Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

マーラー 交響曲第5番/シャイー&ACCO

2007年02月17日 22時51分23秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらは数年前に購入したもので、97年収録のリッカルド・シャイーとアムステルダム・コンセルトヘボウによる演奏です。購入当初はやけに遅いテンポが気に入らず、早々とお蔵入りしていましたが、今回の特集を機会に久しぶり聴いてみたのですが、97年の収録ということで、これまで聴いた第5の中では一番録音が新しいせいか(とはいっても、もう10年前ですが)、とにかく録音の良さに驚きました。このコンビはこの演奏も含めたマーラー全集を先頃デッカで完成させましたが、これは同レーベルではショルティに次ぐ一大事業であり、録音の良さで名を売ったショルティ盤を超えるクウォリティが自らに律したのはまず間違いないところで、その意気込みを感じさせる音になっています。

 基本的には、アムステルダム・コンセルトヘボウというオーケストラのもつ極上のサウンドを、ホールの響きをたっぷりと取り入れた、やや遠目に音像が定位させた今風な音でCDというメディアにほとんど完璧な形で収録したものといえるでしょう。広大なステージを余すところなく表現したホールトーンの美しさ、多少丸みを帯びてはいるもののずしり重い低音の量感、神経質にならないぎりぎり線でとられた解像度などなど、70年代のデッカとは対照的な感触もありますが、とにかく高水準でまとあげていて、それらの要素を上手に束ねて、全体としてはクッションのいい弾力あるサウンドに仕上げているあたりは、やはりデッカ的としかいいようがハイファイ感があります。ともあれ、この音はもはや耳の悦楽でしょう。なにしろ、このCDを聴く限り「世界最高のオケはウィーンじゃくて、アムスなんじゃないか」と思うほどですから。

 演奏ですが、前述の通り遅めのテンポでゆったりと演奏しています。ただし、遅いけれども決して重くはなっていないのは、朗々を旋律を歌い、かつリズムのキレも不足しないからでしょう。そこにはある種の軽快感のようなものすら感じられます。このあたりが「シャイーのマーラー解釈」なのかもしれませんね。ちなみに録音とも関係がありそうですが、アバドの演奏と同様、この演奏ではメインの旋律の背後で鳴っている対旋律がオヤっと思うほど聴こえてきますが、バロック音楽の国イタリア出身の指揮者特有の感覚なんですかね。そういえばシノーポリにもそういうところありましたし....。
 という訳で、この演奏は録音の素晴らしさとオケの極上の響きがとにかく印象的でした、オケの美しい響きと録音の良さという点ではマゼールとウィーンの演奏を超えるかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーラー 交響曲第5番/レヴァイン&フィラデルフィアO

2007年02月17日 19時58分13秒 | マーラー+新ウィーン
 先ほど届いたばかりのCDです。レヴァインのマーラーといえば、かの柴田南雄をして『レヴァインとテンシュテットはマーラー交響曲の演奏に関する従来の観念をすっかり変えてしまった。これは驚くべきことだ。交響曲の演奏史の上でも滅多にないイベントだと思う』といわしめたほどに高い評価と得た演奏だった訳ですが、私自身「どんな演奏なのだろう?」と気にはなっていたものの、BMGというレーベルのマイナー性が仇になったのか、次々に登場する話題性の高い演奏に目がくらんだのか、ともかく、これまで彼のマーラーをほとんど聴いたことがなくて、最近ではもうほとんど忘れたも同然になっていたのですが、1000円を切る廉価盤ということもあって、あれから四半世紀もたった今頃になってようやく聴くことができました。

 レヴァインの演奏の何が評価されたのかといえば、要するにマーラーの諸曲を「完全に古典化した交響曲」として割り切って演奏したということに尽きるんでしょう。なにしろ、70年代あまりまでのマーラーといえば、まだまだ海の物とも山の物ともつかないやたらと規模のでかい意味不明な交響曲というイメージが強く、それをワルターやバーンスタインが半ば啓蒙を兼ね、マーラーに殉じる十字軍のような気概で、必死に振っていたという構図でしたから、レヴァインのように若く、しかも独欧の伝統から完全に切り離された若い指揮者が、マーラーの音楽の持つ前衛性、同時代性のようなものを完全解決済みの問題として、マーラーを軽々と演奏したというのは、今になってみれば理解しがたいですが(なにしろ、現在では完全に古典化してしまいましたから)、やはり当時としては衝撃的なことだったんですね。もっとも、レヴァインという人の持つ、実にあっけらかんとした音楽的パーソナリティーというのも無視できない要素だとは思いますが。

 さて、実際に聴いてみた印象ですが、70年代にこれを聴いたら、そりゃ驚くよなぁ....というくらいにモダンな演奏で、現在聴いてもほとんど遜色ない、よく歌うけれど過渡に情緒的にはならない、前衛的な音響はおしなべて音楽的に処理.....という今風なマーラーとなっています。というか、これが「今風なマーラー演奏」の出発点なんでしょうが(笑)。とにかく徹頭徹尾、屈託のない乾いた明るさを持ったマーラーで、世紀末だとか表現主義だとかいう要素は薬にしたくともないといったところです。おまけにオケがフィラデルフィアですから、あのオーケストラ特有な原色系のオーケストラ・サウンドがその傾向を一層強めているという感じがします。なにしろこの時期のフィラデルフィアはまだまだオーマンディのご威光がたっぷり残っていたでしょうから、この演奏の持つちょっと金ぴかなブリリアントさ、ゴージャスさのようものは、ひょっとするとフィラデルフィアというよりは、オーマンディ・トーンだったのかもしれませんが。

 ちなみに音質ですが、楽器近接のマルチマイク・スタイルで録られた音のようですが、ややざらつくところはありますが、なかなかクリアな音質です。BMGの廉価盤はノイズリダクションをかけすぎて、とんでもなくぼやけた音になっていたものに過去であったことがあるので(小沢のストラヴィンスキーとか)、このアルバムも心配していましたが、どうやら新しいリマスターをしたらしく、鮮度感、音圧とも全く不足がありませんでした。こうなると他の曲の演奏も聴きたくなりますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CHICAGO TRANSIT AUTHORITY

2007年02月17日 12時45分47秒 | ROCK-POP
 私がロック関係の音楽を自覚的に聴くようになったのは、確か小学6年の最後の頃で確かビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ」を10chで放映したのがきっかけで、そこからラジオなども聴くようになり、ビートルズ以外のロックなども耳に入ってくるようになったのですが、その72年の初め頃、ニッポン放送や文化放送で頻繁にオンエアされていたので、シカゴの「クエスチョンズ67~68」という曲。この曲が日本で洋楽シングルとしてヒットしたのは多分もう少し前のことだったのかもしれませんが、とにかく来日に合わせていろいろな番組で大々的にオンエアされたので、すぐに覚えてしまったんですね。ドラムのフィルからから始まりブラスが先導するイントロのカッコ良さ、ピーター・セテラのパッショネイトなボーカル、サビの意外性などなど、とにかくロック的カッコ良さ満載なところが良かったんでしょうね。

 ともあれ、これをきっかけにシカゴのシングルは沢山買いました。「クエスチョンズ67/68」「長い夜」「僕らに微笑みを」「サタデイ・イン・ザ・パーク」などなど(ちなみに「クエスチョンズ67/68」がシングルに切られたのは71年の10月だったようです)....でも、私は当時LP盤を買うとしたら、どちらかといえばビートルズが欲しかったし、そうこうしているうちにブリティッシュ・ロックの方に入れ込んでしまうようになったことと、シカゴの自体も次第にAOR化してしまったことも併せて、結局現在に至るまで彼らのアルバムというのは、まともに一枚買っていなかったのですが、しばらく前に当ブログで継続的にやったサンタナ・レトロスペクティブ・シリーズ(?)に続いて、今度はシカゴでもやっつけてみようかなと、1枚目と2枚目を購入してあったのですが、今、ようやく1枚目の方を聴いているところです。

 さて、オリジナルタイトルは「Chicago Transit Authority」、ですが、私に限らずリアルタイマーには「シカゴの軌跡」の方がしっくり来ますよね。デビュウ・アルバムにして2枚組というボリューム、ブラス・ロックという新しいスタイル等、反体制的メッセージ性なとなど当時いろいろな話題性があった作品ですが、とにかく一曲目の「イントロダクション」だけでも圧倒されます。私はこのアルバムをきちんと聴くのは多分これが初めてですが、さすがにロック・ヴィンテージ化している曲だけあってこの曲は馴染みがありました。様々なリズムや楽想をブラス・セクションをともなって、めまぐるしく展開していく様は、今は聴いても斬新だしきわめて新鮮です。
 2曲目「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」はなんか現音系なピアノに始まりますが、基本的にはロバート・ラムらしい、バカラックの影響を感じるジェントルなミディアム・バラードで、改めて聴くと「結局、シカゴってさ、最初からこういうAORみたいなポップな側面があったバンドだったんだよな」とか思います。
 3曲目の「ビギニングス」も名曲で、こちらはアコースティックなギター・サウンドとブラスの組み合わせに始まり、次第にホットでかつ分厚いサウンドに展開していくあたりが、いかにも高カロリーで「ニューロック」を感じさせます。そしてこれに続くのが「クエスチョンズ67/68」、ちょいと地味ですがこれまたシカゴらしい「リッスン」という具合で、ここまでの5曲はほとんど文句のつけようのないロック・ヴィンテージですね。

 あと、気がついたところでは、「クエスチョンズ67/68」のB面に入っていたのが、旧C面の「アイム・ア・マン」で、当時は非常に地味な曲に聴こえたものですが、今聴くととても聴き応えのある典型的なニューロック・サウンドで楽しめした。旧D面をしめる社会性の強い組曲(なんでしょうね、あんまりそういう感じしませんが)は、後半のジャムっぽい「解放」が楽しいです。いかにもニュー・ロックっぽいインプロのタレ流しなんですが、トランスがかった熱気がいかにも60年代の残光を感じさせます。まぁ、曲調は「解放」というよりは、「お祭り」って感じですが....。垂れ流しといえば、旧B面最後の「ポエム58」と、続くC面の「フリー・フォーム・ギター」はテリー・キャスのギターの垂れ流しで、まさにこの時代だからこそ許された楽曲ですね(アル・クーパーの「月面軟着陸」とか思い出しました )。
 そんな訳で、非常に楽しめました。2枚目は既に購入済だから、このまま5枚目まで突っ走ってみますかぁ?>シカゴ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする