「私自身のためのテキスト」
ハイデガーの「黒いノート」に記されていた、驚きの内容とは
ハイデガーは本当に「反ユダヤ」だったか 轟孝夫 より
ハイデガーであれば「環境保護」運動そのものが主体性の形而上学
に基づいた一種の「ヒューマニズム」(「エコ」意識の高い人間とい
う理想像の追及)にすぎず、今日の環境問題を真に引き起こしている
ものをまったく認識できていないという批判をするだろう。
これだけ環境問題に強い関心がもたれるのであれば、その淵源を明
確に指し示すハイデガーの思索が今こそ再評価されるべきだとも思う
が、それとはまったく逆に、極右政党と同じようにいかがわしい存在
として誰も一顧だにしないのは何とも皮肉な事態としか言いようがな
い。
ハイデガーによると、存在者を計算可能、作成可能なものと捉える
主体性は、古代ギリシア哲学と並んで、あらゆる存在者を神によって
作られたものと捉えるユダヤ‐キリスト教の創造説に由来する。このよ
うな意味で、主体性の形而上学は「ユダヤ的なもの」とも言いうるわ
けだ。それゆえ彼はナチスが主体性の形而上学によって無自覚に規定
されている状態を、ユダヤ人を迫害するナチスこそが「ユダヤ的なも
の」であるといった仕方で揶揄するのである。