極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

隣国=友好は別問題

2019-01-28 21:33:14 | 日韓

レーダー照射問題等々以降、多くの日本人は韓国を隣国と思わない、友好の必要なしが激増していると思います。何故なら、私達と道徳、価値、世界観も違いこのまま友好を進めることは日本の国益、国民益を大きく害すると理解したと思います。勿論、韓国内にも日韓基本条約等を理解し未来志向で、本当に友好を促進したいと言う韓国人の方も多くおられます。

以下文は今回の諸問題以前の記事を記しています。まだ発表されていませんが最新の対日、韓等では特に韓国側よりも日本側が大きく変わってくると予想されます。

 

日韓、一般成人の対日観は・・・Record China(2018.6.19)記事より

韓国の「東アジア研究院・韓国高等教育財団」と日本の特定非営利活動法人「言論NPO」は報告書「第6回日韓国民相互認識調査」を発表しています。同調査は2013年から毎年されており今年は5月19日~6月3日、日本と韓国の成人男女2014人を対象に行われています。
報告書では、日本に対する印象を「よい」と答えた韓国人の割合は、2016年は21.3%、2017年は26.8%、2018年は28.3%と毎年増加しています。他方、韓国に対する印象を「よい」と答えた日本人は2016年は29.1%、2017年は26.9%、2018年は22.9%と減少しています。日韓で好感度の逆転現象となっています。

「よくない印象」の理由として、韓国人(70%)と日本人(69.3%)の双方は「歴史問題」が1位となっています。

「よい印象」の理由として、韓国人は、日本人の親切で誠実な国民性(73.5%)、日本人は韓国文化に関心があるため(50.7%)が1位です。

現在の日韓関係が「悪い」と認識している韓国人は昨年に比べて10.8%減少し54.8%、日本人は17.1%減少し40.6%で改善しています。

問題押して竹島問題(日本38.7%、韓国82.1)、歴史認識・教育問題(日本54.7%、韓国78.1%)、日本軍慰安婦問題(日本42.7%、韓国73.5%)です。

東アジア研究院のソン・ヨル院長談・・・日本に多く訪問し、情報を得た韓国の20~30代の若い層の対日好感度が改善された結果としています。

言論NPOの工藤泰志代表は日本人が韓国を嫌いなのではなく、歴史問題などが原因で関係改善が難しいとみて関心が冷めたと分析しています。

 

韓国、中高生の対日観・・・

少し古いですが、以下文は昨今の諸問題発生前の2014年・日韓文化交流基金30周年の記念作文コンテスト入賞者(韓国語)の作文です。

韓国の中高生の若者達の一部が、日本に対しどのような対日観を持っているのかの・・・若者等の対日観一端を知ることができます。共通しているのはやはり隣国ということを大変意識していますし、近くて近い国になって欲しいという気持ちが現れています。友好・親善、総合理解は隣国のみならず、アジアの発展、欧米に対抗するにも必要であると記しています。原文を日本語訳されたものです。

 

「私が感じた日本」

 始興銀杏中学校 3 年 芮芝熙

日本という国は韓国にとって近くて遠い国だ。同じアジアあり地理的には近いが、情緒とその内面はまったく異なると言っていい。しかし、日本は韓国の隣国であるため、ほかのどの国よりも接する機会が多い。

私は今年の2 月に「アヤ」という同じ年頃の日本の友人に会うために大阪に行ってきた。私と同じ年頃だというので、期待でわくわくしたが、一方では外国人だという思いから緊張もした。ところが、アヤは私が思っていた日本人のイメージとは正反対だった。なによりも自分の感情と意思がはっきりとしていた。遠まわしにものを言ったり、ぐずぐずしたりすることもなく、積極的に自分の考えを話す子だった。アヤは、K-POP のような韓国の音楽やファッションに関心があった。私たちはお互いの国について、たくさん知りたいことがあるという共通点があり、国は違うが同じ年頃ということもあって、それほど私と違わないと思った。

日本に行って感心したことは多いが、まずは読書だ。私は地下鉄の中で周りをきょろきょろ見回すことになった。私は本がとても好きだが、日本の地下鉄の乗客の3分の2以上の人が本を持っていたからだ。韓国ではだいたいスマートフォンを見ているか寝ているかのどちらかだ。私は手に小さな本を持って読んでいる日本人を見て偉いと思った。まず、日本人が持っている本が韓国とは違って小さく持ち運びに便利な点がいいと思った。そして、漫画のような本を会社員や大人が読んでいても変な目で見ないのも日本の文化だと思った。日本の本屋さんは人が多く、一部の本を除けば、ほとんどの本が見られるようになっていたり、サンプルがおいてあったりするので、あらかじめ内容を確認することができる。あたかも日課のように本屋さんに通う日本人の姿を見て、私はとてもうれしく幸せを感じた。

二つ目は日本人の親切さだ。これまで本で読んだことはあったが、私は実際の日本人の態度にとても感銘を受けた。私はアヤにメールを送ろうと思ったがパソコンがなかったので、ホテルにお願いすると、ホテルの職員は仕事を途中でやめて、その仕事で使っていたパソコンを私に使わせてくれた。私が日本語の打ち方がわからず困っていると代わりにメールを打って、アヤにメールを送ってくれた。そして、私をエレベーターの前まで案内してから、自分の仕事に戻っていったのだ。これだけではない。

地下鉄で道に迷っていたとき、あるおじさんは私のために、わざわざ一緒に切符を買い、5 分も歩いて私を案内してくれた。この出来事は私にとって、とても貴重な経験となった。自分がしていた仕事、自分の行く道を変えてまで外国人に親切にする日本人の姿は日本の第一印象として私の記憶の中に残っている。

最後に大阪から神戸に行ったときに出会った、現場体験学習に来ていた日本の生徒たちのことだ。私はその生徒たちと直接話したかったが、恥ずかしくて一緒に写真を撮ってほしいとカメラを差し出すのがやっとだった。そのときに目を引いたのは男子であれ女子であれ、生徒全員の制服が野暮ったいほどに素朴で端正だったことだ。スカートは膝下まであり、ズボンはストレートだった。韓国でこのような制服を着て歩けば、みんな振り返って見るだろうが、私は彼らが学校の生徒らしい身だしなみをしていると思った。それは生徒が持たなければならない態度であり姿勢だからだ。今回の旅行で私が持っていた日本に対する偏見や認識がとても変わったし、新しいイメージを持つことができた。そして着物や日本語に隠され、日本の中にうずもれている日本文化にもっと関心を持つようになった。これは私の経験なので、ほかの人が経験した日本とは違うかもしれない。しかし、両国がもっと親しくなり交流が増えて、お互いに対する誤解や偏見がなくなればいいと思う。そして、現在の韓国と日本の間で文

化交流が行われていることはとても望ましいことだと思う。韓国がより良い国になるために、そしてお互いがもっと近づくために、私たちは真の「隣国」にならなければならないだろう。

 

「韓日交流について考えること」

韓国外国語大学校附属龍仁外国語高等学校1年  白賀媛

タコ焼き。日本と言えば、まず私の頭の中に浮かぶイメージだ。小学六年のとき行った北海道旅行で降り注ぐ雪と寒さを避けて偶然道端の一軒のタコ焼き屋さんに入ることになった。私と両親が入るといっぱいになるぐらいの小さなお店だったのだが、内部を見ると着物を着た伝統的な人形と古くなった写真が壁をびっしりと埋めていた。

私が不思議だなというふうに店の中を見回すと、主人は狭いけれど五十年を超える伝統があると自慢げに話した。その言葉はタコ焼きをひっくり返す主人の手さばきを通してわかった。機械のように早く正確にタコ焼きをひっくり返した後、様々なソースを手早く混ぜる姿はまるで芸術家のようだった。またその味は生涯忘れないほどだった。道端の小さな店なのに、長い伝統と技術を持っているということが、当時の私には新鮮な衝撃だった。

タコ焼きだけではなかった。日本の市街の真ん中にある神社やその周囲を取り囲んでいる高層建築、季節のたびに行なわれる多様な種類のお祭りに全国が沸き立つ姿は彼らだけの固有の文化と伝統が現代文明とどれほど自然に調和しているかを示している。日本の「家業の継承」や「職人気質」に基づいた伝統のため私は日本に魅了された。だから私は高校に進んでから、第二外国語として日本語を選択した。中国語やスペイン語などを選択する場合がほとんどなのだが、わたしはためらいなく日本語を選んだ。「日本」という国をもっとよく知るために本格的に日本語を習いたかったから。

元々、経済、経営、創業などに関心の強かった私は、自然と日本経済と産業にも関心をもつようになった。戦後日本の高度成長とバブル期から現在のアベノミクスまで、日本の経済史は私の興味と好奇心を刺激するに十分だった。だが、日本により関心をもつようになった根本的な理由は、結局は日本の過去と現在、そして未来にもわが国と最も密接な関係を持つ国、という考えからだった。

この夏、韓国代表として香港貿易創業大会に参加したのだが、そこで日本チームの人たちと会うことができた。大会で東アジア圏の国から来たいろいろな人たちにも会えたのだが、そのうち、私は断然日本から来た人たちと親しくなりたかった。うれしい気持ちで私から先に近づいていって声をかけ、日本文化について話を持ちかけると、日本の人たちは韓国人が日本人を嫌いなのではないか、と気まずい感じだった。瞬間心の片隅が冷めていく感じがした。歴史的な問題のために今も個人の間にも壁があるということや、最も近い国にも拘わらず、お互い相手の様子を窺いながら気まずい感じになることが、どれほど気のふさぐ感情の消耗に過ぎないことかを全身で実感することになった。ネットや本を通して間接的に感じてきた韓国と日本との間の壁に実際にぶつかってみると、その壁を壊すことが、いかに重要な問題かということについて考えるようになった。

私は日本の人たちにほとんどの韓国人は日本の文化について肯定的に考えているほうだと語った。この話を聞いた彼らはやっと明るく笑い、私に向かって気軽に接しはじめた。使う言語も、生きてきた背景も異なる私たちが心から共

感し、意思疎通できる唯一の方法はお互いの文化的な価値を共有することだった。対話を終えて、一緒にショッピングすることになったのだが、そのとき私が日本語と日本の文化に対し多くのことを知っていることが、どれほど幸いかと思ったか。日本チームの人たちは韓流のおかげで食べ物や言葉など韓国について多くのことを知っていた。私がほとんどの韓国人がそうであるように、日本の文化に慣れていなかったら、私たちの共通の関心事について語り、親しくなることはなかっただろう。

 

過去の歴史と外交問題のために、反日感情をもっている人がまだ多い。政治と外交は細い糸のようだ。細い糸はいつ切れるかもしれないし、何かでどうもつれてしまうかわからない。そして一度もつれた糸は再び解きほぐすのも大変だ。だが、糸はもう一度巻き戻してつなぐことができるという大きな長所ももっている。政治と外交も同じだと思う。安定していた両国間の関係が危うくなることもあり、その関係を解きほぐすのに多くの時間と努力が費やされもする。この間、韓日関係がそうであったように、韓国と日本を見て、両国間の問題は、単純に両国をリードしていく政府上層部の人々の努力と交渉だけでは解決できることではないと思う。日本を指して「近くて通い国」と言うように、常に危うい韓国と日本との間の距離を狭めるには、何よりも両国の国民の意識を改善し、民間交流を拡大することが大事だと思う。今や、長い時間もつれてしまった糸の一部を切り捨て、切れてしまった部分をしっかり結ぶべき時が

来ていると思う。

「疎通」という韓日関係のキーワードを忘れずに、切れてしまった糸を結ぶため、たゆまず努力するなら、私たちが夢見る平和な国際関係が形成できるだろう。こうしたことが、まさに私たちがいつも話している「グローバル化」の真の姿ではないかと思う。

私は今も香港の創業大会で会った日本の友達とよく連絡している。そして、その延長線上で最近は日本各地の人たちと定期的にメールをやり取りし、映像対話をする活動を始めた。今や日本のことを思うと友達たちの温かい微笑が真っ先に浮かび上がってくる。一日も早く、彼らと口先でなく、ほとんどの韓国人は日本が好きなのだという話をしてみたい。

 

「近くて遠い国、私が感じた日本」

釜山善花女子中学校 3 年呉祥池

近くて遠い国日本。日本と関係があることであれば、大部分の韓国の国民の反応は似たようなものだろう。私も無意識のうちに目に力が入り、拳を握りしめてしまう。

こういった反応は両国が経てきた歴史から来ているのだと思う。

日本という国は昔から韓国と絶えず争ってきた敵でもある。韓日の間でスポーツの試合があれば、その相手が日本であるという理由だけで、韓国は必ず勝たなければならない。ほかの理由は必要ではない。なにがなんでも無条件に勝たなければならない。

21 世紀の情報科学化社会を自負する大韓民国らしくないことだ。両国間の問題が「独島(竹島)」の領有権問題や「日本軍慰安婦」問題、「歴史歪曲」と関連した事柄になると事態はさらに深刻になる。こうなると9 時のニュースをはじめ、インターネットの検索語や新聞の見出しはこの話題で一色になる。たいへんな結束力である。

一体どこから来る結束力なのか、考えてみたくなるテーマだ。

アイロニーであるが、私もやはり大韓民国の国民の一人として、韓国の歴史の中に悠々と流れている血を受け継いだ韓民族として、「慰安婦問題」や日本の「独島(竹島)の領有権」についての主張などに接するたびに、湧き起ってくる怒りはどうにもならない。日本の植民地支配を直接体験したわけでもなく、国交が断絶しているわけでもない。釜山からソウルに行く時間があれば、簡単に行くことができるほど近い国日本。しかし、どうかすると、世界中で一番遠い国である日本のことを考えると、全身に力が入り、顔がほてってくる。理性よりも感情が先走るこのような怒りの前で、私は時々こんなことを考えてみる。

私のこの怒りは日本と日本人に対する若干の羨ましさ、または焦燥感ではなかろうかと。

盲目的な敵対心を捨てて、日本のことをもう一度見直してみると、彼らの文化や経済、生活面などから学ぶことも多々あることはすでに知られている。日本人の「徹底した個人主義」は他人に迷惑をかけてはいけないという態度になり、見栄を張らない質素な生活習慣、量よりも質を重要視する価値観、血縁、地縁、学閥に縛られない徹底した実力主義などは、韓国の国民に警戒心を引き起こさせるのに十分な事柄だ。

また、必要な分だけ消費するという食文化や多様性を尊重する彼らの社会こそ、今韓国の国民に多くのことを示唆している。

2010 年、私が小学校6 年生のときに、私の学校と姉妹校になった日本の小学校を学校の代表として訪問したことがあった。ホテルでの滞在中も、コンセントが110 ボルトなので、充電するにも困るなど、不便なことがひとつやふたつではなかった。しかし日本人の質素な生活を肌で感じることができた。また、小学校の子供たちの礼儀正しい態度、お互いを思いやる態度は、知らぬうちに私の心の中に尊敬する気持ちまでも芽生えさせた。一緒においしいものを食べて、花火を見ながら楽しい時間を過ごしたときは、本当に同じ国の国民になったようだった。国籍を忘れ、友人として、有意義な思い出を作ることができた。まだ幼かったけれども、その時の体験は両国の交流を肯定的に考えるきっかけになった。

傷として残った歴史問題や、ともすると騒ぎになる領土問題などで怒りを覚えるが、日本人の良いところは学ばなければならない。これから、私たち青少年は託された課題を通じて、修復の歴史を作り、誤った歴史を正すよう努力していかなければならないと思う。

私はこの課題を解決するために、「知彼知己百戦百勝」の教えを思い出してみようと思う。しかし、今回は敵を知る前に自分を知ることから始めることを勧めたい。冷徹に自己批判をしてから敵の分析をしてみよう。そうすれば、もう少し理性を持って合理的に彼らを見ることができるだろう。近くて遠い国日本と、もっと活発な交流と発展的な関係が築ける日が来ることを期待したい。

 

「責任あるコミュニケーションに基づいた交流の継続強化」

京畿外国語高等学校2年 張普景

「交流」ということばを辞書で引いてみると、「根源が異なる流れが交わって流れること」または「文化や思想などが往来すること」と書かれている。お互いを結びつけるチャンネルを多様化し、結ばれたチャンネルを嘘偽りのない真心を持って維持すれば、本当の意味での交流が可能だ。しかし、現在の韓日間の交流にはどこか不自然さを感じる。特に、韓国と日本のように、過去の歴史についてお互いによくない記憶を持っている場合には、お互いを結びつけることがうまくいかず、これから新しく関係を築こうとする国との関係よりも、もっと難しいかもしれない。このような理由で多くの人びとは、韓国と日本の関係を「近くて遠い国」だと言う。地理的なことだけでなく、政治的、社会文化的に近い国になるためにはどうしたらよいか。すでに私たちは解決法を知っている。お互いのコミュニケーションと理解を通じ信頼を回復して好循環のきっかけがつかめれば、両国間の関係はよい方向に進んでいくだろう。しかし、実際にいろいろな試みや多くの努力がなされているにもかかわらず、期待以上の

効果が現れないのはなぜだろうか。現在、両国間のコミュニケーションのあり方や交流の特徴を見ると、その理由がわかる。

現在の韓日間の交流を量的な面から見ると、ほかの国に比べて交流の幅が狭いわけでも、数的に少ないわけでもないようだ。しかし、質的な面で交流に悪影響を与える点があるようだ。まず、責任ある双方向のコミュニケーションが減ってきており、外部の要因によって真心のこもった交流と、その継続性が脅かされている。

まず、「責任ある双方向のコミュニケーションの減少」について話したいと思う。

今はインターネット時代を超えてSNS時代になり、とても簡単に不特定多数の人に自分の考えを伝えることができる時代だ。無分別だと言うことができるぐらい、以前よりもずっと簡単に自分の考えをほかの人に伝えることができるようになったが、相手を理解する機会は減って、自分の考えを伝える機能だけが発達している。個人的によく知らない人との対話は、まるで一方にだけマイクがあってもう一方にはスピーカーしかない、ガラス板を間に置いて一方的に叫んでいるのと同じだ。このようなコミュニケーションの仕方はプラスの効果ではなくもマイナスの効果が現れやすく、コミュニケーションの結果がどのように現れるか予測するのが難しい。すでに内面に傷を負っている相手に、さらに大きな傷を負わせる可能性もある。論争が感情的な喧嘩に発展しやすく、一部分だけを抜き出した内容が無差別に伝えられ、誤解を増幅させる

 

役割をする。全体的に見ると、以前に比べコミュニケーションの規模は大幅に膨らんだが、責任と真心を持ったコミュニケーションは相対的に減ってきている。コミュニケーションの増加よりも相互間の信頼を確保するということがもっとも大切だが、そのためには責任あるコミュニケーションを増やすことが重要だ。

次に「交流の継続性が脅かされている」という問題は、コミュニケーションの方法以上に深刻な問題だ。それぞれ異なる背景を持った者同士が交流を始め、相互の信頼関係を深めようとするなら、コミュニケーションの継続性を確保することがとても重要だということは言うまでもない。しかし、韓日関係を振り返ると、両国の交流が盛んになったかと思うと、急に断絶してしまうケースがよく見られる。国家間にデリケートな問題が生じると、いとも簡単にいろんな関係が絶たれてしまう。私は小学校5 年生のときからYWCA で日本語を学び始め、韓日学生交流プログラムに3 年間参加してきた。このプログラムを通じて日本を理解する機会を持つようになり、日本を訪問して日本人と友達になり、また日本の友達が韓国を訪問したりもした。しかし、あるとき急にプログラムが中止になったことがあった。両国間の領土問題が大きくなり、国民感情が良くないという理由でプログラムを支援する政府機関は、予算をカットし、その結果プログラムは中止になった。私が一番残念に思ったのは、そうした良くない状況であればあるほど、逆に肯定的な交流を増やさなければならないのに、交流を中断したということだ。何かが起きるたびに、それが収まるまで待たなければならない

という受け身の姿勢は、これから進もうとする歩みを後退させ消耗させる。交流を始めるのは大変で重要だが、それよりも続けることの方がもっと重要だ。

国家間の関係においては自国の利益を優先するため、状況によっては仲が悪くなることもあり、また良くなることもある。関係が悪くなったときでも、両国の関係を修

復するのは相互信頼であり、その信頼は普通の平凡な人たちの間の交流から始まると私は信じている。このようなチャンネルを一つ一つ増やしながら、信頼を深めなければならない。しかし、これから私たちが大切にして実践していかなければならないことは、「責任あるコミュニケーションの確保」と「交流の継続性の確保」というふたつのことだろう。私たちは自分の言動に対する責任ある態度、真心を伝えるコミュニケーションの仕方を養い、また広めていかなければならない。もう一方で、すでに行われている交流の継続を維持し、外部の要因によって左右されないように制度を強化しなければならない。何かあるとすぐに止まってしまうような交流のパターンから抜け出さなければならない。真心と継続性が保証される場合にのみ、「コミュニケーションと理解を通じた相互信頼の構築」という好循環の仕組みは確立される。

 

「韓日交流は必要だ」

釜山善花女子中学校2年 金引德

ソウルでは日本の妄言を糾弾するデモが行われ、東京では嫌韓デモで騒がしい。韓国と日本はインターネットのオンライン上でもお互いの人気コミュニティサイトのサーバーをダウンさせるサイバー攻撃を繰り広げている。スポーツも例外でない。韓日戦で負けたサッカーの国家代表チームには全国民から非難が浴びせられる。

「永遠の宿敵」、これは韓国と日本の関係を思い浮かべるたびに登場する言葉だ。

しかし、韓国と日本は本当に近いところにいる隣人であり、お互いのことよく知っている仲だ。隣同士喧嘩もするが、一緒においしいものを分け合って食べることもある。

このようにお互いにおいしいものを分かち合うための手助けをするのが日韓文化交流基金だ。私たちに必要な交流の橋渡しをしてくれる組織だ。いったいどのような役割を果たしているのだろうか。

まず、文化交流とは、文化の多様性と独自性を認め合いながら、相互間の理解を深めることを目的とするものである。ことば通り、お互いの文化を体験しながら親睦を図り、理解の幅を広げる。これは日韓文化交流基金が行っている全ての事業に当てはまる。お互いのことを理解することさえできれば、私たちは心を開いて手を握り合い仲よくすることができる。このようになるまでがとても大変なのである。仲よく付き合えば、お互いが持っているものを正直にさらけ出して見ることができ、もっと親しくなれば、それをお互いに分かち合うことができる。いままでになかったものを持つようになれば発展することができ、その発展を叶えるために、結局、日本と韓国の活発な文化交流が必要になるのだ。

韓国にも得意なものと苦手なものがある。日本には私たちが必要とするものがいくつかある。もちろん、韓国だけでなく、お互いに必要だということである。そこで文化交流が必要なのだが、否定的な感情の中で、お互いに壁を作り警戒ばかりしてしまう。しかし、そうした壁を壊してくれる英雄がいる。結局、その英雄がハンマーで壁を壊すことになるのだが、それを後押しする私たちの役割も重要だ。

日本には私の好きなものがたくさんある。歌舞伎、富士山、温泉、ロボットなど、いろいろなものが好きだ。日本のものはどれもこれも好きだ。「好き」ということばのオンパレードだ。そして、ただの「好き」ではなく、「本当に好きだ」と言いたい

もののひとつが日本の人びとの秩序意識だ。例えば、2011年3 月11 日に起きた東日本大震災では、自然の力の前に人間の無力さと弱さを見せつけられた。本当に多くの死傷者と経済的な損害をもたらした大災害だった。しかし、そのような混乱の中にあっても、日本の国民の秩序意識は輝いていた。宮城県仙台市のある学校のグランドで水の配給を受けるために集まった人々が、グランドに描かれた線に沿って並んでいる写真を見ればわかる。文化交流は必ずしもスポーツや音楽や芸術だけに限ったものではなく、目には見えない人々の習性や姿勢なども合わせて、私たちの生活の中に染み込んでくる。良い行いがほかの人たちに自然に浸透し日常化するのがもっともよい。

私は文化交流をすることによって、こうした現象がたくさん起こることを望んでいる。

最後に私が望むことがあるとすれば、韓国と日本のような東アジアの多くの国々が心をひとつにして、西洋のように大きく経済発展しなければならないということだ。

東アジアには経済問題、北韓(北朝鮮)問題、領土問題、歴史問題など様々な問題が混在している。こうした問題はひとつの国家だけでなく、すべての国家が力を合わせて解決しなければならない問題だ。だから、アメリカや中国と肩を並べることができるような強い国になれれば、本当によいと思う。過去に日本が韓国に対して、よくない印象を与えたことは事実だ。しかし、私たちが憎まなければならないのは日本人ではなく、過去の日本の民族主義の歴史であるということを知る必要がある。過去のことだけを思い出し、現在の日本は見る必要はないとして、過去だけにこだわれば、韓国のこれからの発展はないだろう。私たちは私たちの目を覚ます何かを必要としていた。

その何かのひとつが日韓文化交流基金だと思う。

文化交流を進め、お互いのプライドだけを強調するのではなく、お互いに足りない

部分を補い合っていける点を明らかにし、国家間で起こる争いごとは韓日両国だけではなく、東アジア全体の未来までも危うくするということを、理解しなければならない。

韓国と日本が文化交流を通じ、国際社会の一員として協力できれば、両国のイメージは一層改善され、先進国として発展し、世界的に大きく寄与することができると信じている。

 

昨今の日韓の諸問題も1965年に結ばれた日韓基本条約と共に結ばれた日韓請求権協定、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」、略称は「韓国との請求権・経済協力協定」を無視し守らないことに尽きると思います。近代国家では考えられないことです。

両国の国交正常化のための「日韓基本条約」と共に結ばれ、日本が韓国に5億ドル(当時の韓国の国家予算は3.5億米ドル程度、日本の外貨準備額は18億米ドルで膨大な額です。)の経済支援を行うことで両国及び国民の間での請求権を完全かつ最終的に解決したとする内容です。当時の親日でもあった朴大統領は貧しかった韓国、韓国人の幸せの根源でもある豊かさ、経済発展のため5億ドル中の多くを投入し経済発展、日韓友好に尽力されています。今日、反日を声高々に叫ぶ人達も、これらの経済発展等による大きな恩恵を受けて現在があるでしょう。

これらを特に未来を背負う若者等が理解することで大きく未来に前進し、新たな未来への思考が生まれると思います。

昨今は、レーダー照射問題、「日韓請求権協定」が韓国側に簡単に破られると言う世界の常識から逸脱している現状に韓国側は考えるべきです。過去に中国艦船のレーダー照射が自衛隊艦船側に対しありましたが、中国は再発防止を含め国家として守っています。

2013年1月30日、東シナ海において中国人民解放軍海軍所属の江衛II型フリゲート・連雲港(522)が、海上自衛隊第7護衛隊所属の護衛艦・ゆうだちに向けて火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射、防衛省がレーダー波を解析したところ、火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)のものでした。中国側の複数の中国軍幹部は攻撃用の射撃管制レーダーを艦長の判断で照射したことを認めているようです。

2013年当時、軍事評論家の田岡俊次氏は冷戦期にアメリカとソ連の間でエスカレートの一途を辿った公海上での挑発行為と、その反省を基に両国間で締結された海上事故防止協定(INCSEA協定)において禁じられている危険行為に火器管制レーダーの照射が含まれていない事を指摘されています。2014年4に山東省青島で開催された第14回のシンポジウム(WPNS)において、中国、韓国を含む21か国によって、本規範が合意されています。今回の韓国の行為は極めて悪質で、逆に日本側が謝まれと、日本国民は怒ると同時に、何故このような行為が起きるのか・・・やはり日本の可笑しな憲法にあると思います。

今回の日本のP-1・哨戒機に対するレーダー照射は敵対行為であり、米国の最重要同盟国日本への行為は米国への行為とみなすとトランプ大統領は明言しています。韓国は日米を甘く見ていたと思います。

特に未来を背負う若い人達は韓国が国際社会で名誉ある生き方をするには条約、協定、国家間の約束の重みをフレッシュな頭で考える多くの機会を作ってもらいたいものです。国家間の条約、協定、国家間の約束を破ることは結局、韓国自身の国際的な地位、信用を著しく下げることになるでしょう。

作文に書かれているように若者達は日韓の友好を考えています。あと一歩深く掘り下げ若者自身が白人至上主義・弱肉強食であったアジアの近現代史等を正しく学ぶことは必要不可欠でしょう。

戦前の日本の朝鮮統治は国際法でも違法性が無いと言うことを韓国の若者たちも理解することは重要で、何故日本が朝鮮を統治したか!正しく理解することが必要で、マクロな目で近代アジア史を見ることが必要でしょう。同じように統治した台湾・・・何故反日がいないか。

この作文からも分かるように、日韓の未来は両国を背負う若者にかかっていることは間違いないと思いますが・・・ 


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