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先憂後楽(せんゆうこうらく)

2023-06-15 14:43:12 | 日本社会

先憂後楽(せんゆうこうらく):常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。北宋の忠臣范仲淹(はんちゅうえん)が為政者の心得を述べた言葉です。以下文はウィキペディア、新古今集巻七賀・仁徳天皇御歌、日本書紀(一部のみ読んでいます。)等々を参考にしています。

 

昨今のグローバル化(固有の歴史、民族、文化等を否定)を強引に推し進める日本、どう考えても世界の流れとは言え、日本の歴史、文化等にそぐわない様に思います。メディア、知識人と称する人達等々は何かと日本の歴史を自虐的に報道、捉えられがちですが1300年前、日本では天皇の民を思う任政(恵み深い、思いやりのある政治)が行われています。

天皇は「民を大御宝(おおみたから)と呼んでいます。」、当時を世界から見たら、王侯等々が民を思う心なんて考えられない、信じられないことです。この民を思う心、気持ちは令和となった今も天皇、皇室に受け継がれ国民から慕われる源になっていると思います。これらは天皇、皇室と世界の王侯等々との大きな違いだと思います。

 

「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ、民のかまどはにぎはひにけり。」

(高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっており、民の生活が成り立っていることをうれしく思う。)

この歌は仁徳天皇の故事にちなむ歌と言われ、新古今集巻七賀歌巻頭、延喜6年(906)の日本紀竟宴和歌に詠まれています。聖武天皇(701年~756年)作とも言われ、架空の諡号(帝王等の貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことで、贈り名を意味します。)として仁徳天皇にしているとも言われています。

仁徳天皇(第16代天皇、313年~399年)は即位されて4年目、高台にのぼって見渡されました。

すると家々から炊事の煙が立上っておらず、民は炊事が出来ないくらい貧しい生活をしているのだと気づかれました。

以後、3年間課役(民に税を課すことで、租と庸調があり租は地方財源、庸調は国財源)などを免除しました。課役が入らないため経済的に苦しくなり天皇の服、履物等は破れても使用、宮殿が荒れ果ててもそのままで生活されていたとも言われています。

3年後、天候も安定、農作物が採れるようになり民は豊かになり高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見え、民の生活は豊かになりました。それを見て天皇は喜ばれ、自分はすでに富んだと言われました。

皇后は、私達の住んでいる皇居の垣は崩れ雨漏り、どうして富んだと言えますかと問いました。

すると天皇は、昔の聖王(徳があり立派な政治を行う王・君主)は民の一人でも飢え寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。

今、民が貧しいのは自分も貧しいのだ。民が富んでいるのは自分も富んでいるのだ。

未だかつて民が富んで、君主が貧しいということは無いと答えました。

やがて天皇に感謝した多くの民が諸国から天皇に多くの申し出をし、3年も課役免除したため宮殿は朽ち壊れていました。民は豊かになりましたので、もう税を取り立て宮殿も修理して下さい、そうしなければ罰があたります。それでも天皇はまだ我慢していましたが、3年後に認められ民は宮殿づくりから始めました。

人々は命令でもないのに宮殿作りの手伝い等に精を出したところ短期間で宮殿が出来ました。民は天皇を聖帝(ひじりのみかど:徳の高い天子、天子を敬っていう語)とあがめるようになりました。

日本の天皇は初代の神武天皇以来、民を大御宝(おおみたから)と呼んでいます。

この言葉は、民は奴隷として搾取する相手ではなく宝として大切にするということで、当時の海外の王侯等から見たら考えられない、信じられないことです。仁徳天皇はその後も民を思う心、気持ちで政治を行い土木工事、困窮者の救済、病者慰問、孤児や寡婦を扶助したと日本書紀にも記されています。

仁徳天皇の有名な土木工事

河内平野の水害を防ぎ、開発を行うために難波堀江の開削、茨田堤(大阪府寝屋川市)の築造(日本初の大規模土木事業)

山背(京都)の栗隈県(くるくまのあがた、京都府城陽市西北~久世郡久御山町)の灌漑用水整備

茨田屯倉(まむたのみやけ)の設立

和珥池(わにのいけ、奈良市)、横野堤(よこののつつみ、大阪市生野区)を築造

灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡)を掘削、田地を開拓等々・・・

仁徳天皇の治世は仁政(恵み深い、思いやりのある政治)として知られ、仁徳の漢風・諡号もこれに由来するとされ、先憂・後楽(せんゆう・こうらく:常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむ。)です。先憂・後楽、この言葉は中国・北宋の忠臣范仲淹(はんちゅうえんん989年~1052年、字は希文、諡は文正)が為政者の心得を述べた言葉と言われています。

日本では古来から天皇は民を慈しみ、民は天皇を敬愛して天皇と民が家族的な感情で結ばれた状態を理想としてきたと思います。仁徳天皇の漢風・諡号を考えたとも言われる聖武天皇は、民の為に大仏殿を建立(743年10月~757年12月の期間を要しています。)していますが大仏建立に多くの民は、一木一草(いちぼく・いっそう:1本の木、1本の草、極めて僅かなものの例え。)の寄付をして大仏建立を手伝っています。

古来から天皇が多くの民を奴隷のように扱ったと言うのは無いように思います、もしあったとしても天皇が利用されたと言えそうです。日本は世界から見たら極めて恵まれた自然のみならず、天皇の下、任政が行われており世界でも稀有な恵まれた国であったと思います。天皇制は日本の国体そのもので、世界の理想像を示しているかも知れません。

 

これまでの新型コロナパンデミック、ウクライナ問題対応等々、余りにも目に余るものがあり、日本を司る人達は、仁徳天皇、上皇上皇后両陛下の歌を詠み心に留めてほしいものです。

上皇上皇后両陛下・御歌

「波立たぬ世を願ひつつ、新しき年の始めを迎え祝はむ」 

「生きているといいねママお元気ですか、文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る。」

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