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二宮尊徳の心

2015-05-07 18:38:19 | 道徳等
江戸時代後期の代表的日本人、二宮尊徳(にのみやそんとく)、またの名を二宮金次郎、過去日本人等に与えた影響は、はかり知れないものがありますが、昨今では名前が出てくることは稀です。海外の国でも二宮尊徳は見習うべき大偉人として語り継がれていると言われています。
 
非常に貧しい農民出身で、家の農作業を手伝うために、朝から晩まで働きました。働くだけで、字も読めない人間にはなりたくないと考えた彼は、仕事の合間に・・・また薪を運ぶときに・・・または仕事が終わったあとに本を読みました。
 
深夜、油に火をつけて、その明かりで勉強しましたが、叔父は彼のその姿を見て、貴重な油をそんなに使うとは何事だ!勉強などして何の役に立つものか!と叱ったと言われています。当時は農民には勉強などいらないと考えられていました。
 
二宮尊徳は、そのために勉強を一時中止し、川の堤防の上に持ち主が分からない土地を見つけ、そこを開墾し油菜のタネを撒きました。休日のすべてを油菜栽培のために捧げた結果、一年の終わりには、大俵一俵の菜種を得ることが出来たと言われています。
 
彼の一生懸命の労働への報いとして、自然が与えてくれたと言う事が出来ると思います。その油菜のタネを製油場に持っていって数升の油と取り替えてもらいました。この油でランプを点し、勉強することが出来ます。叔父に面倒をかけることなく、自分の勉強が出来るようになり大変喜んだそうです。
 
自然は人の正直な一生懸命な勤労に対して真実に答えてくれることを学んだと言われており、自然はその法則に従う者に対し、豊かな恵みをもって報いてくれる!天地を経文すると言っています・・・天地自然は最高の教科書となりました。

*音もなく、香もなく、常に天地は見えざる経を繰り返しつつ*
 
この悟りは、彼の人生の大きな原動力となったと言われています。彼は一生懸命勤勉に働き、34歳のときには4町歩あまりの地主(当事の農民は、庄屋さんから借りている小作農ばかりで地域にもよりますが、平均1反~2反程度・・・4町歩は40反以上の農地となると思います。)になりました。
 
その手腕を大名、幕府等に買われ、貧しい農村の復興事業をまかされ、大きな成果を上げ、農民の生活向上に繋がりました。

 誠を尽くして生きる所では、天地も共に動く・・・これは彼の信念でした。こうして、各地域の村を「勤勉」と「仁術(じんじゅつ:他人に対する思いやりの心)」とによって復興、繁栄をもたらした二宮尊徳は、士農工商階級の人々に大変尊敬されたと言われています。農民のあいだに不満がつのり、どのようにしてもそれを抑えることができない一時期、二宮尊徳は、天は、誠の心の足りない私を罰しておられるのだと言い、21日間、寺(成田不動)にこもって断食をしたと言われています・・・それは民を導くために、なお多くの誠の心が与えられるようにとの祈りだったと言われています。

二宮尊徳の、この天への祈りは、無名の神への祈りと言う事ができると思います。
その神への誠の心は、古来より多くの日本人の根底に流れる崇高なな精神性を表していると思います。

「勤勉」と「他人への思いやり」、現代日本人が忘れてはならない言葉だと思います。
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