UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

おっちょこちょいのムサシは死んでもボクたちは死なない

2016-09-07 01:09:49 | 日記

昨日の昼過ぎ、勝手口をトントンとたたく音がしました

「簡易書留です、サインお願いします」と郵便屋さんの声、ドアを開けて、サインして郵便物を受け取りましたら郵便屋さん曰く

「あそこに蜂の巣がありますよ!」

「そうなんや、7月ごろからあそこにがんばっているのや、うっかり触れて刺されてもかなわんしなあ・・・」

郵便屋さんの指さす方向に目をやりましたら、あのハチの巣、なにか以前と様子が違います

今日の写真はこの蜂の巣の様子を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。以前の蜂の巣の様子は723日の日記に載せましたので、お手数ですが以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20160723

7月の日記に書きましたように、蜂の巣は最初わがサザンガーデンのデッキに面している網戸の外側、床面に近い位置にありました、GGIは網戸を勢いよく開けたときにこの蜂の巣を発見したのですが、そのとき蜂の巣を覆っている殻の部分は網戸の端っこに引っかかって、巣から外れて床に落ちてしまいました。7月23日の日記に付した写真をご覧いただきますと、殻が床に落ちているのがわかります。

ところが昨日目にした蜂の巣、7月23日の写真とは異なり、上半分(灰白色の部分)にリッパな蜂の巣の殻の構造が新たにできているようであります!

どうしたことでありませうか。ハチ君たち、GGIに巣を発見されて殻が剥がれ落ちてしまった後に、営々と巣の再建工事を行っていたのでありませうか・・・

巣をGGIに発見されてしまった日の夜、きっとハチ君たちは話し合ったのです

「おい、みんな集まれ、あのアホGGIのオッサンのおかげで蜂の巣の殻が吹っ飛んでしまった。このままではここで暮らすことはできないぞ、どうする?どっかに引っ越して新しく巣を作るとなると大変やぞ!」

「ほんまにあのオッサン、人騒がせやなあ、ブチュッとハチの一刺し、お見舞いしてやるか」

「他所へ引っ越すといっても大変や、それにボクたちにも居住の自由という権利が日本国憲法で保障されているやろ!引っ越す必要なんかない」

「それに、ここ日当たりもいいし、風通しもいい、雨風しのげるし、あのオッサンさえ邪魔しなければ、こんなええ所は他にない」

「そやなあ、でも殻が吹っ飛んでしまったので、このままでは冬は寒くてたまらんぞ、死んでしまうかもしれん,・・・」

「こんなことで死んでたまるか、オレたちはあのおっちょこちょい、パフォーマンス好きのムサシなんかじゃないぞ!」

「あのなあ、なにをショモないことグタグタ言ってるんや。そんな暇があったら、GGIのオッサンの不注意のおかげで壊れてしまったハチの巣、さっさと修繕したらええのや、みんなで力合わせて再建工事をやればなんとなる!」

「おまえ、日頃はブラブラして、働き蜂のくせにサボってばかりやけど、たまにはなかなかええこと言うやないか、じゃあ、みんなあ、明日からすこしずつ再建工事にとりかかることにするぞ!」

GGIのオッサンが再建工事を邪魔したら、それこそハチの一刺しや、あいつのたるんだ脇腹にオレ様がブチュッとお注射してやる!」

「蜂の一刺しっていえば、ハチの一刺しで首相の座をあっさり降りてしまった湖国のオッサンがいたなあ」

「いたいた、1989年に二、三カ月だけ首相を務めていたオッサンや、元芸者さんに行状を暴露されたり、選挙で大敗したりであっさり辞任したんや。」

「そやけど、あの人、シベリアに二年間抑留されていた苦労人や」

「こら、おまえら、何くだらんこと言うてるのや、明日からは蜂の巣再建のためにしっかり働けよ」

今日もまた、どうでもいい話になってしまいました

グッドナイト・グッドラック!

 


何となくマグリットふうだけど1000メートルタワーのほうがよかったかなあ・・・・

2016-09-06 01:41:33 | 日記

先日の日記に、わが湖国のオペラホール、びわ湖ホールの回廊を撮った写真を載せて、この人影のない回廊の光景、なんとなくシュールレアリズムの画家キリコの作品のような雰囲気がするなどといささか強引なことを記しましたが、今日はさらに強引すぎる話です

今日の写真、やはりびわ湖ホールで撮ったものです。中ホールの外側の広い通路を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

彼方にわが淡海を望むことができます。人影ひとつなく、まことに心地よい光景であります。しばらく眺めていて、この光景、キリコではなく、青空を描くことが好きであった同じくシュールリアリズムの画家ルネ・マグリットの絵のような雰囲気だなあ、もう少し陰影に富んでいれば、そして彼の作品によく登場する黒い帽子をかぶり黒いコートを身にまとった人物が姿を現せば、一段とマグリットふうになるなあ、などと勝手に想像をたくましくしました

この湖畔に建てられたホール、ロケーションが抜群であるだけでなく、なかなか贅沢な建物、贅沢すぎるといってもよい建物です。湖を埋め立てて建てられたのです。

この通路に立って、びわ湖の方を眺めながら、

「ほんまにゼータクな建物やなあ、これ240億円ほどかかったという話や、それに未だに赤字で県が毎年十億円ほどのカネを助成、これらは全部税金、まあほんまなら監査請求ものやけどなあ・・・・そう言えば、オレなあ、このホール建設の計画が持ち上がったとき、何考えているのや、そんな大金投入するなんて、他にやらないかんことたくさんあるやろ、と当時の知事に手紙書いたことがある、文化は建物ではないと文化行政の在り方を厳しく説いた長~い手紙や、いつまでも返事がこないので、こら!失礼やないかといったら、一応知事からシブシブの返事が来たけど、結論は見解の相違・・・」

GGIが申しましたら、近くにいた知人が教えてくrました。

「このホールなあ、三代ほど前の知事が、自分の名を残すために建てたんや、はじめは《1000メートル・タワー》なるものを建てたかったらいしいけど、それは余りにもアホ過ぎるアイディアやいうことで、このホールを建てることになったという話、どっちがよかったかなあ」

「まあなあ・・・個人的にはこの贅沢ホール、ありがたいけど、こんなカネ喰い無虫ではなあ・・・1000メートタワーもええかもしれんなあ、1000メートルタワーたてて、てっぺんにカジノなんかつくって。高いところに上りたがるアホな観光客を世界から集めて・・・今からでもおそくはない、地方再生の大目玉や、ついでに懸命の変更、《さざなみの滋賀の都》や・・・・」

GGIはj軽薄の極みやなあ」

マグリットの絵をご覧になりたい方はたとえば以下のサイトなどをご覧くださいませ

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88+%E5%85%89%E3%81%A8%E5%BD%B1%E3%81%AE&biw=1022&bih=486&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&sqi=2&ved=0ahUKEwja9du80fjOAhXBE5QKHVJMBGEQsAQIGw

グッドナイト・グッドラック!


元気いっぱいの百日紅、そしてハチのムサシ君の死因について・・・

2016-09-05 02:10:13 | 日記

昨日も残暑厳しき一日でありました。

けれども、八月も末近くになってやっと咲きはじめたわがガーデンの百日紅、とても元気です。まるでこれまでの遅れを取り戻さなければというふうに、まだまだ強いお日様の光に挑むかのように咲き誇っております。

この暑いのに百日紅、やけにサルスベリ君元気だなあと思って眺めておりましたら、あのハチのムサシ君のことを思いだしました。

先日の日記でも御紹介したと思うのですが、ムサシ君というのはむかし流行った「ハチのムサシ」という歌の主人公です。平田隆夫とセルスターズが1972年ごろに歌っておりました。

サルスベリ君はこの強い日差しのなかでも元気に咲いている、でもこの歌の歌詞によれば、ハチのムサシ君はお日様に焼き殺されたことになっています

復習のため、一番の歌詞を以下に示しておきます

ハチのムサシは 死んだのさ
畑の日だまり 土の上
遠い山奥 麦の穂が
キラキラゆれてる 午後でした
ハチのムサシは 向こう見ず
真赤に燃えてるお日様に
試合をいどんで 負けたのさ
焼かれて落ちて 死んだのさ
ハチのムサシは 死んだのさ
お日様仰いで 死んだのさ
高い青空 麦畑
いつもと変わらぬ 午後でした

GGI、この歌詞を読んでいて気になることがありました。

この歌詞によりますと、むこうみずなハチのムサシ君がお日様に戦いを挑んで敗けて死んだのは麦の穂がキラキラ揺れるころだったとのことでありますから、おそらく麦秋のころ、つまり初夏のころのことでありませう、

初夏の日差しも思いのほか強いものでありますが、この夏の終わりの厳しき残暑の日差しほどではないであろう、それなのに、その初夏にお日様に焼き殺されてしまったというのはちょっとヘンじゃない?と思ったのです

サルスベリ君はこの厳しき残暑の中でもお日様に向かって元気に咲いているのに、ハチの武蔵は初夏の光に焼き殺されたって?どうもおかしいなあ、なぜなんだろう、ハチのムサシ君、勇ましそうに見えても実は軟弱だったんじゃない?などと考えておりますうちに、GGIはハタとハチのムサシ君のほんとうの死因を思い当たりました。

サルスベリ君が厳しき残暑の光の中でも元気であることの理由ははっきりしています。水分をしっかり補給しているからです。根っこを通じて地下からしっかり水分を補給しているのです。

一方、ハチのムサシ君の場合、初夏の太陽は暑いことは暑いにしても蜂のムサシ君を焼き殺すほど厳しいもではありませぬ。でもムサシ君は死んでしまったのです。原因は単純明快です。ハチのムサシ君、オレは向こう見ずがウリだとばかりお日様との戦いに熱中しているうちに水分の補給を忘れてしまっていたのです。暑いときは熱中症に注意しませう、水分をこまめにとりませうというのは常識中の常識、そんな初歩的なことをムサシ君忘れていたばっかりに熱中症で死んでしまったというのが真相でありませう。

でも、単に水を飲むのを忘れて熱中症で死んだというのでは話になりませぬ。みっともないヤツやなあということになってしまいます。これではいけない、ハチのムサシ君の死を何とか美化しなければ・・・というわけで「真赤に燃えてるお日様に 試合をいどんで 負けたのさ 焼かれて落ちて 死んだのさ」と大ウソの歌詞が捏造されたのです。

ようするにハチのムサシ君は熱中症で死んだ単なるおっちょこちょいのハチであるというのが事の真相であります

今日の写真はわがガーデンのサルスベリ君を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

グッドナイト・グッドラック!


どこかで見たことがあるような・・・・

2016-09-04 00:30:22 | 日記

デジャヴュ(既視感)という言葉ありますね。どこか初めてところを訪れて、これまでに見たはずがないのに、あっ、この風景どこかでいつか見たことがある、というような気がする不思議な現象を意味する言葉です。

GGIはデジャヴュそのものではないのですが、あっ、この風景、どこかで見たような気がするなあ、そうだ誰かの絵にこのような感じがするものがったなあ、と思うことがあります。

今日の写真はそのような光景を撮ったものです。先日、わが湖国が誇るオペラオール、「びわこホール」へ、井上ひさし原作の演劇「頭痛 肩こり 樋口一葉」のチケットを買いに行きましたときに撮ったものです。ホールの外壁に沿ってつくられている回廊です。よろしければクリックしてご覧くださいませ

GGIはこの回廊が何となく好きで、近くを通ったときはわざわざこの回廊を歩いたりいたします。

平日の昼間は、イベントが開催されていないことがほとんどであり、このため、湖を一望することができる広大なロビーにもほとんど人影はなく、ホールの周辺もとても静かです

人影がない、静まり返った回廊に初秋の光がさんさんと降りそそぎ、その陰がくっきり浮かび上がっています

この物音ひとつ聞こえてこない回廊の様子を眺めていて、人影のないこの静寂に満ちた、光と影のコントラストが鮮やかな光景、どこかで見たことがあるよなあ・・・・

そうだ・・・この静けさ、なんだかあのシュールレアリズムの大家ジョルジュ・デ・キリコの作品、光と影のコントラストが鮮やかな、物音が消え去り静まりかえった街の光景を描いた一連の作品となんだか雰囲気が似ているなあと気づきました。たとえば、この画家の「街の神秘と憂鬱」と題された作品に、不思議な静寂に包まれたあの作品に、何となく雰囲気が似ているなあと感じ入ってしましました。もっともあの絵には何か形容し難い神秘的なものが漂っているのですが・・・・

回廊というものは何か人を誘い込むものがあるように思います。この回廊の彼方から謎めいた人物でも現れないかなあと思ってしばらく佇んでおりましたが、あいかわらず静まりかえった回廊に、眩し過ぎる午後の光がさんさんと降り注いでいるだけでありました・・・

以上は、もちろんGGIの勝手な妄想でございます。何を見当違いのことを言っているんだと思われる方もおられることでありませう、どうかお許しください

キリコの「街の神秘と憂鬱」をご覧になりたい方は以下のサイトをご覧くださいませ

http://matome.naver.jp/odai/2138324132769724701

グッドナイト・グッドラック!


もう笑うしかないけれど笑ってはいられない・・・

2016-09-03 01:50:40 | 日記

9月1日の朝日新聞に、原子炉の廃炉により生じる放射性廃棄物の最終処分に関する記事が掲載されていました。

この記事には「廃炉後制御棒 地下70メートル埋設、規制委決定:電力会社400年、国10万年管理」という見出しが付されていました。

原子力規制委員会が原発の廃炉により出る放射性廃棄物のうち《L1》と称される原子炉の制御棒などの放射能レベルが比較的高い廃棄物の処分に関する基本方針を決めたというニュースです。

従来から国は高レベル放射性廃棄物は地下300メートルより深い位置に10万年間保管するとしていましたが、このたび規制委員会はL1に分類される制御棒などは地下の70メートルより深い位置に埋め、電力会社に300400年間管理させ、そのあと10万年間は国が管理を引き継ぐという方針を決めたというのが記事の概要です。

この計画、300400年間とか、10万年とかいう数字、まったく気の遠くなるような想像を絶する数字です。おそらく、このような計画の実現可能性を厳密に検討したわけではなく、単に放射能レベルの減少の仕方を物理的・数学的に計算したら、こんなとんてもない数字になったということでありませう。

しかし、ほんとうに、笑わせるなよ!冗談はよせ!と言いたくなる数字です。もう絶句するしかありませぬ。

電力会社が400年間も管理する?!ほんとかよお~!今から400年前っていつだと思っているんだ、関ケ原の戦い(1600年)のころだぜぇ、いまから100年も経ったら世の中すっかり変わってしまって、関電さんや東電さんが存在してるかどうかさえ怪しいやないか、ましてや400年後となればもうどうなっているか、まったく分からんやないか!

400年間などというのはまったくの机上の空論に過ぎませぬ。

そのうえ10万年だと!ふざけるなよ、人類の元、ホモサピエンスがこの地球に出現したのが20万年ほど前や、原始人の時代だぞ、あの縄文時代が始まったのが紀元前15000年ごろだぞ、まだ縄文時代から2万年も経っていないのだぞおおお!10万年先まで国が管理できるはずなんてあるわけがないやろ!だいたい日本が存在しているか、現代文明が存続しているかどうかさえ怪しいじゃないか!

つまり、原子力発電による生じる核廃棄物、その確実な最終的な処分方法は事実上存在していないのです。この記事が伝える内容はまったく架空のはなしに過ぎないのです。400年とか10万年とかは、まったくなんの科学的根拠もない、笑い飛ばすしかないヨタ話に過ぎません、現状ではせいぜい100年先のことぐらいしか考えたり計画したりすることができないでありませう

しかしながら、笑い飛ばしたいのはやまやまであるものの、現実に放射性廃棄物が存在しているだけではなく、まだ増え続けつつあるのですから、笑っているわけにはいきません。92日付け朝日新聞の天声人語さんのように(400年とか10万年とかいう)「《超現実的》な現実に戦慄する。ちなみに日本で初めての商用原子炉が営業運転を開始したのは50年前である」などと、ただもっともらしく慨嘆しているだけですますわけにはいかないのです 、

とにかく、今できることは、最低限行うべきことは、戦慄したり慨嘆していることではなく、もうこれ以上核のゴミを増やさないようにすることでありませう。そのためには原子力発電を直ちに止めなければなりません。また、原発を新たに建設したり、外国に輸出することを絶対に止めなければなりません。このことは火を見るより明らかであります

(天声人語」さんも、戦慄しているだけでなはなく、日本を代表するメディアとして、もう原発はやめにしなければならないなどと明確に発言してこそ意味があるのです。ただ慨嘆しているに過ぎない文章を載せているだけでは単なるつぶやきであり紙面のムダづかいであります)

実は、今日紹介しました記事が掲載される数日前、826日受けの朝日新聞地方版(滋賀版)に「原発廃棄物の地層処分説明、来月17日、大津で初」という小さな小さな記事が掲載されていました。

経産省の認可法人、最終処分場の建設計画の実務を担う「原子力発電環境整備機構」といい何やら意味不明の難しい名称のお役所(NUMO:Nuclear Waste Management Organization of Japan、日本語に訳すと「核廃棄物管理機構」と、まことにストレートな意味明瞭なる名称です!)が、国が最終処分場の候補地を公募する方式から国主導で候補地を選定する方式に方針を変更したことを受けて、全国各地で行う説明会の一環として、湖都でも説明会を開催するという記事です。一般の参加者を募集、ただし定員50人とされていました。

定員わずか50人、たったの50人の市民にしか、この国民にとって大切な問題の説明を行わないとはまことにコソクなやり方だなあ、もっと大きなか会場を用意してできるだけ多くの市民を前に説明を行うのが本来のやり方であろうとは思ったのですが、週末でもありましたのでGGIはとりあえず電話で参加を申し込んでおきました。でも、氏名と住所と電話番号をばっちり聞かれてしまいました。

(注:上記の説明会は9月17日午後1時半、会場は大津市内のピアザ淡海。参加申し込みはNUMO(電話:03-6371-4003)です。締切は7月14日)

この記事に「(説明会は)大津で初」とあるのは正確ではありません。国が最終処分場の選定方式を変えてからは確かに初めてでありますが、それ以前、福島の原発事故以前に2回、わが湖都で講演会とシンポジウムの形式で最終処分場に関する説明が行われています。GGIはいずれにも参加しました。

1回目は、いつであったがGGIの記憶は定かではないのですが、十年以上前のことであったかと思います。数百人は入る大きな会場でした。そのときはNUMOの職員も来ており、ガラスの固化体にされた廃棄物を入れるための金属容器などの展示もしておりました。会場は関電の社員やその家族で満杯、大厳戒といった感じであり、質問する機会は設けられていませんでした。それで、NUMOの職員さんに、こんなもの展示したりしても、候補地なんか見つかりっこないですよ、とイジワルを言ったり、会場の外でチラシみたいなものを配ったりして帰ってきた記憶があります。

2回目は2009年のことでありました。わが庵の近くの高層ホテルの宴会場が会場、シンポジウム形式の説明会であり、木元某という女性の評論家のような人物が司会、NUMOの関係者も出席、やはり関電の社員さんが動員されていた模様でありました、GGIは気づかなかったのですが、一緒に行った知人の話では「会場の入り口で参加者の顔写真を一人一人撮っていた」とのことでありました。

このときはまことにラッキーでありました。というのは、このシンポジウムが開催される前日の夜、すこしは核廃棄物のことを勉強しておかなければと核廃棄物の最終処分についてネットで調べおりましたら、なんと「昨日、オバマ大統領とエネルギー長官が、ネバダ州のユッカマウンテンに建設中で完成まぢかであった、100億ドル(約1兆円)近くを費やした核廃棄最終処分場を安全上の理由から放棄することで同意した」というニュースが飛び込んできたのでありました!

翌日のシンポジウム、ほとんど質問の時間が設けられておりませんでしたが、最後に割り込んで、「みんさんご存知かどうか知りませぬが、昨日、米国の大統領はユッカマウンテンに建設中の最終処分場を放棄することに決定した、とのニュースが報じられています。NUMOの方などはさきほど、活断層を避けさえすれば、どこにでも最終処分場を建設することが可能なような話をされていましたが、そんな簡単なものでないことは、このニュースからも明らかではありませんか?」。

パネラーのみなさんも会場の方々の多くも少なからず慌てたようでありました。質問をすませた後、ユッカマウンテンの処分場放棄を伝えるニュースのコピーを檀上にいたパネラーの一人に手渡そうとしましたら関電の社員らしき人物が邪魔しようとしました。まことに恥ずかしき行いであります・・・・。

それがどうしたと言われればそれだけの話ではあります。9月半ばに湖都市内で行われる説明会では、しっかり説明を拝聴し、すこしはマジメに勉強したいと思います

今日もまとまらない話になりました。お許しください

今日の写真は9月1日の朝日の記事をとったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!