「無題」
(七)―⑤
バタバタとした生活が片付いた時には目の前に連休が迫っていた。
メンタル・カウンセラーからの許可も得て、その先生が言うには、
同居してれば自傷を思い止まらせることになるかと言えば、その気
になれば何処だってやる。むしろ、その気を起こさせないためにも
本人が望む独り暮らしをさせた方がストレスは少ないと言うことだ
った。こうして、再び美咲は家を出て独り暮らしをすることになっ
た。
私は、これまで仕事に感(かま)けて、彼女には本当の父親のよう
に向き合おうともせず小さい頃から寂しい想いをさせたことを詫び
たい気持ちでいっぱいだった。彼女にしてみれば、本当の父親は出
て行き、さらに母を知らない男に奪われ、その男は自分には何一つ
関心を示してくれないお父さんという他人だった。つまり、彼女は
親という存在に縋っては何度も見捨てられたのだ。私は躰を壊して
仕事を離れるまでそんなことにはまったく気付かなかった。仕事を
奪われた病院のベッドの上で、ある夜眠れずに目が冴えて考えごと
をしているうちに言い知れぬ不安に襲われた。その不安とは再び職
場に戻った自分を部下たちはこれまでどおり迎えてくれるだろうか
?元通りに回復しなければ時間に追われる職場では私はまったく役
に立たないだろう。これまでとは違った冷たい世界を想像すると暗
闇の病室にその冷たい不安が充満した。そして、その冷たい不安は
美咲が幼かった頃に私を見詰める時の無表情と重なった。あっ!彼
女の無表情やまるで他人事のような言葉遣いは幼いながらもその孤
独から遁れようとして精一杯堪えていたからではなかったのか?私
はその子どもらしくない冷めた態度に何故気付いてやれなかったの
か。彼女は心の中で必死で救いを求めて叫んでいたのではなかった
か。そう思うと居ても立ってもいられなくなって、私はすぐに病室
を抜け出して美咲のもとへ駆け付けて謝らなければならないと思っ
た。信じていた父親がいなくなって新しい父親が現れても、野球チ
ームの監督を代えるように誰が納得して、まして子どもであれば尚
更、言うことのまったく違う新しい父親の意見に従うことができる
というのか。
「いいか、美咲、独りじゃないんだから困ったときはいつでもここ
に戻って来いよ。ママも、それから私も待っているからな」
「ありがとう、お父さん」
「これまでお前には本当に淋しい思いばかりさせて悪かった。
お父さんを許してくれ」
私がそう言うと、美咲は私の胸に顔を埋めて泣きだした。もちろん、
私だって冷静でいられるはずがなかった。
(つづく)