「パソコンを持って街を棄てろ」(三)

2012-07-11 19:53:19 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

              (三)

                

 風が川面を叩いて春を告げ水面は目覚めて軽く波立つ、そんな長

閑な朝の始まりが立つ瀬を失った自分の面にも少しは生きる歓びを

目覚めさせ、鳥のさえずりさえ笑っているかのように聴こえて、私

も心が少しは沸き立って水面へ到る斜面の土手の草むらにバックを

置いて仰臥した。街の喧騒も少し外れるとまだこんなところがある

のだ。

「何が?」

「永遠が!」

遠くに掛かる陸橋に列を切らずに続く車の流れに、今の自分が置か

れた境遇が、まるで先頭集団から離されていく後続のマラソン選手

の焦りに似た不安を感じさせたが、どうすることも出来ないあきら

めが逆に気を楽にさせて、寝転んで両手を伸ばすと欠伸が出た。そ

れからバックの中から一冊の本を取り出した。それは、資源ゴミの

集積場に無造作に捨てられていた八冊の中の一冊で、そのタイトル

を見た時、それまで私の脳血管を閉塞していた血栓が消滅したかの

如く積年の苦悩が一瞬にして解決した。それは「実存は本質に先行

する」、フランスの哲学者サルトルの本だった。そのあとの本文は

私にとってどうでもよかった、というよりこの一文は強烈だった。

実際図書館で「嘔吐」も読んではみたが全く理解出来なかった。翻

訳の難しさもあるのだろうが、なんでアロエだかマロニエだかの木

の根っこを見て「吐き気」を催したのか皆目判らなかった。「存在

と無」は最初のページを繰らずに置いた。「実存は本質に先行する

」、これだけで充分だった。つまり、私はずーっと「実存には本質

が先行している」と思っていたのだ。そもそも実存主義の本を読ん

でいても使われる哲学用語が全然頭に入ってこないし、さらに文化

と翻訳の壁があり、日常の言葉で語れない思想が日常に広まる訳が

無い。突き詰めると「ものごと」は狭義に拘らざるを得ないのは判

るが、突き詰められた真理が深海の海底では光輝いていても引き上

げて見るとただのガラス瓶だったでは見向きもされないだろう。

 つまり存在には「意味がある」と思っていた。しかし「意味があ

る」とすれば意味を与える存在がなければならない。「生きる意味

」だとか「何の為に」とかの問いは、常に自分の外に答えを求める

ことになる。私はサルトルの「実存は本質に先行する」という言葉

から、本質、つまり生きることの意味を問うことの無意味さを悟っ

た。

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ」(四)

2012-07-11 19:52:37 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

               (四)

             
 ポチャ。

水面を跳ねる魚の音で目が覚めた。気付かない間に眠ってた。やは

りネットカフェのリクライニングシートでは睡眠は満たされない。

手足を伸ばして寝ることがそれほど大事だとはこんな暮らしになる

まで分からなかった。いつも頭の中は「どこで寝るか」が占めてい

る。「何の為に生きている?」と聞かれると間違いなく「寝る為に

生きている」と答えるだろう。街を彷徨っていても人を気にせずに

眠れる「夢の楽園」ばかり捜している。棲家をなくす事は睡眠をな

くすことだった。アウシュビッツでは不定期な水滴の音で眠らせな

い拷問があったらしいが、自分の身にいつ何事が起こるか分からな

い状況では、水滴が落ちてこない静寂こそが最も神経を消耗させ、

疲労困憊の末についには死を覚悟しながら眠ってしまうのだろう。

次の憲法改正には是非「如何なる睡眠も、これを犯しては成らない

」と云う「睡眠の自由」を保障して欲しい。夜中にホームレスのテ

ントに押し入って眠っている人間を殴り殺すのはいかに残酷なこと

か知るべきだ。

 ポチャ。

 魚はいいよな、泳いでいるだけでいつも目の前に食べるものがや

って来るもんな。人の世界ではただ歩いてるだけで目の前に納豆定

食やカレーライスが現われるなんてことないもんな。次に生まれて

くる時は絶対に魚になろう。でも、自分も大きな魚の餌になるんだ

ろうけど。お腹が空いたので何か食べなくちゃ。万引き、物乞い、

情けを乞う事、これを私は強く自分に禁じていた。それはきっと楽

な方法だろうが、手を染めると抜けられなくなるのが嫌だった。も

ちろん一生こんなことはしてないぞ、と思っていた。いちど三日間

食えない時があった。その前まで仕事が続いて週末には五万円程の

お金があったが久々の大金に目が眩み、大盛り牛丼たまご付き、サ

ウナに入って小奇麗になって、カプセルホテルで手足を伸ばし、缶

ビール飲んでエッチビデオに興奮し、人並みの暮らしを味わうと、

こんな暮らしにケリ着けて、たったひと間の部屋でいい、楽な暮ら

しがしたくなり、一攫千金夢に見て、開店前のパチンコ屋、並んだ

甲斐が報われて、早速もらった玉手箱、ここで止めるか思案橋、う

まくいったら仕事をせずに、ひと月遊んで暮らせると、よくよく欲

に勝てなくて、取れぬ魚群の海算用、夢を見たのは一瞬で、濡れ手

に泡の玉手箱、空けてびっくり空手箱、呼び戻そうと追い銭を、有

り金叩いて投げたけど、「海」の藻屑と為りにけり。有り金を擦っ

てしまった。落ち込んだ、本当に落ち込んだ。それ以来、私はすこ

しずつ金を残そうと思った。一日二食にして、昼はスーパーで2本

100円の袋入りのフランスパンと100円の砂糖を買い、砂糖を

水で溶かしてパンにつけて食べている。

 

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(五)

2012-07-11 19:51:33 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

             (五)

              

 遅いブランチ(?)を済ませて街を歩いた。平日とは云っても下

町の駅前通りには大勢の人が行き交っていた。自転車に子供を乗

せて買い物から帰る主婦や、これから買い物に行く人などを避け

ながらあてもなく歩いているとまた元の駅前へ出た。そして駅前

の広場ではひとりのストリートミュージシャンが空のギターケー

スを前に置いて、何時終るともわからないギターのチューニング

をしながら行き交う人々を窺いながら、自分のパフォーマンスに

好意的な人が来るのを待っているのだろうか。足を止める人がい

れば何時でも演奏を始めようとしているが誰も興味を示さないの

で始まらない、また始まらないので誰もが無関心に通り過ぎる。

いつの間にか人々は彼の前を避けて通る様になりそこだけ異質の

静けさが漂い始めていた。もしかすると彼は曲を始めるつもりを

失くしたのではないかと思えるほどひたすらギターの調整をして

いた。ただ、もし地震でも起これば誰よりも彼がいちばん早くこ

の場を逃げ出すに違いなかった。私は彼の歌に興味があった訳で

はないが、時間潰しにと思ってオープニングを今か今かと待って

いた。が、しかし何時まで経っても始まらないからその場を離れ

なくなっていた。このままだと彼は地震が来るまできっと何もせ

ずに終わるに違いないと諦めた時、彼は私の方にすがるような視

線を向けた。私は一瞬驚いたが立場の気楽さから彼を余裕で見つ

め返した。すると彼は困惑を悟られまいと弱々しく俯いたがその

心情が伝わってきたので、私はその男の前に行って座ってやった

。今度は彼が驚いて顔を上げたが、意を決したのかピックを取っ

て勢いよく弾き始めた。

 「STAND BY ME」だった。私は可笑しくなったが、彼

は歌うことに必死だった。しがれた声でゆっくりとコードを確か

めながら彼は歌い終わった。ひとつの障害を乗り越えた後は手綱

を放された馬の様に続けさまに歌った。二三曲知らないものがあ

ったが、七十年代のフォークソングだと思われる耳にした事のあ

る曲はスローなアレンジでけっこう上手かった。気が付くと私の

後ろには十人ばかりの中年のオヤジが遠巻きにしながら聞くとも

なく足を止めて立っていて、今度はその一画が人集りになってい

た。おそらく彼らの青春の歌に違いないのだろう。終わりの合図

か、彼が大きく右手を振り下ろして弦を擦って、音の流れを遮る

と辺りは一瞬静まり返った後、幾人かのオヤジからパラパラと拍

手が起きた。私もつられて手を叩いた。彼はその拍手に驚いて頭

を上げたが、顔には遠目にもわかるほど汗をかき昂揚が伝わるほ

ど紅潮していた。三十才前のそんなに若くはないが優しげな顔を

した男だった。声はしわ枯れていたがまだ表情には若者らしい戸

惑いがあった。彼は、

「なっ、何かリクエストあれば、出来るモノならやりますっ!」

彼は恐る恐る言葉を発したが、それはさっきの歌声と同じとは思

えないほど弱々しかった。すると何処からともなく声がかかった

「キャロル・キング!」

そう言うと男はすこし進み出て半身のまま彼のギターケースに小銭

を投げ入れた。すると彼は、

「それじゃあ、IT'S TOO LATE やります」

と言って、また彼の世界へ戻った。私の知らない曲名だったが、

曲が始まると聞き覚えのある曲だった。彼は自信があったのか顔は

決して上げずにギターのコードを見ながら頭を左右にしてより大き

な声量で歌い上げた。オーディエンスはさらに増えていたが中年オ

ヤジをはじめ誰もがその物悲しい調べに聴き入っていた。何度かサ

ビのリフレインを繰り返す時には小声で一緒に歌う人までいた。最

後には、上手く歌い終えた自信からか周りを見渡す余裕を見せて、

さらにさっきよりも多くの拍手を浴びた。そればかりかリクエスト

したと思しき人は更にギターケースに千円札を放って彼を讃える言

葉をかけた。つられる様にして幾人かがそこにコインを入れた。彼

のストリート・ライブは熱狂のうちにアンコールのボブ・ディラン

が始まった。私は役割りを無事果たしたプロデューサーよろしく、

すこし離れた植え込みの石垣に腰を下ろして彼の興行の様子を眩し

げに、そして思わぬ成功に自負を感じながら眺めていた。私が離れ

てからも彼のオールディーズは益々調子付いて駅前のビルに響き渡

って行き交う人は誰もが視線を彼に向けた。そしてついに名残惜し

いフィナーレを迎えた。彼は起立して頭を下げ礼を言うとオーディ

エンスも大きな拍手で答えた。彼がギターを肩から外して足元のペ

ットボトを飲み干したら、中年オヤジのオーディエンスも三々五々

に散って行った。私は思わぬ出来事に感心していると、彼が私の方

へやって来て頭を下げながら熱唱で使い果たした擦れ声で、

「どうも、ありがとう」と言った。私は、

「あなた、昔の歌良く知ってるね」と言うと、

「って言うか、バロックしか知らんねん」

関西弁だった。

「バロック?」

「古い唄のこと」

「ああっ、なるほど」

彼曰く、今まで一度もバンドのユニットに入ったことが無かったの

で、いつも一人で弾ける曲を探していると古い曲しか思い浮かばな

かった。それで古い曲ばかり練習していると本当に嵌まってしまっ

て、今では七十年代の弾き語りこそが自分に合う曲だ、と言った。

「今日、はじめての路上やったから、ちょっとビビってたけど、兄

ちゃんのお陰で上手いこといったわ。ほんま、ありがとう」

「へえーっ、はじめてだったの、その割に上手かったね」

彼は私の言葉を聞かなかったように、

「今日は声がヤバイからもうやめるけど、明日またココで演るから

ヒマやったら来てーや」と言った。彼は大阪の会社を辞めて音楽で

勝負する為にギターひとつで三日前に東京に出て来たらしい。それ

で、何処か安く寝れる処を知らないかと言うので自分が使ってるネ

ットカフェを教えてやった。彼はその安さに喜んで「そうするわ」

と言った。私と彼は同じネットカフェでまた顔を合わすことになっ

た。

 

                      (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(六)

2012-07-11 19:50:30 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六)―

              (六)

 

10時になって私はいつもの寝カフェに入った。かの路上ミュー

ジシャンは、私は彼を「バロック」と呼ぶことにしたが、彼は私を

ロビーで待っていた。

「メシ、食った?」

私は何時も通りそこのカップ麺で済ますつもりでいたので、

「いいや」

と言うと、バロックは私の腕をつかんで、

「奢るよ!」

と、私をまた外へ連れ出した。誘われるまますぐ近くの居酒屋へ入

ったが、十時過ぎの居酒屋はもうどの席にも客がいて、誰もが脳味

噌に凝り固まった社会の常識を酒で溶かすことに精を出していた。

「いらっしゃいませ、二名さま、どうぞ此方へ」

アルバイトらしき研修生と書かれた名札をした女性が出て来て我々

を案内してくれた。彼女は足早に満席の間を縫って奥へ入って右に

曲がり、さらに今度は左に曲がった奥の壁際に席が並んでいるその

ドンツキの、前の客の宴の後がそのままの席に座らせた。

「すみませんがこちらでお願いします」

研修生はいつの間にか大きな木の入れ物を用意していて、

「すぐに片付けますので、」

と言って、散らかったテーブルの器を片っ端から入れ物に投げ込ん

だ。しばらくその手際を観察していたバロックが、

「こんな奥の席やったらもし火事になったら逃げられへんね?」

と言った、すると研修生が毅然として、

「すぐ後ろに非常口があります!」

と、バロックの頭の上を指差して言った。確かに上には非常出口の

案内灯がぶら下がっていた。バロックは彼女に生ビールのジョッキ

2つを私に断りもせずに頼んでから、

「いい?」

と言った。そしてメニューを取って今度は私に一つ一つ確認しなが

ら料理の注文を済ました。そして、

「こんな処に非常口があったらこっから爆れるなっ!」

と小声で言った。私は奢られる身分上何も言えなかった。酒が進む

につれて互いに打ち解けて、やがて話は大阪のことになった。バロ

ックの大阪文化論とは次のようなことだった。

 豊かさには「フロー」と「ストック」があって、「フロー」を共

有、「ストック」を所有とすると、例えば豊かな自然環境にはきれ

いな川が流れていて誰もがそれを共有することができる。きれいな

川には多くの魚が棲み誰もがそれを獲ることができた。やがてよそ

者がやって来て魚を一網打尽に捕まえて塩漬けなどにして蓄えよう

とする。蓄えを所有する者にとっては豊かさかもしれないが、蓄え

が増えればやがて川に棲む魚も減っていき、遂には魚が居なくなる

。かつては誰もが共有できた豊かさは一部の所有する者の豊かさへ

変貌して魚の棲む豊かな川は失われる。そして蓄えを所有する者は

魚のいなくなった川を諦め、今度は他所の川でまた魚を獲ろうとす

る。こうして彼等は世界中の魚を獲り尽くして蓄えを増やしていく

。これこそが今世界中で起きているグローバル資本主義で、世界の

資源を奪い合ってそれまで共有されていた環境や生活を破壊してい

く。やがて地球は我々のものだ!と言うカンパニーが現れるかもし

れない、否、もうアメリカのいくつかの会社はそう思っているかも

しれない。つまり一部の豊かさは、かつては誰もが共有できた豊か

さを独占することによって成り立っているのだ。

 かつて大阪は商人文化「フロー」の町で、東京の武士文化「スト

ック」とは異っていた。武士は破産しても武士で居られるが、商人

はいくら蓄えが有っても商いを誤れば何もかも失うことを知ってい

た。つまり商いは客があっての商いで、いくら蓄えがあるからとい

っても商いは客に頭を下げねばならない。蓄えを見せびらかして自

慢するのは客に対して失礼だと慎んだ。そういう慎みは世間に対す

る慎みとなり、貧富に関わらずに、貧しい者でも店に行けば客にな

るので、貧富を超えた共生が生まれた。1970年の大阪万博は、

モノ作りの町大阪に大きな夢と技術の進歩をもたらした。大阪商人

の合理的な思考は様々な産業で新しい製品を生んだ。20年後の1

990年花と緑の博覧会はバブル期絶頂の中、濡れ手で「泡」の金

儲けに血道を上げて「花博」は「賭博」に様変わりした。そもそも

大阪は日本の電気産業の発祥の地であるにもかかわらず、モノ作り

を忘れて将来の産業を担うIT技術に乗り遅れ、日本のシリコンバ

レーに成れなかったことは返す返すも大きな失敗だった。やがて「

花(札)(賭)博」はバブルの崩壊で御開きになった。

 その頃の大阪は、投資ジャーナルに始まって豊田商事の金商法、

老舗大手銀行のトップが「古傷は問わない」で画策した地価高騰、

尾上縫の「こんなん出ました」を有り難がった銀行の頭取やイトマ

ン事件など、これが大阪商人のやる事かと信じられない事の連続で

、巨額の損失を報じるニュースに地道な大阪商人は危惧を感じた筈

だ。その後の地価の下落、経済の崩壊、銀行の破綻、立て直そうと

しての莫大な借金、それに乗じてのグローバル化による東京資本「

ストック」主義の進出で、かつて貧富を超えて共有した大阪共生「

フロー」文化がブッ壊された。質素倹約を忘れ富者は慎みを失い、

かつては卑しいと思われた金持ち自慢を恥じらいもなくテレビが流

す。「共生」は「競争」に聞き間違われて、貧富の格差が壁を生み

共生の豊かさは破壊され、それぞれが金儲けの為には周りを省みな

くなった。それは当たり前のように思うかもしれないが、かつて大

阪人は金儲けと同じほど世間も大事にしていた。まだ鈍感力の優れ

た「おばちゃん」は元気に生き残ってはいるが。もし大阪が再生す

る方法があるとすれば、それは破産宣言して債権団体になることだ

。今や大阪は亡ぶことでしか再生の道は無いと思う、いやその時こ

そ自立した浪速の商人(なにわのあきんど)の共生力が蘇り、グロー

バル社会に抗する新しい社会のあり方が生まれてくるに違いない。

何事にも先駆けてきた大阪が亡ぶということは、やがて日本もその

後を追随するだろうと推測するに難くない。

 資本家にとっては豊かさが共有されることは価値が無い。いくら

魚が多く棲む豊かな川でも捕獲されて始めて価値が生まれる。一部

の所有者による「ストック」された豊かさは共有の「フロー」を貧

しくし、格差社会は大阪に留まらずに中国で起き、アジアに広まっ

ている。我々アジアの人間はグローバルスタンダードを振りかざし

て進出して来るこの変貌してしまったプロテスタントの資本主義者

に「反抗」して、アジアの「フロー」の文化をいかに護るのかが今

まさに問われている。もはや日本もそのプロテスタントの手先だけ

どね。社会の豊かさって「フロー」の豊かさだと思うんだけどね。

だって砂漠の中の石油王より森の貧者の方が豊かだと思わない。

 以上がバロックの大阪文化論だった。

    
                         (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(七)

2012-07-11 19:49:31 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六)―

           (七)

 

「ラストオーダーになりますが...、」

例の研修生がやって来て言った。周りを見るとこの離れの奥座敷に

居るのはいつの間にか私達だけだった。バロックはK帯をズボンの

ポケットから取り出して時間を確かめて、私に、

「もういい?」

と聞いてきた。私が頷くと、同じ言葉を発音を変えて研修生に言っ

た。「もういい!」

研修生は、

「かしこまりました」

と言ってから閉店時間を告げて去った。バロックは彼女が見えなく

なると、慌てて席から立ちバックを背負い相棒のギターケースを取

り、後ろの非常口へ走りノブを下げてドアを開けた。そして私に目

配せをして、

「早くっ!」

と言った。私はすぐに事情が飲み込めたので急いで後に続いた、「

爆れるっんだ!」非常口の向こうは廊下に為っていて右側には様々

な食材が置かれた棚が並んでいた。廊下の奥はまたドアが有ってバロ

ックはその前に行ってドアを開け向こう側の世界へ逃げ込んだ。もち

ろん私もその後に続いた。ところがすぐに彼は、

「あっ!」

と叫んだ。私もドアを出るなりいきなり足元に水が掛かってきたので

驚いたが、それどころかもっと驚いたのはドアの向こう側はこの店の

厨房だった。まさに後片付けの最中で調理師やアルバイトらしき店員

が洗い物や片付けに忙しく働いていた。我々が踏み込んだ床も白衣を

着た兄ちゃんがホースの先を指で潰して逃げ場を失った水が勢いよく

床のゴミを追い遣っているところだった。バロックと私は足に掛かる

水を除けもせずに互いに顔を見合した。やがて店を取り仕切る風の人

がゆっくり遣って来て、我々に、

「何かっ?」

と言った。その落ち着いた態度から何度も同じ場面に遭遇しているこ

とが窺えた。しかしバロックと私は大いに慌てて、

「あっ....、まっ、間違いましたっ!」

「えっと...、レッ、レジは何処ですか...?]

やがて奥の方から例の研修生の女性が薄ら笑いを浮かべながら伝票を

持って来た。白衣の兄ちゃんは指先により力を込めているのか、勢い

の強くなった水が止むこと無く我々の足元を濡らしていた。            

 

                      (つづく)