備忘録として

タイトルのまま

子規庵

2010-12-19 18:45:29 | 近代史

先週の”坂の上の雲”で子規が死んだ。ので、昨日、根岸の子規庵へ行ってきた。狭い子規庵に10組ほどの60前後の夫婦がひしめいていたが、同じ理由で来た人たちだと思う。

糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

痰一斗糸瓜の水も間にあはず

をととひのへちまの水も取らざりき

子規が死んだのは明治三十五年九月十八日で、上の絶筆3句を色紙に残したことから糸瓜忌という。写真撮影禁止だったので上の絵葉書を買った。六尺の病室から見た子規の天地と糸瓜(ヘチマ)の絵葉書だが、昨日も糸瓜棚からヘチマがぶらさがっていて、ほぼこの写真と同じ景色だった。机には曲がらなくなった足を入れるために四角い切れ込みがある。この六尺間で子規が激痛に泣き叫び、妹の律や母八重に悪態をつき、律が1時間かけて包帯を変え、”病床六尺”(前半後半)を書き、弟子たちと俳句を論じたと思うと胸がいっぱいになった。脊椎カリエスの膿のみちを示す人体図も強烈だった。

松江の小泉八雲邸も子規庵と同じような広さで八雲の使った机や小さな庭と作品の展示があり、子規庵とほぼ似たようなものだったが、松江時代の八雲には子規のような壮絶な出来事がなかったためか特に感慨もなく、拝観料の300円を高く感じた記憶がある。しかし、八雲邸は松江城下のよく整備された武家屋敷地区に立派に保存されているのに比し、子規庵のまわりのホテル群はなんとかならなかったのかと思う。子規庵程度では街は守れないということか。

鶯谷駅近くの豆腐の”笹の雪”で昼食に豆腐コースを食べた。豆腐はどれも美味だった。

今日の”坂の上の雲”はいよいよ日露開戦だ。

昨日、Jack Nichlsonの”About Schmidt”2002年を借りて観た。監督:アレクサンダー・ペイン、出演:ジャック・ニコルソン、ジャック・ニコルソンはいつもと違い毒気のない役で、まわりの人間のほうが変人に見えたから不思議だ。定年退職して自分と周囲の人間との関わりが表面的だったことや周りの人間の軽薄さに気付く。本当の自分を殺し周囲の軽薄さに適当に自分を合わせて人間関係を繋ぎとめるやりかたは、ずっと家族や友人や会社の同僚に対してやってきたことの延長でしかない。結局、人に頼られない孤独や本当の自分をわかってもらえない孤独は、生きる価値や人生の意味にも関わるのできつい。最後に毎月22ドルの支援金を送っている会ったこともないアフリカの少年からの便りに救われる。人生の後半戦に入っているので考えさせられた。★★★★☆


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