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マーラー 交響曲第5番/メータ&ロスアンジェルスPO

2007年02月06日 12時51分36秒 | マーラー+新ウィーン
 1月中旬くらいにクーベリックによるマーラーの第9番を聴いたあと、同曲をテンシュテットとロンドン・フィルの演奏で聴いて、そのまま彼の5,6,7番をつまみ食いしているうちに、久しぶり5番をあれこれ聴いてみたくなり、ここ2,3週間いろいろ聴いています。今回は日頃あまり聴かない人をということで、テンシュテットの他、クーベリック、ハイティンクの旧盤(ACCO)、メータの旧盤(LAPO)あたりを重点的に聴いていますが、今回はメータとロス・フィルの往年の演奏を取り上げてみたいと思います。

 記憶によればメータとロス・フィルといえば、60年代後半から70年代中盤あたりまで、デッカの看板スターであり(グラムフォンのアバドの対抗馬だったですよね、確か)、割と派手なレパートリー(後期ロマン派の大規模な交響曲、管弦楽曲中心)をデッカ特有の優秀録音で連打していたというイメージがありますが、この曲もその時期、多分70年代前半に収録されたものです。当時のメータは全集には至らなかったものの、かなりマーラーを録音していてある意味マーラー指揮者のような評価も得ていたと思いますが、巷のこれの評価はどの程度だったんでしょうか?。ちなみに私がクラシックを聴き始めた80年代初頭頃といえば、マーラーの5番といえばショルティ、カラヤン、テンシュテット、あとバーンスタインあたりが評価が高く、この演奏が話題になることはあまりなかったように思うんですが。

 さて、演奏内容なのですが、個人的にはどうもピンときません。先月のニューイヤー・コンサートのところで、「メータのリズムとかテンポってどうも自分と絶妙に合わないんですよねぇ」などと不遜なことを書きましたが、この演奏もその典型という気がします。うまくいえないんですけど、じっくり克明に表現してもらいところは風のようにさらりと演奏し、ドライブして欲しいと思うところでは何故が腰か重くなる....とでもいったらいいか。
 例えば第1楽章の冒頭、トランペットの葬送ファンファーレの後など、いくらなんでも飛ばし過ぎだと思いますし、随所に現れる暗い叙情が充満した旋律の謳い方なども、今一歩あっさりし過ぎな感じがします。第2楽章の荒れ場でも音的には確かにダイナミックではあるんだけど、あんまり深刻な感じがしないのが難点ですし、生意気なこというとウィーン風な第3楽章にも雰囲気がかけているような気がしないでもないです。もっとも後半のふたつの楽章はあまりこねくり回さないところが、かえってこの楽章の優美さだとか壮麗さのようなものに合っている気がしてさほど違和感はないんですが....。

 ちなみに録音はかなり優秀です。同時期のショルティ&CSOに匹敵するアナログ末期典型の、弾力性に富み、ほんの少し角を丸めたデッカ特有のハイファイ録音といえます。もっともショルティ&CSOのような切り込むような凄みはないですが、これはこれでとても気持ちのよう音ではあります。
コメント
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