極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

本当の強い人、弱い人

2019-01-22 12:13:46 | 日記

以下文は、 「本当の勇気は弱さを認めること」・ブレネー ブラウン(著)(2013.8.20)、「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く」(2012.3.13)岡本 一志(著)、光に向かって心地よい果実ー「笑訓」と「たわごと」(2003.4.10)・高森 顕徹(著)等を一部コピー、参考等々に記していますが、解釈が可笑しい箇所が多々あると思います。日記、雑文とします。(ブレネー ブラウンの講演等はユーチューブで一部が見れます。)

 

昨今のレーダー照射問題、呆れた韓国側の対応、近代国家とは到底思えません。どれだけ良識ある韓国人、在日の人達を苦しめているか考えてほしいものです。日本側の協議等打ち切りは当然だと思います。日本のみならず近隣諸国、国際社会等は今回の呆れた真実を知り、対韓国策を見直す可能性さえあると思います。何よりも、私達は日頃意識しない国家の主権とは等の一端を知ることが出来たと思います。

今回の安倍政権の対応は主権国家として凛とした対応で高く評価できると思います。米国等の著名人の論を読むと、日本の対応を注視していたようで、高く評価しているようです。

「左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。

既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ。」      福沢諭吉・時事新報(明治30年10月7日)

 

***弱さを認めることの大切さ***

*傷つくのは怖い。

*批判されたら腹が立つ。

*失敗したら恥ずかしい。

*本当のことなんてさらけ出せない。

ややもすると傷つきやすい社会に生きている私達は、日々、自身の弱さ、傷つきやすさと対峙していると思います。私達は何とかしてこれらから避けようとしますし、場合によっては相手より先に他者を攻撃、非難しようとします。強く、優しい人間になるには、これらの精神的仮面等を捨て、自身の弱さを知り、認め、正面から向き合うことが必要とブレネー ブラウンは述べています。

人から指摘されたらどうしよう、失敗したらどうしようといった不安、弱さから日々目を背けていると人生で起こる、他の全ての素晴らしいことにも無感動となり、自身の自己確立等、生き生きとした感情さえ忘れてしまうでしょう。

米国、ヒューストン大学の人気教授ブレネー ブラウン(女性)は、人間の持つ心の弱さについて長く研究してきましたが、自身も心の弱さを認めることができずにいましたが、自分の感情を仮面等で守ってばかりでは他者との関係も築きにくく、自身の人生を味気ないものにしていると述べています。著者・ブレネー ブラウンは、自らも心の弱さを認め本当に強く優しい人間になるべく、悩み苦しみ、葛藤したようです。著書にはこの過程を分かりやすく書いています。

私達も自分の弱さを認めることは難しく、認めたくないかも知れませんが、強く優しい人間になるため大切なステップだと言えそうです。この本が何故ベストセラーとなったか、やはり自分の弱さを認めると言う勇気等が優しく、強い人間になれると言うことを解いていることだと思います。

***「独りしか渡れない丸太橋」***
意見が衝突したら、独りしか渡れない丸太橋を思い出すことです。

小さく、狭い丸太橋を左右から同時に渡れば、途中で2人は動けなくなることは明白です。

先に譲った人が相手より幸せな人です。

譲られた人は感謝して通ればまた幸せになれます。

当然の如く通る人は、最も不幸な人です。

自分が正しいという思いが衝突したとき、先に丸太橋の道をゆずる人が相手より幸せな人と言えます。

先に謝ったら、負けたみたいで悔しいとも思われるかもしれません。ところが先に譲る人というのは、精神的に弱い人ではなく、精神的にも強く、幸せな人だと言えます。

 

***花を持つ人から避ける山路かな***

1人しか通れない狭い山道で2人が鉢合わせ・・・一人は手に何も持っていませんでしたが、もう一人は両手一杯の綺麗な花を抱えています。

こんな時、お先にどうぞと道を譲ることができるのは、両手いっぱいの花を抱えている人です。

私が先、俺のほうが先だとぶつかり合ったら、大事な花が散ってしまうからです。大事な花を守るために、は笑顔でお先にどうぞと道を譲ることができます。

意見が衝突、争い時、意地の張り合いをやめて譲ることができるのは、守らなければならない大切な花がある人です。

花束は利他(自分を犠牲にして,他人に利益を与えること。仏教用語では人々に功徳,利益を施して救済すること。)の心を表します。自分が先に道を通りたいと我を優先すれば花束は散り、台無しになってしまい、相手との関係が閉ざされます。反対に花束を守ろうとすれば、自分が一時的にみじめな思いをするかもしれませんが、みじめな存在は、精神的に弱い存在でもなく、花束を守り抜いた利他の心の強い人と言えると思います。結果、利他心の強い人は、必ず周りの人から立派な人だと認められ、信頼されることになります。

逆に我を優先すれば、相手との関係が閉ざされ、周りの人から嫌われ、孤独になるかも知れません、何よりも信頼を失うでしょう。

喧嘩しそうになったら、私は正しいの思いを抑え、このまま自分の思いを通したらどうなるのか、先を見ること、自分の言動を反省し、利他の心を持って生きたいものです。

昨今の日韓問題等も、韓国政府に少しでも利他の文字等があれば違った展開になったでしょう。日韓の友好を願う多くの韓国人、在日の良識ある人達に対し、文大統領は未来を断ち切っていると思います。現、韓国政府には利他の心と言う言葉は微塵(みじん)も存在しないようです。

 


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