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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

マーラー 交響曲第5番/アバド&ペルリンPO

2007年02月16日 23時06分44秒 | マーラー+新ウィーン
 先にとりあげたシカゴ響との80年の録音から13年後、当時芸術監督の立場にあったベルリン・フィルとライブにて再録されたものです。これを録音した時、アバドは60歳、ということは現在73,4歳ということになるんでしょうけど、なんかこの人、風貌が若いせいか、いつまでたっても「グラムフォンの若きスター指揮者」みたいなイメージあるんですよね。1933年生まれといえば、あの高度成長期の象徴、ジャイアンツの長島茂雄より更に年上ってことになる訳ですが、世相とクラシック界は流れてる時間が違うのか、そういう世代の人だったというのはにわかに信じがたい気がします。

 閑話休題、シカゴ響との演奏との比較ですが、シカゴとの演奏は録音にせよ、演奏にせよスタジオ録音らしく細部まで磨きこまれた非常に完成度の高い演奏だったとすると、こちらは生演奏っぽいラフな....といっては語弊がありますが、良くも悪しくもライブ特有な即興的なノリが特徴という気がします。うまく表現できないですが、シカゴのそれが40代のアバドがマーラーの第5という作品に対峙した総決算的なものだったとすると、こちら90年代のアバドが同曲でみせる解釈のひとつ....みたいな感じがするんですね。第4楽章なんて、今回はわずか9分たらず演奏していますが、聴いていて、何故だか演奏会によってはもっと遅かったりするだろうななんて思ってしまうんですね。ともあれ、そういう即興的な感興がこの演奏から感じとれます。まぁ、ライブ収録という先入観でそう感じているだけなのかもしれませんが....。
 あと、旋律の歌い回しという点では、さすがに13年という歳月の賜物なのか、コクがあり、ある意味巨匠的な風格を感じせます。一方、リズムのキレ、壮麗さという点ではやや枯れてしまったなという感じあって、このあたりは一長一短という気がしますが、個人的にはシカゴの演奏の方が好きかな。

 ちなみに音質は非常に良好です。シカゴとの演奏は比較的ホールトーンが豊かな録音スタイルでしたが、こちらはそれに比べると楽器に近接したデッドな音で、ある意味生々しいと形容したい音質です。今はライブでここまで鮮度の高い、いかにも物理特性の高そうな音が録れてしまうんですね。最近のメジャー・レーベルの新譜はライブが非常に多いようですが、経済的な理由の他にも、こういう背景もあるんでしょうね。
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マーラー 交響曲第5番/アバド&シカゴSO

2007年02月16日 00時20分01秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらは今回のマーラー第5特集(?)に合わせて購入したものです。80年の録音ですからアバドがシカゴの主席客演指揮者をやっていた頃の録音で、当時のアバドは中堅から巨匠をなりかける飛躍期にあたり、シカゴとの相性は抜群、録音も優秀とあって発売直後からとても評価の高かった演奏のように記憶しています。当時はCD2枚組で購入すると五千円以上という価格に手がでず(既にカラヤンの演奏をCDで購入してしまったいたから....)、指をくわえて、レコ芸等の評価だけ読んでいたというアルバムでもありました。当時はそういうの実に多かったです、貧乏だったんですね、いや今でも貧乏ですが(笑)。

 演奏ですが、オケがシカゴで録音が80年ということで、もう少し鋭角的でシャープな演奏を予想していましたが、思いの外柔軟な演奏という印象でした。録音のせいもあるでしょうが、売り出し中だった70年代前半の頃とやや腰高なイメージと比較すると、全体に腰が据わった響きでもって、音楽の核心を骨太に表現していく表現スタイルになっているような気がします。それにしても見事なのは、全編に渡ってもう的確としかいいようがないテンポとリズムです。とにかく全編に渡って、妙な違和感や気を衒ったエキセントリックさが皆無で、とにかくスムースというのはちょっと違うと思いますが、とにかく感覚的に気持ちいい運動性のようなものが全編を貫いているのがいいです。これが古典派のモーツァルトなんかだと、妙な生硬さを感じさせりする訳ですけど、マーラーだとそういうところを一切感じないのはなどうしてなんでしょうかね。ちょっと不思議です。

 また、メインの旋律とその背後で鳴っている様々な要素との絶妙なバランスですね。これまた録音スタイルに大きく関わってくることなのかもしれませんが、アバドの演奏は細部が実に良く聴き取れます。つまり「おや、ここでこんな音なっていたんだ」と思わせるところが随所に出てくる訳ですけど、そういう部分が単に高解像度と音の良さを感心させるのではなく、すぐれて音楽的な響きほさせて、日頃聴こえない音を聴こえてくる必然性のようなものを感じさせてくれる点が素晴らしいと思います。例えば、一見ばらばらな音を際限なく繰り出してきているようなイメージのある第3楽章など、ある意味、構成する音を解体しつつね、なぜか程よくまとまってもいるという、そのあたりのバランス感覚はやはりさすがというべきでしょう。

 そんな訳で、とても聴き応えのある充実した演奏と感じました。実はアバドによるマーラー第5はこの後のベルリンとの再録盤を数年前に購入しているのですが、あちらは聴いていてほとんど印象に残らない演奏だったので、あまりの印象の違いにちょっと驚いているところです(こちらも近日中に聴き返してみる予定ですが....)。
 なお、録音は全体としてはホールトーンをかなり取り入れてマスの響きを重視した今風なものですが、一面70年代のマルチマイク風な解像度至上主義みたいな音づくりも残っていて、一種の過渡期を感じさせます。これが83年の「幻想」なんかになると、もう完全に今風なほとんどワンポイントといいたいような響きになるんですけどね。
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