恥ずかしながら、この名作を私はきちんとした形で聴くのは、今回が初めてのような気がします。このアルバムが発売になった頃といえば、日本でもバンクとかニュー・ウェイブ、あとテクノといった音楽がシーンを席捲していた時期であり、私もそうした音楽をあれこれ聴きながら、なんとかシーンについていこうと必死になっていた頃でしたから、まさにそうした時期、大御所の新作が出たところで、なんか出し遅れの証文のように感じてしまい(思えば、そのくらい短期間にロック・ミュージックの大々的地殻変動が起きたというのも凄いことですが....)、結果的に手を出さないまま、今に至ったってなところだと思います。
さて、このアルバムは有名な話ですが、「ワイアード」と同様ヤン・ハマーとのコラポレーションのような形でアルバムが制作され、一旦は完成をみるものの、ベックがその仕上がりに不満を感じ、ハマーに変わって、キーボードにトニー・ハイマスを向かえて録音し直した結果、出来上がったアルバムがコレ....ということになるようです。出来上がったアルバムは冒頭の3曲がハマーとのセッションでの曲、残り5曲が新布陣によるものと、割とメンツの違いがイコール音楽の違いになっていることが歴然とした構成です。これはベックが主としてパートナーの作った曲を素材として取り上げることが多い関係上、仕方ないことなのかもしれませんね。
ともあれ、前半の3曲はゴリゴリしたテクニック史上主義的な面とファンキーでポップが妙な具合に混在するハマーらしい楽曲が並んでいて、それこそ前作「ライブ・ワイアー」の続編のような仕上がりになっているのですが、ハイマスがパートナーとして加わった後半では、同じようなフュージョン路線とはいえ、彼の楽曲の方が大分ナチュラルでストレートにベックのギターをフィーチャーしているような気がします。要するハイマスはあまりハマーのような「オレがオレが」的な自己顕示性がなく、アンサンブルの中でさりげなく自己の優秀性をアピールするタイプのようなのが(アコピを多用するあたりにもそういうところが感じられます)、ベックには気に入られる要因にもなったんでしょうね。
という訳で、後半は結果的に「ブロウ・バイ・ブロウ」的な滑らかな流麗さに回帰しているともいえます。おそらくベックとしては「ハマーは確かに凄いけど、あいつと汲んだら軒を貸して母屋とらちまう」とでも思ったんじゃないですかね。旧セッションと比率が3:5というのが、なんかベックの心境物語っているようで微笑ましいです。
ちなみに、曲目としてはハマーと「Stra Cycle」、ハイマスがハマー役となってバトルを繰り広げる「Space Boogie」が圧巻です。後AORみたいな「The Goldden Road」も良かったな。
さて、このアルバムは有名な話ですが、「ワイアード」と同様ヤン・ハマーとのコラポレーションのような形でアルバムが制作され、一旦は完成をみるものの、ベックがその仕上がりに不満を感じ、ハマーに変わって、キーボードにトニー・ハイマスを向かえて録音し直した結果、出来上がったアルバムがコレ....ということになるようです。出来上がったアルバムは冒頭の3曲がハマーとのセッションでの曲、残り5曲が新布陣によるものと、割とメンツの違いがイコール音楽の違いになっていることが歴然とした構成です。これはベックが主としてパートナーの作った曲を素材として取り上げることが多い関係上、仕方ないことなのかもしれませんね。
ともあれ、前半の3曲はゴリゴリしたテクニック史上主義的な面とファンキーでポップが妙な具合に混在するハマーらしい楽曲が並んでいて、それこそ前作「ライブ・ワイアー」の続編のような仕上がりになっているのですが、ハイマスがパートナーとして加わった後半では、同じようなフュージョン路線とはいえ、彼の楽曲の方が大分ナチュラルでストレートにベックのギターをフィーチャーしているような気がします。要するハイマスはあまりハマーのような「オレがオレが」的な自己顕示性がなく、アンサンブルの中でさりげなく自己の優秀性をアピールするタイプのようなのが(アコピを多用するあたりにもそういうところが感じられます)、ベックには気に入られる要因にもなったんでしょうね。
という訳で、後半は結果的に「ブロウ・バイ・ブロウ」的な滑らかな流麗さに回帰しているともいえます。おそらくベックとしては「ハマーは確かに凄いけど、あいつと汲んだら軒を貸して母屋とらちまう」とでも思ったんじゃないですかね。旧セッションと比率が3:5というのが、なんかベックの心境物語っているようで微笑ましいです。
ちなみに、曲目としてはハマーと「Stra Cycle」、ハイマスがハマー役となってバトルを繰り広げる「Space Boogie」が圧巻です。後AORみたいな「The Goldden Road」も良かったな。