”農”と言える!?

元・食推おばさんのソムリエ日記

ボージョレ‐よりもえびす講

2015-11-20 07:20:15 | ブログ

今日、11月20日は、えびす講。

静岡市の西宮神社のえびす講よりも

約1ヶ月遅れということになります。

  

この時期になると、スーパーには

えびす講コーナーが設けられ、

葉付きの大根や

 

  

鯛が売られます。

 

  

  

 

ボージョレーが解禁になったというのに、

ワインは片隅に追いやられ、

えびす講コーナーがどっしりと構えています。

  

静岡市に住んでいた頃は、

えびす講は、単なる神社の年中行事のひとつと思っていましたが、

西部地域で暮らすようになって、

人々の生活の中に息づく伝統行事であることを知りました。

  

西部の食育のイベントなどで、

伝統食や行事食をテーマにグループワークを行うと、

一番盛り上がるのが、えびす講。

「うちは、こんなふうにやるの。」

「いや、うちの方はこんなものを作るよ。」

など、活発な意見が飛び交います。

  

葉付きの大根と尾頭付きの鯛が

えびす講の新しいお札とともに飾られるというのは

共通のようですが、

生きたままの魚(ふな、鯉、めだか)を

鉢に入れて供えるところもあるようです。

  

行事食としていただくものも、

根菜やきのこ、昆布の煮しめ、はんぺん、大根なます、

煮魚、果物など。

ご飯は、お赤飯、蕎麦、桜ご飯、茶飯、亥の子餅など

数々のお料理が作られているようです。

  

どうして、お供え物やお料理にも違いがあり、

そして、こんなに盛り上がるのか?

ずっと不思議に思っていましたが、

偶然、伝統食にお詳し先生にお話を伺うことができました。

  

 

えびす講は、えびす様にねぎらいのご馳走をする行事ですが、

他の伝統行事との違いは、

自分たちが主役になれる行事だから・・・なのだそうです。

言い換えれば、すべて自分たちの暮らしに

反映される行事だから・・・と言えるでしょうか?

  

商人の町では商売繁盛を、漁師の町では豊漁を、

山里では豊作をお守りしてくださるように

願いを込めます。

 

それぞれの願いが、お供え物やお料理という形になって

表現されているのでしょう。

 

えびす講の「講」は「同じ信仰を持つ人の集まり」を意味します。

しかし「講」とは言っても、

えびす講は各家庭が基本となって行うことです。

その家の生業や地域によって違いがるのも当然のこと。

  

しかし、どんな形にせよ、各家庭の益々の繁栄を願った

この行事(信仰)が生き続けている様子を、

私はスーパーの陳列から、季節の風物詩として楽しんでいます。

 

  

※えびす講については、こんな記事も書いています。


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