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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

私の愛機 [10] STAX SRM-717 (Ear Speaker Driver Unit)

2007年02月28日 20時17分21秒 | PC+AUDIO
 スタックスのヘッドフォン端子は通常のそれとは全く異なり、アンプのヘッドフォン・ジャックには絶対刺さらない、詳細は省くが早い話が専用のアンプが必要なのである。スタックスはこれをドライバー・ユニットと称しているが、これは昔も今も変わらない。こういう余計なデバイスが必要なおかげで、スタックスのヘッドフォンはいきおいマニアックな代物とならざるを得ず、いくら音質が素晴らしいと賞賛しても、仮に劇的に価格が下がることがあったにしても、おそらく今後も愛好家向けのスペシャルなデバイスでありつづけるのだろう。もっと手軽に使いたいでも....という思いは、実は私にもあるのだが、何年か使うと「そこがいいんだよ」みたいに変わってしまうのだ。まぁ、そのあたりがスタックス信者の信者たるところなのかもしれないが。

 さて、ドライバー・ユニットの方もこの20年、ヘッドフォン本体ほどではないが、いろいろ使ってきた。前のところにも書いたが、最初に使ったのはSRD-7MK2という、スピーカー端子から結線する代物で確か1985年くらいから10年近く使った(現在でもサブ・システムで活躍中)。その後、真空管で駆動するみるからにアンプのようなルックスをもった横長のSRM-T1Wにチェンジして、いかにも真空管らしい音に魅了され、5年くらい使った後、思い切って購入したSR007に前後して、やはり真空管で駆動するSRM-007tを購入した。価格的にいえば、両者の組み合わせは「スタックス最高のグレード」となり、そのリッチでシックな音はなかなかのものだったけれど、「最高のもの」が即自分の好みに合うとは限らない。前にも書いたとおり、結局、ヘッドフォンはLambda Nova Signatureに戻したのは、やはり歯切れのよいタイプが欲しくなったということなのだと思う。結局、ドライバー・ユニットも最終的にこのSRM-717というトランジスタで増幅するタイプにして、私のスタックス病はここ数年間は治まっているという訳だ。

 SRM-717の良いところは、やはり透明感、音の立ち方がシャープで自分の好み合っている点だ。SRM-007tの濃厚な肌触りも良いのだが、ロックやジャズだと多少モヤつくような印象がないでもなく、やはりいろいろ聴くならSRM-717かな....という予想で購入してきたらコレはどんぴしゃで当たった。以来、このヘッドフォン・アンプはほとんど不動である。あと、これの便利なところは、セレクターがなく、内蔵ボリュームのバイパススイッチを備えていることから、パワーアンプみたいにな形で仕えて、プリアンプと相性が良い....つまり、プリアンプで音量等をコントロールできる点だ。
 などと分かり切ったことをあれこれ書いてきたのは、これの後継機種であるSRM-727Aが出ていたことをさきほど知ったからだ。去年の11月発売でマイナー・チェンジなのかモデル・チェンジなのかよくわからないのだが、とりあえずなかなかの評判で、スタックス愛好家としてはヒジョーに気になるところなのである。
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ジャネット・ベイカー マーラーを歌う/バルビローリー&NPO,ハレO

2007年02月28日 00時07分27秒 | マーラー+新ウィーン
 ジャネット・ベイカーのマーラー歌曲集。収められた曲「亡き子をしのぶ歌」、「5つのリュッケルト歌曲集」、「さすらう若人の歌」で、伴奏はバルビローリ指揮のハレ管弦楽団(「リュッケルト」はニュー・フィルハーモニア管弦楽団)がつとめている(収録は67,69年)。ジャネット・ベイカーでマーラーといえば、72年にバーンスタインと共演した「亡き子」を先日とりあげたばかりですが、あれは5年振りの再録音ということになります。私はジャネット・ベイカーのことは英国出身のソプラノで、やたらと幅広いレパートリーでもって、60~70年代にかけていろいろなレコードで名前をみかけた人....くらいのことしか知りませんが、おそらくマーラーは得意のレパートリーだったんでしょうね。ベスト・セラーの「復活」とか「大地」の常連メンバーだったような気がします。

 さて、このアルバムですがお目当ては、やはり「亡き子」ということになります。5年ほど若い時期の録音ですが、歌そのものは基本的にあまり変わらないような気がしますが、こちらの方がスタジオ・セッション的に端正というか、割ときちんとコントロールして歌っているという感じ。こちらを聴くとバーンスタインとのパフォーマンスは一気に歌いきったようなライブ的感興のようなものがあって、秘めたる激情みたいなところをよく表現していたことがわかります。また、伴奏の違いもけっこう大きくライブ的なバーンスタインに対して、バルビローリはどちらかという瞬間、瞬間の美しさを描くのに注意を傾注しているという感じがして、時に音楽が止まってしまってるようなところもあり、かなり静的な演奏といえるでしょう(典型的なEMI調でまとめた録音というのも大きいと思いますが....)。それにしても、ベイカーの声というはとても安定感があり聴いていて安心できますね。ある種の母性を感じさせつつ。理知的な面にも不足しないというのが、特徴だと思いました。

 一方、「リュッケルト歌曲集」は「亡き子」とある意味対をなす、そこはかとない幸福感に満ちた歌曲集ですが、先に聴いたトゥーレルと比べると、格調は高い表現のように感じました。ちなみに「アダージェット」に酷似した「私はこの世に捨てられて」はハレとNPOの2ヴァージョンが入ってます(あっ、そうそう、この歌曲集の3,4曲目って、どうもマーラーのオーケスレーションじゃないような気がするなぁ)。
 更に「さすらう若人の歌」は伴奏のせいか、非常に重厚なパフォーマンスになっていて、これはこれでおもしろいとは思いましたが、ややこの曲にもともとあるはずの軽快さのようなものがどこかにいってしまって、違和感を覚えたのも事実ですねぃ。 
コメント (3)
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