨にかかずらうな”と遺言する。ジャワルダナ元首相はブッダの遺言を知っていて散骨を選んだのではないかと思う。アーナンダらブッダの弟子たちはブッダの意に反し、遺骨を分配しストゥーパを建てて安置し長く供養する。

その後、セイロンの仏教はマハーヴィハーラ(大寺)において保守的な上座部仏教が、それから分派した進歩的な諸派はアバヤギリ・ビハーラ(無畏山寺)において発展した。紀元前1世紀のセイロン王はアヌラーダプラに大塔と九層の布薩堂を建て、その式典に諸外国の使節を招いた。5月の満月の日の祭りであるVesak祭りはこのときに始まる。4世紀のマハーセーナ王はこれら仏教を保護するとともにその頃セイロンに伝わった大乗仏教を大寺内に建てた祇園寺において保護する。410年から412年までセイロンに滞在した法顕は僧徒5000人が無畏山寺で行う仏歯祭りのことを仏国記に記している。7世紀、玄奘三蔵はシンハリ国で仏教が盛んだと聞き、海を渡って行こうとするが、ちょうど国が乱れ仏教徒がインドに逃れてくるのに出会い、シンハリ国へ行くことを断念する。南インドの金剛智(671~741)と不空(705~774)の両人は同じく7世紀に無畏山寺を訪れ国王の歓待を受ける。その後両人は中国に真言密教を伝える。中国に伝えられた真言密教は空海によって日本に伝えられる。

スリランカの住人の多くは今も仏教徒であるが、インドでは仏教が滅んでしまった。中村元が書いているインドで仏教が滅んだ理由は以下のとおりである。

  1. 仏教はもともと合理主義的で哲学的な宗教であり、一般に受け入れられにくい傾向があった。
  2. 仏教は呪術・魔法のようなものだけでなく、古くからインドに根付く民族宗教であるバラモン教の祭祀も排斥した。
  3. 伝統的なカースト制度に反対し、人間は平等であると唱えた
  4. バラモン教に帰依している一般大衆から離れ、独善的・高踏的(お高くとまる)ようになった。
  5. 僧侶は民衆から離れ、寺院の奥で瞑想するか学問するだけになり、民衆の苦しみに寄り添い救済する精神に乏しかった。伝道精神に欠けていた。
  6. 仏教教団は王侯貴族の寄進で運営され、大衆に働きかけることをしなかった。
  7. 320年成立のグプタ朝では、仏教を弾圧し、仏教教団への支援がなくなり仏教は急速に衰えた。
  8. 王侯からの支援がなくなり、仏教は大衆に迎合するようになり、呪術などの当時の民間信仰を取り入れ経典読誦の霊験・功徳を称揚する密教が興った。
  9. 飲酒や姦淫を認めるタントラのような変容が仏教を堕落させた。
  10. 在俗信者と密接な関係を構築しなかった。すなわち、日本のように家庭生活の内部に宗教的儀礼を持ち込まず、民衆を積極的・組織的に指導しなかった。
  11. イスラムによる徹底的な破壊を受けた。

左より、スリランカの国旗、インドの国旗、インドの国章

不思議なことに、スリランカにはライオンは生息していないが国旗に獅子が描かれる。さらに不思議なことに、仏教が衰退したインドの国旗に、アショカ王石柱に刻まれた転法輪(説法)が描かれる。初めて説法したサールナートが初転法輪であり、仏足石にも法輪が描かれている。インドの国章はアショカ王がサールナートに建てた石柱の獅子柱頭であり、この台座にも転法輪がある。


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