極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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富を作り、如何に富を使うか。

2014-02-24 06:37:42 | 日記

私達は人生の全ては富によりその人の価値が決まると思いがちですが、やはり人生には何か違った生き方があるのではないか、しかし現実を直視した場合、富により生かせれていることは間違いなさそうで厳しい実に直面します。
以下の話は、富を得るのは誰でも平等であり、原資は大きな資産ではなく、アイデア等であることを示した話と、いかに社会に還元し、人々の幸せの向上に寄与したかの一部です、ほとんどは本からの抜粋です、、、 

若い青年夫婦が、アメリカ・サウスダコタ州のある町で、小さな商店を営んでいました。それは将来の成功を夢みて、希望で胸をいっぱいにして始めた小さな店でしたが、しだいに失望感がつのってきました。 この小さな町では、人口が少なくて、客があまり来ないのです。夜遅くまで働くようにしても、生活は苦しくなるばかりでした。夫妻は、商売はもうやめようと考え始めました。 しかし、ある夏の暑い午後のこと、いつものように店は閑散としていましたが、そのとき妻の脳裏に聖書の言葉が思い浮かびました。 「何事でも、人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。」

妻は夫に言いました。 「そうだ。いいアイデアがあります、ここから二キロ先のハイウェイに、毎日何万台もの車が走っているわね。この辺は、ずっと砂漠です。車で走っているときは、本当にのどが渇くでしょう(当時の車には冷房がついていなかったそうです)。これが私のアイデアよ。あなた、一キロくらい先の道路ぞいに、大きな手作りの看板を立てて来て」、 夫は、妻のアイデアに従って、道路沿いに大きな看板を立てました。それにはこう書きました。 「一キロ先にレストラン、冷たい水無料、コーラ、アイスクリーム等あります」、 夫は、長男と共にこの看板を立て終わり、「本当に人が来るかなぁ」と言いながら、ゆっくり店に戻りました。すると店には、もう人がいっぱい並んでいたのです。 「水を一杯」 「私にも一杯」 という具合で、妻がひっきりなしに応対していました。人々は、冷たい水をと思って店にやって来ると、コーラもある、アイスクリームもあるということで、それらも買い始めました。そればかりか、ついでに飲食物以外の雑貨等も、飛ぶように売れ始めたのです。 こうして、小さかったその店も、その後デパートにまで発展したそうです。 富を築く秘訣は「何事でも、人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ」という聖書のゴールデン・ルール(黄金律)にあります。現代のビジネスにおける偉大なアイデアは、考えて見れば、ほとんどこの教えを実行したものと言っていいでしょう。サービス精神から、アイデアが生まれるのは確かですね。


「アイデア精神」
サービスのアイデアで、巨富を築いた平社員 M、ジョージは、当時四五才の働き盛りでしたが、平社員で、給料も安く、ウダツの上がらない男と見られていました。 ある日彼は、世の中ではいろんな会社が、自社製品の宣伝用に無料のサンプルを出していることに気づきました。またあるとき、ドラッグストアで買い物をしていると、 無料でもらえる価値あるものという本が、レジの近くに置いてあるのが目に入ったのです。それを買おうと思ったら、何とそれにも「FREE」(無料)と書いてあるではありませんか。 彼はそれをもらって、さっそく家に帰って読み始めました。読んでいるうちに気がついたのです。読んで感心しているだけではつまらない。手紙を書いてやろう。ハガキ代だけで済むのだから。 彼は100ヵ所にハガキを書き送りました。「これこれの品物を送ってください」と書いただけですが、82社から82種類の品物が送られてきました。 大は歯磨き粉の一ダース入りから、小は頭痛薬まで、千差万別でした。全部無料なのです。「ハガキを書く手間さえ惜しまなければ、生活費はだいぶ助かるぞ」と彼はつぶやきました。 しかし、もしここで終わっていれば、その後、彼を社長とするゲスト・パック社という年商5億円(当時)の会社は生まれなかったでしょう。 彼はそのとき、ふと気づいたのです。こういう無料の品物を用途別に集めて、小綺麗なパッケージに入れたら、商品にならないだろうか? たとえば、歯磨き粉一袋に、歯ブラシ、小型ヘアブラシと、タオルを組み合わせてセットしたら、りっぱな旅行道具になる。 彼はこのプランを、近くのホテルへ持ち込みました。旅行道具を忘れた客に進呈するサービス品としてはどうでしょう、というわけです。 ホテルは次々とこのプランに乗ってきました。

 

それから15年後、全米で約4000のホテルがこの「ゲスト・パック」を備えました。 彼はさらに、このアイデアがうまく行きそうだと見きわめると、無料品を出す会社を訪問し始めました。 「無料品を最も効果のあるところへ配ってあげましょう。その代わり、一品につき3セントから5セント配達料を下さい」。 この考えに、多くのメーカーが乗ってきました。メーカーにとっては、依頼に応じていちいち郵送していると郵便代が馬鹿にならないし、まとめて引き取って効果のあるところに配布してくれるなら、願ったりかなったりだったからです。 1000を越えるメーカーと話をつけた彼は、こうしてホテルへは洗面道具セット、銀行へは新規客開拓用フリーパック、航空会社へは機関サービスや、時間待ち客用の品物セットを売り込みました。 救世軍や赤十字へも売り込みました。赤十字は彼から無料品を「買って」、災害地へ「無料で」送ったのです。それでも赤十字にとっては大きな経費節減になりましたから、大喜びだったのです。ベトナム戦線の傷病兵用にも、彼の企画した「慰問袋」が届けられました。

 また彼は、大学生に目をつけました。彼は若者たちの使用する品物のメーカーから試供品やサービス品を集め、うまくまとめて一袋2ドルから3ドルの値打ちにして、大学周辺の店に届けました。卸値はわずか29セントだったので、店は喜んでこれを買いました。 ただし、このキャンパス・パックを学生客に提供しようとする店は、大学新聞や、店頭看板、チラシなどで無料提供品のことを広告する義務がありました。
 つまり、提供メーカーは1品5セントくらいの代金で広告をしてもらえるから、喜んで彼の会社に品物をわたすし、一方の商店も、その無料セットにひかれて学生が集まるから喜んでそれを置いてくれる、というわけで、八方円満のこのビジネスはたいへんな成功をおさめました。 彼は会社が軌道に乗ったとき、大学生のために奨学金制度を設けました。学ぶ意欲がありながら、経済的に困難を覚える大学生のために、学費を援助したのです。 もし彼が、以前勤めていた会社で平サラリーマンのままだったら、こうしたことは、したくても出来なかったでしょう。しかし、彼は頭をひねって考え出した自分のアイデアのおかげで、こうしたことも出来るようになったのです。 大実業家のハーベイファイアストーンは、こう言っています。「資本は、ビジネスにおいてさほど重要ではない。経験もさほど重要ではない。この二つは、外から手に入れることができる。大切なのはアイデアだ。」もしアイデアがあれば、いちばん重要なビジネス資産を持つことになる。そのビジネスの可能性には限りがない。「人生における最大の資産――アイデア」がそれである。 アイデアを「生み出す能力」、またアイデアを「実行に移す能力」こそ、「富を築き上げる力」なのです。

「富を生かす能力」
 世界で有名なカーネギー・・・彼から見れば日本のブラック企業の存在はどう映るでしょうか、彼も聖書の教えを実践した一人と言われています。

聖書では、「神を愛すること」また「自分と同じように隣り人を愛すること」が、人生でいちばん大切だと言われてるそうです。聖書には 「気をつけなさい。・・・・あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れが増え、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神を忘れる、そういうことがないように。・・・・ あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。 私たちは、富を得たとき、それは自分の力によったのだ、と思ってはなりません。それは、神が私たちを祝福して、富を私たちに"預けて下さった"に過ぎないのです。 

 

その富は自分のものではなく、神から預けられたものです。私たちはそれを、神と人のために運用して役立てなければなりません。 カーネギーは、これをよく知っていた人で、それを実践しました。彼は「貧困を追い出してやる」と決意し、貧困の中から這い上がって世界有数の金持ちになりました。しかし、彼の事業はむしろそれからだったのです。彼は富豪となったとき、その富をすべて投げ出して、社会の向上と、福祉、教育、医療、科学研究、奨学金、また教会への援助等のために使ったのです。 彼は富を、自分の息子や娘たちには残しませんでした。自分のためにも、通常の老後を過ごせる程度にして、あとはすべて社会のために捧げたのです。 といっても、お金を欲しがっている人々に、考えもなく富をばらまくようなやり方をしたのではありません。「自助努力のない、向上心のない怠惰な者」には、彼は決して富を与えようとはしませんでした。 「富が役立てられる分野、人、団体を注意深く選び、適切な額を援助」したのです。彼は富を築くことにおいて優秀だっただけでなく、富を生かすことも真剣に考えた人でした。彼は自著の中にこう書いています。 富豪でなければ味わえない満足と、幸福というものがある。「その幸福とは、自分が生きている間に、公益を目的とする財団法人を組織し、そこに基本財産を寄贈することである。 そしてそれが生み出す利益が、社会を潤し続ける状況を、自分の目で確認することである。」そのような行為が、富豪の生涯を高尚なものにし、神聖なものにすることができる。

カーネギーはまた、富は決して"自分のもの"なのではなく、自分に"預けられた"ものに過ぎない、という明確な認識に立っていました。

自分が幸いにも富むことができたのは、富が自分に"預けられた"ということであって、それを賢明に運用し役立てることは富んだ者の責任なのだと。 さらに、彼にはもう一つの口癖がありました。それは、「富を持ったまま死ぬのは恥である」 ということでした。

世の中には、築いた富を単に自分のために使っただけの富豪が、多くいます。また自分の生存中、富を人々のために役立てようとしなかった富豪が多くいます。 富は天国へ、あるいは地獄へ自分と一緒に持っていけないという理由から、自分の死後やむなく人に遺贈したという富豪もいます。カーネギー「富を持ったまま死ぬのは恥である」。 しかし、富を持ったまま死ぬのはじつに不名誉であり、人間として恥ずかしいことだと、カーネギーは考えていました。富が自分に"預けられたもの"であるなら、それを自分の生存中に、自己の責任の範囲内で、活用を考えることは当然のことなのです。 もし、生存中にそれを真剣に考え、努力しないなら、死ぬときに自分が持っている富は、単にその人の不名誉となるばかりか、その人を天国に行かせないように引き下げる、大きなおもりとなることだけは疑い得ません。

今日本企業の極一部は、従業員を物のごとく扱い、本当に人々の幸せ向上に考えているでしょうか?最近の農薬混入事件のように、3人家族、8年間ボーナスなし、年間雇用契約、月収14万円、真の原因は追究されることなく処理されてしまい、また悲惨な事件予備軍が待機しており、2,3軍が現れる十分可能性があります。勿論犯罪は厳しく罰されるべきでありますが、何か割り切れない気持ちが残ります。
カーネギーのような実業家が日本に現れ、企業のリーダーシップを取り、多くの日本国民を幸せにしてほしいものですね。
 
 参考資料 レムナント出版社 富を築く等より
      カーネギー伝
      カーネギー回願録      


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