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「無題」 (十七)―⑨

2013-09-09 04:55:26 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



               「無題」


               (十七)―⑨



 それぞれが腹の中の想いを言葉にして吐き出すと、そこに酒が埋

められた。すでにバロックは横になって手枕をして夢と現の境を彷徨

っていた。誰かが「さて」とだけ言えば、誰もが身を起こしてお開きに

する雰囲気が漂った頃合いに、それまで人の話しを聴くばかりだった

佐藤さんが、

「私は、じつは津波で部下を亡くしましてね」

と話し始めて、突然の告白に誰もが言葉を失った。

「あの時、私は海岸沿いの小さな郵便局に居ました。まあ年功だけ

で不相応にも局長をやってましたが、」

そう言ってから、始めに口を付けてから手にしなかったお猪口に徳

利の酒を注いでからゆっくり飲み干した。そして、

「まさかあんな大きな津波が襲ってくるとは思いもしなかったです

からね。もちろん津波警報が鳴っていましたが、郵便局は海岸線か

らは少し離れてましたからね」

わたしは佐藤さんの徳利を取って彼の前で傾けると、彼は軽く会釈

をしてから持っていたお猪口で受け、少し口を付けただけで御膳の

上に戻した。

「あの日は金曜日だったでしょ、休み前でしかも地震が起きた3時

頃といえば一番バタバタする時間なんですよ」

大きな息を吐いてから彼は続けた、

「地震の後、私はみんなに避難するように言ったんですが、あ、み

んなといっても私を含めて5人だけなんですが、ところが一人しか

いない男性社員が残ると言ってくれて、実際、局の中は地震でメチ

ャメチャでしたからね、個人情報もありますしそれにATMもある。

彼がそう言ってくれたのは有難かった。放ったらかして逃げるのは

気が引けましたからね」

佐藤さんはそこまで言うと、先ほど置いたお猪口を手に取って一息

に飲んだ。そして、

「ただ、危なくなったら何も持ち出さずにすぐに逃げるように言い

残して、私と女性社員だけで避難場所のある高台に向いました」

われわれは黙って聴いていた。

「彼は本採用じゃなかったんですよ。契約社員としておよそ3年間

真面目に務めてきて、ま、私も推薦したんですがこの4月からやっ

と正社員の内示を貰ったばかりでとても喜んでいました。だから職

場を放置したまま逃げることなど出来なかったのかもしれません」

「そのちょっと前には彼のお母さんがわざわざ礼を言うために私の

家を訪ねて来られたほどですから」

「すでに避難場所には大勢の人が集まってました。そこからは郵便

局の建物が良く見えるんですよ。あの日は寒い日でしたからね、ず

いぶん時間が経つのが遅く感じました。そしてしばらくすると沖の

の海面から白い波の線がジワジワとこっちに近付いて来るのが見え

ました。波しぶきはそれほど高くなかったのでホッとしたほどです。

彼のケイタイに通話した女子社員がそのことを伝えました。私はそ

のケイタイを取って彼に何度も危ないと思ったらすぐに逃げろと言

いました。彼は笑いながら分りましたと答えてました。ところが、

その後から波を立てない信じられないほど大きなうねりが押し寄せ

ていることに気付いた時にはもうどうしようもありませんでした。私は

何度も彼に逃げろと叫びましたがすでに逃げ場所はありませんでし

た。女子社員たちがケイタイに泣き叫びながら呼び掛けても何も答

えなくなって、たぶんそんな余裕はなかったんでしょう、私たちはどす

黒い津波に呑み込まれて遂には瓦屋根だけしか見えなくなった郵便

局が押し流さていくのを見詰めながら、その中に閉じ込められた彼の

無事だけを祈って掌を合わせることしかできませんでした。」

佐藤さんは話し終えると、手酌を繰り返して二合徳利を空けてしまっ

た。


                                   (つづく)


「無題」 (十七)―⑩

2013-07-26 05:31:21 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)

              「無題」

              (十七)―⑩



 翌朝、わたしは結局酔い潰れて帰れなかったバロックと一緒に朝

湯に浸かってから朝食をとり、そしてガカの車に乗って宿を後にし

た。わたしは後部座席から助手席のバロックに、

「これから大変ですね、風評被害」

と言うと、

「まあ、原発事故がどうなるかですね。たぶん農場はあかんけど、

発電機の問い合わせは増えてるんですよ」

「じゃあ、営業部長に復帰するんですか」

「いや、もうそっちはもっと詳しい人が居ますからね。これからは

始まったばかりの都市緑化に取り組もうと思ってます」

「都市緑化というと緑のカーテンみたいなものですか?」

「ええ、ほらあそこ見て下さい」

そう言ってバロックは前方の山の頂きを指差した。わたしは背もた

れの間から身を乗り出して彼が差す方を見た。

「あれ、いったい何ですか?」

「ツリーハウスです」

「でも、ずいぶん高い所にありますね」

「ええ、スカイツリーハウスって呼んでます」

「うまいですね、それにしてもすごい蔓が絡んでますね」

それは山の頂きの巨木に設えたツリーハウスだったが、地面から生

えた葛(くず)の蔓が巨木を伝わってツリーハウスまで、さながら木に

飾られたイルミネーションの導線のように伸びていた。

「すごいでしょ。葉が茂るとまるでクリスマスツリーのようになり

ます」

「あっ、あれを緑のカーテンに使うつもりですか」

「ええ、まだ研究の段階ですが」

「どのくらいまで伸びるんですか?」

「まあ10メートルは軽く越えますから、普通のビルなら3階くら

いは楽に超えるでしょ」

「そんなに」

「それどころじゃないですよ、蔓から根が出ますから養分さえ与え

て継いでいけば際限なく伸びます」

「際限なく?」

「ええ、たぶん100メートルでも200メートルでも伸ばせます。

ただ、繁茂力が強すぎて木を枯らしちゃうんですよ、だから悪者扱

いされてますが、根からは葛粉が取れますし薬にも使われてます」

「ああ、葛根湯ですよね」

「ええ」

「それに蔓でカゴを編むこともできるし、ロープのようにして使う

こともできる」

「昔から吊り橋に使われていましたね」

「もっと言うと葉は家畜が好む餌だし、繊維だって取れる。そ

れに、何しろ資源は邪魔になるなるほどある」

バロックは眼を輝かせて葛の可能性を熱く語った。そして、

「こんな役に立つもんなんで使えへんねんやろ?」

と言い、かつて重宝した葛が野放しで厄介者扱いされてい

ることに今の時代の自然忌避が見て取れると語った。




                                 (つづく)


「無題」 (十六)―⑧

2013-05-25 06:42:37 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



       「無題」


       (十六)―⑧



「当たり前のことだけど、商売人は安全性よりも採算性を優先させま

すから」

わたしは話しに熱中してゆーさんの奥さんが置いて行った二本目の

缶ビールもいつの間にか空にしてしまっていた。すると、わたしの

向いのバロックの隣りに座っていた彼の奥さんが、

「それって原発と同 (おんな) じやね」

と言って、大皿に盛られた若芽の付いた筍を箸で取って口に運んだ。

わたしの説明はゆーさんにはもう一つ納得してもらえなかったが、

バロックは東京にしばらく居たこともあって、

「おもしろいかもしれへん」

と乗ってくれた。そして、実は、もう以前からネットによる販路も

伸び悩んでいて、というのもいくら無農薬といっても加工品じゃな

いので他との差別化が難しくすでに安売り競争が始まっていて、こ

れからどうやって販路を増やしていくか頭を悩ましているのでそう

いう話は有難いと言った。すると、ゆーさんが、

「問題は福島県産と言って買ってくれるかどうかやな」

実際、これまで買ってくれた顧客も原発事故によって発注が来なく

なっているという。わたしは、

「それで、実際どうなんですか?」

「何も問題ない。ただ、風評だけはどうすることもできん」

彼らはガイガーカウンターを取り寄せてひと梱包づつ測ってその記

録を同梱している。ゆーさんは、

「まあ、しばらくはどうすることもできん」

わたしは、懐かしい三五八(さごはち)漬けの大根を噛み締めながら、

彼らが作った野菜は味付けが薄くてもどれも素材そのものが旨く、

調味料の味しかしない料理に慣れた舌には驚きだったが、なんとか

彼らのために、そして故郷である福島のためにも力になりたいと思

った。

                         (つづく)


「無題」 (十六)―⑨

2013-05-16 02:28:01 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



        「無題」


        (十六)―⑨


 周囲を山々に囲まれた村は、燃え尽きて赤くなった日が山の端に

没し始めるとまたたく間に夕闇が訪れた。結局、わたしは缶ビール

を三本も飲んでしまい、みんなからは車を運転して帰ることをきつ

く咎められた。もしも、それに従わずに生家に帰っていれば、地元

の者でさえも余程のことがない限りは出控えるという闇夜の山道を、

道を誤ることにおいては人後に落ちないわたしは、たぶん、崖から

でも落ちて生家を通り越して生まれる前の世界に還っていたに違い

なかった。それでも、部屋を用意するからという暖かいもてなしにも、

彼らを煩わせたくないという思いから車の中で寝ると言って頑なに

拒むと、春だといってもまだ夜は冷えるのでとても眠れるわけがな

いからそんな遇(あしら)いはできないと譲らなかったが、バロックの

嫁さんが、それならと、近くに温泉旅館があるというので、そこに泊

まることで折り合いがついた。すると、バロックが「俺もひさびさに湯

に浸かりたい」と言い出し、「それじゃあワシも」とゆーさんまでもが

ついて来た。バロックの嫁さんが運転する車に三人が乗り込んで夕

闇から遁れるようにして着いた旅館には、きのう被災地からの帰り

の車で一緒だったガカとサッチャンが似合わぬ揃いのハッピを着て

待っていた。

                                  (つづく)