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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

日本作曲家選輯

2007年02月13日 21時32分50秒 | クラシック(20世紀~)
 確か2001年に始まったナクソスの日本作曲家選輯シリーズですが、すぐにポシャるかという危惧をよそに、もう6年目に突入しています。こんな勇気のある企画は本邦ですからなかなか難しいことですから、邦人としてナクソスの英断には拍手をおしまないつもりではあり、気がつくとまめに購入しているものの(なにしろこの手のシリーズをいろいろと平行しているナクソスなので、速攻買わないとすぐに廃盤になってしまいそう)、年間数枚づつ5年以上経過してきたことから、なにがどれだけ出て、自分はそのどれをもっているのか、そろそろ分からなくなってきました。

 で。先ほどいろいろ調べてみたところ、もうすぐ発売になるらしい安部幸明を入れて19枚であることが分かりまして、その中で私の持っていないのは、武満の2枚目だけでして、実はもうすこし持っていないのもあるかとも思っていたのですが、とりあえず私のコレクター的嗅覚はまだ大丈夫そうです(でも昔だったら、一枚ももらさないかもなぁ-笑)。で、これについては、さきほど発売予定の安部作品集と一緒に注文しましたので、とりあえずコレクター的物欲は満足したとしても、困ったのはこのシリーズの私はその中身をとんど聴いていないことなんですね(おいおい-笑)。

 一応、開封したのですら、日本管弦楽名曲集、橋本國彦、山田耕筰、大栗裕、伊福部先生くらいのものじゃないかと思います。戦前の日本のクラシック・シーンが垣間見れる橋本や山田作品など、聴けば味わいも深かったし、発見もあったりして、楽しく聴けることこの上ないのですが、どうも未知の分野には腰がひけてしまうのもまた事実....。
 という訳で、今年はこのシリーズを集めるだけじゃなくて少しは内容を味わってみたいと思います。一応、先生と橋本のアルバムはレビュウ済みですから、次は山田耕筰でもレビュウしてみようかぁな?。

■ 日本作曲家選輯シリーズ
01 日本管弦楽名曲集 8.555071J
02 大栗裕   8.555321J
03 山田耕筰  8.555350J
04 矢代秋雄  8.555351J
05 武満徹   8.555859J
06 橋本國彦  8.555881J
07 松平頼則  8.555882J
08 芥川也寸志  8.555975J
09 諸井三郎  8.557162J
10 大澤壽人  8.557416J
11 伊福部昭  8.557587J
12 深井史郎  8.557688J
13 黛敏郎   8.557693J
14 武満徹 II  8.557760J
15 別宮貞雄  8.557763J
16 早坂文雄  8.557819J
17 大木正夫  8.557839J
18 山田耕筰 II  8.557971J
19 安部幸明  8.557987J
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マーラー 交響曲第5番/ショルティ&シカゴSO

2007年02月13日 12時42分02秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらも大物、ショルティとシカゴ響による70年の演奏です。全く個人な印象ですがこれはカラヤンとベルリン・フィルと並んでもっとも納得しうるマーラー第5のパフォーマンスです。もっとも、聴こえてくる音響的や歌い回しやテンポなどカラヤンとはかなり対照的なんですが、これはこれで極めてマーラー的な演奏に聴こえるのが、指揮者の解釈、オーケストラ演奏の妙なのでしょう。ともかく力でゴリゴリと押しまくる指揮者に、高性能かつハードボイルドな音色をメルクマールとするオケが一体となって、黒塗りの豪華なアメ車が高速で突っ走っているような、ダイナミックな運動感が特色です。

 マーラーの音楽は、世紀末だとか、表現主義だとか、いわゆる文学的なキーワードで解釈することも重要でしょうが、反面、絢爛たるオーケストレーションでもって構成された音の洪水を楽しむみたいな側面も忘れてはならない訳で、この演奏はそうしたオケにとっては難物の複雑なオーケスレーションを得も言われぬスポーツ的快感で、颯爽の演奏しているだけでも価値があるでしょう。日本人は大衆小説と純文学を比較すると、純文学を無条件で偉いと思いたがる傾向があって、マーラー演奏でも「意味深で重い演奏」を無条件で持ち上げる傾向がありますけど、こうした楽曲につきまとう様々な要素を意図的に排斥したようなこの演奏からも、音楽的高揚感のようなものはきっちりと表現されていることも忘れてはいけないでしょう。つまり、マーラーはその音楽に優れて文学的なメッセージを込めたかから素晴らしいのでなく、単に優秀な音楽を作ったから素晴らしいのだ....ということをこの演奏は教えてくれるとでもいったらいいか。

 ともあれ、非常に活気に満ちた素晴らしい演奏です。ショルティならではダイナミズムといえば、前半の三つの楽章にトドメをさすといえますが、第4楽章のやや早めのテンポで運んだ歌いっぷりも、十分に雰囲気は伝わりますし、高性能なアンサンブルが一瀉千里とばかり突き進む第5楽章の快感もなかなかで、やはり私にとっては非常に納得できる演奏です。ついでにいえば、録音も極めて優秀でシカゴらしいドスの効いたバスに切り込むような弦楽器や木管のクリアさなど、70年代までの演奏という注釈付きですが、あの「指輪」の名録音を一歩進めたほとんどオンリー・ワンともいえるハイファイ録音なのがいいですね。
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マーラー 交響曲第5番/カラヤン&ベルリンPO

2007年02月13日 00時01分04秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの5番を巡る聴き比べもいよいよ佳境、ただし、時代は再び遡って70年代の大物が登場します。カラヤンとベルリン・フィルが満を持して発表した73年の演奏です。この時期、70年代中盤といえば、現代音楽と呼ぶにはモダンすぎ、現代音楽というにはあまりにロマン派な情緒が濃厚すぎる音楽といった感の強かったマーラーが、ベートーベン並みの人気作曲家として、いわば古典化するまっただなかという時期だったように思いますが、当代随一の指揮者とオーケストラが取り上げたということで、マーラーの古典化がいよいよ加速したことは想像に難くありません。私はこれをリアルタイムで聴いた訳ではありませんが、いつの時代にもいるカラヤン嫌いは別として(笑)、一般的にも評判は良くもある種画期的な名演と呼ばれていたような気もします。

 さて、今回久しぶりにこの演奏を聴いた印象ですが、テンシュテットとロンドン・フィルの演奏に近いものを感じたのが意外でした。もちろんカラヤンのことですから、テンシュテットとは比べものならないくらいに、ディテールの精緻さ、サウンドの美麗さなどは際だっていますが、どっしりとしたバスを底辺にしっかり配置して基礎をしっかり固めた上に、ピラミッド状に各種楽器群の音響を積み上げて、実に安定度の高い重厚なオーケストラ・サウンドになっているあたり共通点を感じたのです。
 第一楽章の荒れ狂うトリオなど、テンシュテットのようになりふりかまわないようなところはカラヤンにはありませんが、それでも「表現主義とはこういうものだ」的見識で十分にオケを暴れさせていくあたり、結果的に似たような音響になっていますし、テンシュテットがなさそうでしっかりもっていたモダンさようなものと、カラヤンが無理してマーラーを古典的交響曲として演奏した背伸びした感覚は、結局同じ方向を向いていたのではないかと思ったするんですね。違うかな。

 それにしても、カラヤンの第5の演奏はいいです。CDで聴き込んだせいもありますが、テンポも表情、バランスといったところが全編に渡って非常に納得できますし、随所に鏤められた、この時期のカラヤンとベルリン・フィルにしか成し遂げられないような、もはやSF的といってしまってもいいような高度な精緻さに裏打ちされた壮麗さなど、「やっぱ、カラヤンってすげえな」と素直に思ってしまいますね。
 あと、誰もがいうことですが、第4楽章「アダージェット」の薄明の美といった感じの演奏は、筆舌に尽くしがたいものがあります。この楽章に限らず、カラヤンはマーラーの音楽を「魂の告白」として演奏するより、努めて「交響曲の古典」として割り切って演奏していますが、第4楽章もチャイコの「弦楽セレナード」のように演奏するつもりが、なかなかそこまで軽くなれなかったというところがあるようです。これはカラヤンの世代(マーラーの存命中に生まれている)故なんでしょうが、人工美などと一言で切り捨てるには、あまりに切ない演奏になっているあたりが妙であります。

 ちなみにこの演奏はCD最初期に出たアナログ盤と同じ2枚組と、the Originalシリーズの一枚として96年にリマスターしたものを聴いてみましたが、後者の「音が立っている」という感じの整音はなかなかのもので、アナログ末期の情報量豊富だが、やや飽和気味という音を上手に整理していて、納得できるリマスターとなっています。
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