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池江璃花子(いけえ りかこ )、未来への夢・希望、感動

2021-04-05 21:45:23 | 日本社会

以下文は主にウィキペディア、スポーツ新聞等々を参考に記しています。

 

今日、世界は新型コロナ・ウイルス感染で暗いニュースばかりですが今、日本・世界に新しい感動のドラマが生まれました。白血病と言う難病から立ち直り見事に東京オリンピック、競泳代表入りの切符を手にした池江璃花子(いけえ りかこ )さん、単なるサクセス物語でなく、私達に家族、人との絆、夢・希望を持つことの大切さを感動と共に強烈に与えていると思います。

池江璃花子さん・21才、東京都江戸川区出身の競泳選手で専門はバタフライと自由形です。(バタフライ・Butterflyは、競泳の泳ぎ方の一つで両腕は同時に前後に動かし、両脚は同時に上下に動かして泳ぎ、腕・脚ともに交互に動かしてはいけません。 日本では水泳選手を中心にバッタ、バタ等略称が用いられているようです。)

4月4日 競泳日本選手権競泳の東京五輪表選考会を兼ねた日本選手権2日目が4月4日、東京アクアティクスセンターであり、女子100メートルバタフライ、決勝では白血病(血液のがん)から復帰した池江璃花子(21)さんが57秒77で優勝、400メートルメドレーリレーの派遣標準記録(57秒92)を突破、リレーメンバーとしての東京五輪代表入りを決めました。

電光掲示板を確認した池江さんの目にみるみる涙があふれ、今までのつらかったことが、あの一瞬ですごく思い出された。ここまで戻ってこられたんだと・・・感情を整理するように時間を置いてプールサイドへ上がると、また顔を覆い、代表を争ったライバルたちが悔しさを脇に置いて次々と池江を祝福したそうです。

今年2月末の東京都オープンでのタイムは59秒44、特にバタフライは体力消耗が激しく、池江さん自身もこの種目で戦えるようになるのは先のことと苦戦を覚悟していたそうです。4月3日の予選、準決勝と泳ぐたびにタイムは縮めていましたが、五輪切符は難しいとの見方が大方のようでしたが、予想を覆しました!

決勝では、準決勝まで苦しんだターンをスタートからのドルフィンキックの数を変えることで調整、後半に向けて体力を温存する策も的中、残り25メートル付近でトップ、タイムも57秒台まで引き上げえいます。本人曰く、何が起こったのか、気持ちの整理がつかない・・・神懸かり的なレースだったようです。

白血病との戦い、この2年間の歩みは苦難に満ちていたでしょう。女子自由形とバタフライで次々と日本記録を塗り替え、東京五輪の主役と目された天才スイマーが白血病を公表したのは2019年2月、長い闘病生活に入った池江さんにとって五輪どころか、人生そのものが根底から揺らぎ、絶望、苦しく辛い日々が続いたと思います。

2020年3月にプールに戻った時点で体重は約15キロ減、スタート台から満足に飛び込むことができず、チームメートと練習すると誰にも勝てなかったと池江さんは述べています。

東京五輪は1年延期、池江さんは、これからが第2の競技人生、目標は2024年パリ五輪と明言していました。

西崎勇コーチからも、先ず3食をしっかり食べることと言われていたそうです。地道な復活への歩みが、一度は諦めた東京五輪を現実にしました。この快挙は多くの白血病(老若男女、約1万3789人:2019年2月現在)で苦しむ人達にとって図り知れない大きな夢・希望を与えるでしょう。

過去を振り返ると16歳で出場した2016年リオデジャネイロ五輪では、100メートルバタフライで5位、池江さんはこのタイムでは世界と戦えない。更なる高い目標を目指すと言っていました。

身長171cm、リーチ(水平に腕を広げ両手の先から先までの長さ、一般的には、身長=リーチ)は186、足のサイズは26.5cm、ルネサンス所属、個人種目11個とリレー種目5個、計16種目の日本記録を保持しています。恵まれた体は元航空自衛隊戦闘機パイロットで身長190cmの父親・俊博さんから受け継がれたと思います。

母方の祖父は岐阜県郡上郡白鳥脚町(現在の郡上市白鳥町)出身のようで度々、郡上市を訪問するなど縁が深いこともあって2018年郡上市スポーツアンバサダー(親善大使)に就任されているようです。

小2の時、理由あって父親との生活(母・美由紀さんは、今も璃花子さんを応援、アドバイス、見守っているそうです。)となりますが、以降は父親との二人三脚で世界の頂点を目指されてきたようです。父親の俊博さんは毎日の食事はもちろんのこと、全国の会場に足を運んでビデオ撮影し、2人でフォームをチェックするのを日課としていたそうです。出費を抑えるため、車中泊もしょっちゅうだったようで、父・母親の献身愛が後にスイマーとして開花させたと思います。

好きな食べ物はチョコレート、レースの直前や合間にも食べていたが、2016年の欧州遠征時に塩浦慎理さんから運動直前の糖分摂取によるインスリンショックの可能性を指摘され、大会中は我慢する様になったようです。食事は魚介類、特に貝類は苦手で海外遠征では現地の食事や飲み水が体に合わずしばしば体調を崩すため、非常に苦労していたそうです。

恵まれた体・・・リーチが186cmあり、171cmの身長に対して108%です。懸垂をトレーニングに導入し、3回位が限界だったそうですが、現在は毎日10回×2セットをこなすようで、筋力アップ、更に肩関節の可動域が広がったことでリーチが伸びたと言われています。

リーチが長いことで有名なマイケル・フェルプス(米国・男子)の105%(身長193cmでリーチ203cm)、メリッサ・フランクリン(米国・女子)の104%(身長185cmでリーチ193cm)と比べても驚きます。

長いリーチを生かした大きなストロークが武器でその回数は成長とともに減少していました。

一例として100mバタフライのストローク数は、2015年1月の45から2016年には40に減少、50m自由形、2014年に44だったストローク数が、2016年2月には37まで減少しています。

100m自由形でのストローク数は71、これは男子選手の平均値である73を下回っています。

元競泳選手の萩原智子さんは、池江さんのストローク数の少なさを、彼女が腕を2回転させている間に、周りの選手は3回転させていると表現、1ストロークごとにより遠くの水をつかみ、押し切ることができており、その事が水の抵抗が少ない泳ぎとも繋がっていると分析しています。

萩原さんは、疲労がたまるレース後半には必ずしも有利に働かない長い手足を、池江さんが16歳にして使いこなしている点に着目、それだけの体幹や筋肉、柔軟性がある証拠とし体が水面に良く浮いており、抵抗が少ない泳ぎであることを証明していると述べています。

同じく元競泳選手の伊藤華英さんは、池江さんの泳ぎを見たことがない泳ぎ方、見た感じ楽そうというか、どこに力が入っているのかなという泳ぎと表現し、首に力が入らないで脇の下を使いながら楽に水をつかんで後ろに持っていく作業ができていると指摘し、水の中を滑るように腕も足も一体となって泳いでいるとその特異性を評価しています。池江さんの特殊な泳ぎ方のルーツは、幼少期の鉄棒や雲梯(うんてい:ぶら下がり用の長いはしご)にあるのではないかと推測していますが、池江さん本人はその事に関して否定的であるそうです。

 

自宅の風呂場で水中出産で誕生した水の申し子、3歳から水泳を始め、5歳のときにはすべての泳法で50mを泳げるようになっています。中学時代に身長が15cm以上伸び、170cmという堂々たる体格・・・元航空自衛隊のF-4EJ・戦闘機パイロットの父親・俊博さんは身長は190cm、池江さんの恵まれた体格、夢・希望を持ち続け、難病を克服した不屈の精神等々は二人三脚・父親の影響も大きいと思います。父親・俊博さんは全日本曲技飛行大会でも優勝の経験があります。(写真はJAC・日本曲技飛行協会HPの大会情報欄・参加選手にあります。)

卒業したばかりの中学校では、お転婆な一面があったそうです。海外遠征の成果か、英語の聞き取りと発音は優れていたそうです。給食では毎回おかわりして、皿に溢れるほどおかずを盛りつけていたそうで、ハンバーガーが余ったときは、男子にまじってジャンケンに勝って嬉しそうでした・・・(小岩第四中学校・茅原直樹校長)、女子高生時の好きなタイプは俳優の佐藤健と公言、親から女子選手は戦闘モードに入りづらくなるから、現役中は恋愛禁止とクギを刺されていたそうです。

厳しい新型コロナ・ウイルス感染下の世界・日本、まじかに迫った東京オリンピック、池江璃花子さんの活躍が世界・日本中の多くの人達に夢・希望、感動を与えると思います。

先ずは「密」を避けた聖火リレー沿道応援を!


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