極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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東北の復興、人との絆、夢・希望

2021-04-09 18:31:49 | 日記

以下文は主にウィキペディア、ディビッド・ゴールドブラット著・オリンピック全史(原書房)等々を参考に記しています。

 

私達の日常生活の今後が予測できないような新型コロナ・ウイルス感染拡大等、世界の報道等を見ると、海外は日本と違い感染者数、犠牲者数は大きく余談を許さない状況のようですが、幸い日本は世界から比べたら国内メディア報道等と違い、国の策が功を奏し、世界でも感染者、犠牲者も最小と言われています。新型コロナ・ウイルスで一番影響を受けているのは、日本の可笑しな憲法同様、日々真面目に働いている人達、弱い立場の人達の経済的な問題だと思います。

昨今、感染拡大に伴い、まん延防止等重点措置等が講じられるようですが、国民の多くは個人の人権は何より優先、感染収束は最優先で・・・この発想は矛盾ばかりです。政府対応策等に強制力が無いと効果は限定的で、漁夫の利を得ることは難しいと思います。感染拡大を止めないのは全て政府が悪いと言う幼稚な発想、呆れるばかりです。

新型コロナ・ウイルス感染の封じ込めに成功している台湾を見た場合、その根底にあるものは憲法、法律等々であり、強い強制力を行使しています。これほど明白な事実を無視する幼稚な野党、メデイア等々・・・日本の良策も所詮お願い程度の策に過ぎないと思います。特に新型コロナ・ウイルスの経済に及ぼす影響は甚大で、状況によっては想像以上の極めて厳しい現実、結果を覚悟しなければならないと思います。現時点で新型コロナ・ウイルスの感染をほぼ克服しているのは世界で、唯一か国中国です、素人なりに調べると克服する術の宝の山です。何かと中国に否定的な日本も学ぶものが多々あると思います。

感染拡大を封じ込めるには強い強制力で封じるしかないと思います、絶対に新型コロナ・ウイルスを甘く見てはなりません。日本が新型コロナ・ウイルス感染の封じ込めが失敗等した場合、新型コロナ・ウイルスの本質を分かっていない幼稚な野党、メディア、知識人と称する人達は一斉に菅首相、政府の策が失敗、政権退陣等々と、更に声高々に喚(わめ)き散らすでしょう。

政府の対応諸策を完全に守られたならば台湾のように大きな成果をあげるでしょうが、最後の肝の部分がお願い程度では厳しいと思います。どうして感染防止策等々が成果が上がらないか答えは明白です。世界を見ても強制力なき諸策は無策に等しいことを世界が示しています。

念仏のようにワクチン様々と念じても、効果を見るには数年を要すると思います。一説では世界には7種類程度の新型コロナ・ウイルスの存在が予想されるとも言われています。人類歴史上、初めて使用する特殊なワクチンで過度な期待は禁物だと思います。

 

新型コロナ・ウイルス感染下で、7月24日に2021・東京オリンピック・パラリンピック開催を控えた日本・・・世界でこのような緊急事態等下でオリンピックが行われた例はあるかと調べてみると、世界で大きなウイルス感染による死亡者を出した1920年、スペイン風邪収束直前等のベルギー・アントワープ・オリンピック開催があります。

スペイン風邪は1918年~1920年にかけ全世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザです。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI:Pandemic severity index, PSI))では最上位のカテゴリー5に分類されています。(新型コロナ・ウイルスの場合、パンデミックと言う言葉は使用していますが、定義等の問題等があり、指数は使用していないようです。)、全世界で5億人が感染、世界人口(18億人~19億人)の約27%、死亡者数は5000万~1億人以上で人類史上最も死者を出したパンデミックの一つと言われています。

 

ベルギー・アントワーク・オリンピックは、1次世界大戦とスペイン風邪・感染症のパンデミック直後に開催されたオリンピックと言われていますが、スペイン風邪がヨーロッパで猛威をふるうなか、なぜ、ベルギーのアントワープで第7回オリンピック競技大会(第一次世界大戦の敗戦国であるドイツ、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、トルコは大会に参加することを禁止)が開催できたのでしょうか?

ベルギー・アントワープ・オリンピックは1920年夏、日本を含めて史上最多の29カ国、約2600人が参加したオリンピックです。その前回の1916年のベルリン大会は第1次世界大戦のため近代オリンピックで初めて中止されています。

当時、ベルギーは大戦でドイツに侵攻され、ベルギーの港町のアントワープの町並みには戦禍の跡があちこちに残っていたと言われていますが、開催決定から、わずか1年の準備期間、財政も厳しく競技会場の整備も十分ではなかったようですが、それでも大会は開催されました。

8年ぶりのオリンピックで、国際オリンピック委員会(IOC)は「人類の団結、世界の平和」をテーマに掲げています。この大会では開会式で初めてクーベルタン男爵がデザインした5大陸の団結を示す五輪旗が入場、掲揚、平和の象徴としてハトが放たれています。選手宣誓もこの大会から行われるようになっています。

大戦とスペイン風邪、荒廃したヨーロッパにあって、ドイツに占領されて甚大な被害を出したベルギー・アントワープで開催することこそ、オリンピックを復興の象徴、光明、未来への夢、希望を託し開催されています。

ベルギーはドイツとオーストリア等の排除を条件に開催要請を受け入れたと言われています。
1920年8月14日、完成間もないオリンピック・スタジアムに史上最多の29カ国(当時)が集い、国王アルベール一世が高らかに開会を宣言、クーベルタンは信じがたいほどの暴力の嵐が去り、オリンピックは再び始まったと喜びを表現しています。自らデザイン、1914年にパリの百貨店ボンマルシェで製作された白地に青、黄、黒、緑、赤の5色のつながる輪が描かれたオリンピック旗が初めて披露されています。

史上初めて、ベルギーのフェンシング選手、ビクトル・ボワンがユニホーム姿で選手宣誓、華麗な演出等は平和と復興を讃える祝祭として世界に発信され、多くの人達に夢と希望を与えたと言われており、ベルギー・アントワープ・オンピックは厳しい環境の中で開催された平和の祭典は成功したオリンピックと今も称されています。

開催には、前回の1916年の第6回ベルリン大会が第1次大戦によって中止、この大会も開催できなければオリンピック活動は足場を失い、霧散しかねない、是が非でも開催するとの強い意思はクーベルタンにあったようです。ベルギーは再建途上、財政に事欠き、人々の暮らしもままならない状況で、更に1年あまりの短い準備期間で準備もままならなかったと言われ、未完成の競技会場が多く、スペイン風邪流行直後にも関わらず衛生面の配慮も足りず、選手たちの不評をかったと言われています。何より、資金難による宣伝不足は市民、国民の関心を呼ばず、空席ばかりが目立つ大会だったようです。

そんな中でIOCはあえて五輪開催を決断、特に戦火のひどかったベルギーで五輪を開催することで、世界中で平和の喜びを分かち合おうと考え、ベルギー・アントワープの貴族たちも招致に動いたと言われています。国民の救済を優先するベルギー政府からの援助は乏しく、スタジアムは完成したものの、大会自体は深刻な経費不足、準備不足だったようです。その状況はディビッド・ゴールドブラット著・オリンピック全史(原書房)に詳しく記されています。

オランダチームは港に係留された船に押し込まれ、射撃の選手は大半が軍のバラックに泊まらされ、安ホテルは選手たちで大混雑だった。米国競泳陣はプールを土手に囲まれた水路に黒くて冷たい水をためたようなものとこきおろしています。スペイン風邪で未曽有の犠牲者を出したにもかかわらず、感染予防の対策は重要視されていなかったようで、今回の東京五輪とは大きく異なるようです。当時は流行が収束へ向かっていたこと、もともとスペイン風邪以外の病死率が今よりもずっと高かったという背景もあったようですが、当時は国のため戦って亡くなった大戦の戦死者の追悼や、戦災からの復興が大衆の最大の関心事だったようです。

この大会について、地元紙ド・スタンダールは特別観覧席は満員だったが、一般観客席はガラガラだったと報じています。1週間後に入場を無料としましたが、地元ベルギーが優勝したサッカーなどをのぞいて、観客は増えなかったと言われています。公式報告書では卓越した統率力をもって完璧かつ厳かにおこなわれたと総括していますが、地元のオンス・フォルク紙は公共の利益という点では失敗に終わったとも報じ、主催者側と地元の反応は乖離(はなれること。)していたと報じています。経費削減、紙不足等の影響でアントワープ市民に五輪について告知宣伝がほとんどされておらず、「何故、この時期に開催するのか、平和の祭典の意義」を理解している人は少なかったと言われていますし、入場料が一般市民には手が届かない値段に設定されたことも、大衆の無関心に拍車をかけたようです。地元の協力、一体感が得られなかったことが、大会運営にも大きく影響しています。

新型コロナ・ウイルス感染拡大下、世界的な災厄の収束が見えない中、2000年、政府、東京都は東京五輪の延期開催を決断・・・3ヵ月後に迫った2021・東京オリンピック・パラリンピック、昨今の世論調査では予定通りの開催を望む声は少ないようです。成功に導くのに最も必要なのは、国民の理解と協力、一体感でしょうが、東京オリンピック・パラリンピック開催は、東北の復興の願いばかりでなく、今後、人類が未知とのウイルスと共有しなければならないかも知れない未来のオリンピック・パラリンピックのモデルケース等々になると思います。東北の復興、人との絆、夢、希望を再認識する場となるのは間違いないと思います。開催、成功は東北の人達、私達ばかりでなく、多くの国々の人達にも前向きに生きるための大きな自信を与えると思います。

国立競技場に近い五輪博物館・日本オリンピックミュージアムでは2月末までベルギー・アントワープ大会の企画展が開催されていました。

新型コロナ・ウイルス下の世界・日本、暗い世界になってしまいましたが、2021・東京オリンピック・パラリンピック開催の意義を素直に考えることも大切だと思います。


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