続く「ラッキー・セブン(`93)」も大筋では「ペパー・ランド」の延長線上の作品である。自らドラムスを叩いているのがよほどうれしかったのか、今回もジャケには誇らしげにドラムスに陣取っている森高が写っているが(次のアルバムでもその傾向は増長している)、しかし、彼女のアーティスト性とはしょせんその程度のものだったのだろうか、と、発売当時は気が滅入ったものだ。ただ、このアルバムには「渡良瀬橋」とか「私の夏」といったヒット曲が収録されているので、前作よりはいくらか華やいだ雰囲気はある。
「ステップ・バイ・ステップ(`94)」も前2作と同様の路線だが、ようやく音楽の核となるようなものを掴みはじめたような気配が感じられるアルバムとなっている。彼女の詩もごく普通の日常性に基づいたものにかわってきており(バブル崩壊との関連を指摘する論評が全くないのは不可思議なことではある)、サウンド面とも違和感がなくなってきた。また、サウンド面でもそれなりに収斂されたようなところも見受けられる。が、そうはいってもやはり地味なのだ。キワモノであれ、ロック風サウンドであれ、そこに音楽的な何かを見いださせなければ、なんの価値もあるまい。両者を天秤にかけた時、この時期の森高の音楽のヴォルテージは明らかにキワモノ時代に負けてしまっているのであった。
「ステップ・バイ・ステップ(`94)」も前2作と同様の路線だが、ようやく音楽の核となるようなものを掴みはじめたような気配が感じられるアルバムとなっている。彼女の詩もごく普通の日常性に基づいたものにかわってきており(バブル崩壊との関連を指摘する論評が全くないのは不可思議なことではある)、サウンド面とも違和感がなくなってきた。また、サウンド面でもそれなりに収斂されたようなところも見受けられる。が、そうはいってもやはり地味なのだ。キワモノであれ、ロック風サウンドであれ、そこに音楽的な何かを見いださせなければ、なんの価値もあるまい。両者を天秤にかけた時、この時期の森高の音楽のヴォルテージは明らかにキワモノ時代に負けてしまっているのであった。