作曲家の人と作品「マーラー」村井 翔
2004年 音楽之友社
音楽家のグスタフ・マーラーは1860年チェコ共和国で次男と
して生まれ、4才の頃からアコーディオンを弾きこなした。
6才で作曲した。15才でウイーン音楽院に入学、作曲と演奏を
学ぶ。この年に、弟を心臓病で失う。
18才で卒業した。29才の時、父母を相次いで失う。
35才の時、もう一人の弟が21才で自殺する。
37才でウイーン宮廷歌劇場監督となる。
41才の時、《亡き子をしのぶ歌》を作曲する。この年、画家の
娘で22歳年下のアルマ・シンドラーに求婚し42才で結婚し
た。同年、長女マリア・アンナが誕生した。
47才の時、マリアを4才8ヶ月で失った。マーラーも心臓病を
発症した。49才でニューヨーク・フィルハーモニーの主席指揮
者に就く。50才で心内膜炎で死去。
《亡き子をしのぶ歌》の歌詞はフリードリッヒ・リュッケルトに
よるが、リュッケルトは自分の子供を失ったときにこの詩を書い
たという。 マーラーの長女マリアは猩紅熱とジフテリアで死ん
だ。マーラーは《亡き子をしのぶ歌》の歌詞に作曲したが、それ
はこの愛娘が死ぬ3年前のことであった。まさに運命を予感し
たような不思議な出来事であった。そしてマーラー自身も娘の
死から3年後に死んだのであった。死因は心臓病であったそう
であるが、可愛がった長女マリアの死への悲痛と、早すぎた弔
いの曲への複雑な想いとがその死の原因といえないだろう
か。その3年間、妻のアルマは他の男性と不倫のなかにあり、
マーラー自身は心臓病の悪化に苦しみつつ最後の音楽活動
に励んではいたのであった。
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モーツアルトも若くして亡くなって偉大な人は何故か短命なのが惜しまれます。
マーラーと言えば難しい交響曲ばかり「復活」ぐらいしか知りませんが、他の作曲家と異なることは指揮者としても素晴らしかったと覚えてます
マラー没後100年だそうです
NHKでも教育テレビでマーラー特集を組んでやっていますね
彼らだけでなく、多くの人々の生と死を見るにつけ、
人間という存在の哀しみというものを感じますよ