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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

花粉症?

2007年02月26日 12時06分30秒 | others
 どうも先週の週末あたりから体調が良くない。くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみ、頭がぼやっとするという症状だったので、土曜の午後、出張の帰りにかかりつけの医者にいったところ、あっさり「アレルギー性鼻炎」といわれた。つまり花粉症である。そういえば、今年は暖冬だしニューズなどでも、「例年より花粉の飛散が10日早い」みたいな報道もされているので、「やっぱ、そうなのかなぁ」と思っていたが、今朝になって咳と喉の痛み、そして発熱まで始まった....本当に花粉症かこれ?。ともあれ、もやはダウン、仕事を休んでしまった。

 さっきもう一度医者に行って診てもらおうと、ベットからむっくり起きあがってきて、ぼんやりしながらネットでいろいろ調べてみると、花粉症でも発熱はするし、後鼻漏といって咳がでるのも珍しくないらしい。やっぱ花粉症だろうか。私はアレルギーみたいなものとは、ほとんど無縁なガサツな人間を自称してきたので、ちょっと信じたくない気もするが、そういえばここ数年、毎年春先になるとこういう症状が出ている気もするが、やっぱそうなのか?ってか、早く気が付けよという感じなのかな(笑)。

 ちなみに、写真は医者からもらってきたリノコートという薬の説明書に出ていたもので、充填と噴射という2ステップで鼻孔に薬をスプレーする。これを寝る前に使うと、寝ている間に気になって目がさめてしまう、あのいやーな鼻づまりが大分ラクになるというすぐれものな薬で、このところ毎日お世話になっている。
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マーラー 亡き子をしのぶ歌/ベイカー,バーンスタイン&ニューヨークPO

2007年02月26日 00時13分46秒 | マーラー+新ウィーン
 先にメモった時に聴いた「亡き子をしのぶ歌」は、ジェニー・トゥーレルとバーンスタイン&ニューヨークPOが組んだ60年のパフォーマンスでしたが、こちらはトゥーレルがジャネット・ベイカーに替わった布陣で72年収録されたもので、どちらもバーンスタインのマーラー全集の旧盤に収録されている訳ですが、「亡き子をしのぶ歌」が収録されているのは珍しいことではないにしても、2種類入っているというのは珍しいと思います。そういえばこの全集、第5の「アダージェット」とか第8の第一楽章とかも入っていて、まぁ、サービス満点というとこなんでしょうね。

 さて、ベイカーの「亡き子をしのぶ歌」ですが、ジェニー・トゥーレルが割とこの曲の浮世離れした美感のようなものを超然と表現していたに比べ、ベイカーはもう少しウォームでウェットな情感を表現をしているように思います。この曲はご存知のとおり原詩を作ったリュッケルトの子供が16日の内に相次いで死ぬという悲しい出来事に端を発して作られた詩篇集の中からマーラーが5つ選んで歌曲化したものですから、子供の死を悼むという感情が全面に出ている歌曲集な訳ですけれど、そういう悲しみとか絶望感のようなものはベイカーの方がストレートに伝わってくると云いかえることもできるでしょう。また、ベイカーは豊かな声量があり、割とオペラティックなドラマを感じさせる歌唱も随所に見せ、起伏という点でもトゥーレルよりメリハリがあります(音質も72年で物理特性がそもそも良いのかノイズのダクションがほとんどなしで、生々しい鮮度があります)。

 それと今調べてみて分かったんですが、ジェニー・トゥーレルってこれを録音した時、既に60歳を超えた大ベテランだったんですね。この時期は晩年のワルターみたいに音楽活動といえばレコーディング(それもバーンスタインとの共演のみ)だけだったようですが、てっきり当時のバーンスタインに気に入られたアメリカの中堅ソプラノくらいに思っていたので意外でした。ベイカーと比べても、むしろモダンと形容したい、プロポーションの良い彫像を思わせるスタティックな美声はとても魅力があります。 
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マーラー 亡き子をしのぶ歌/トゥーレル,バーンスタイン&ニューヨークPO

2007年02月26日 00時05分01秒 | マーラー+新ウィーン
 今回のマーラー第5特集の副産物として、これまでどうにも馴染むことの出来なかった「亡き子をしのぶ歌(Kindertotenlieder)」を何となく好きになれたことがあげられます。この曲はマーラーの中期交響曲と主題とかムードとか比較的密接な関係があるそうですから、第5を集中的に聴いたせいで、この連作歌曲を好きになれる下地ができたと、勘ぐって勘ぐれないこともないですが、恐らくあまり関係なく、単なる偶然でしょう(笑)。ともあれ、この全編に渡って沈痛なムードが充満し、これといった起伏のない冴えない作品と思っていたこの連作歌曲集がしっくりと耳に届き、「あぁ、いい曲だなぁ」と思えるようになったのは、私としては快挙です。という訳で自分用のメモとして、この連作歌曲集の5曲を内容をちょっとメモっておきたいと思います。

1楽章「いま太陽が燦々と昇ぼろうとしている」
 クラリネットのもの悲しい旋律で幕を開けることの曲は、どことなく厳かでそこはかとないエキゾチックなムードがあって独特な美しさがあるけど、それは第6番の第3楽章のそれに酷似している....というかそのものである。どうしてこれまで気がつかなったのだろう。ついでにいうと第5番の第一楽章の終盤近く、この曲と同一テーマが出てくるのは有名な話。

2楽章「いま私はわかった。なぜそんな暗い炎を」
 前曲が第6番の緩徐楽章に似たムードだとすると、こちらは第5番の「アダージェット」に近いような気がする。また「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲に似た緊張感のようなものもある。全体としては既視感と官能が交錯する流れの中で、歌は何度か絶叫しかけるが、その都度諦めの中に消えていく。

3楽章「おまえたちのおかあさんが戸口から歩み入るとき」
 哀愁のある旋律でムードもオーケトレーションも1楽章に近い感じ。寂寥感感あふれる木管楽器とボーカルの絡みが絶妙。重い足取りを感じさせる律動がちょっと「さすらう若人の歌」の第3曲を思い起こさせるものがある。

4楽章「よく私は子どもらはただ散歩に出かけただけだと考える」
 これも第6番の緩徐楽章に非常に似たムードがあるが、色彩的にはやや明るめ、楽曲の推移としてもこの曲あたりで曙光が見えてくるというところなんだろうか。

5楽章「こんな嵐のような天候の中へ」
 こちらは第6番の第1楽章のダイナミズムを思わせるオーケストレーションが特徴か、これまでずっと抑圧してきて、ここに来てそれが解放されるような趣があるけれど、明るい結末というよりは、暗い決意のようなものを感じさせるが、最後の最後でなんとか長調で安寧なムードで結ばれるにはほっとする。
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