■ NHK教育テレビの「新日曜美術館」はよく見る番組だ。昨日はジャコメッティをとり上げていた。ジャコメッティは20世紀を代表する芸術家の一人だが、絵画より彫刻で知られている。極端に細長くデフォルメされた立像を美術の教科書で観て彼を知ったように記憶しているが定かではない。
番組のタイトルは「ジャコメッティ・見えるままへの挑戦」となっていた。極端に細長い彫刻が、「見えるまま」の人の姿を表現したものなのだという。「細長くなければ現実に似ないのだ」と彼は主張していたとのことだ。
これは一体どういうことなのか・・・。 視覚によってもたらされた外界の情報が脳に伝達される。脳がその情報を処理して知覚、認識する。認識された情報を彫刻という表現手段によって外在化する。このプロセスの結果があの細長い彫刻なのだ。ジャコメッティは人をあの彫刻のように知覚、認識していたということになる。
このブログでも書いてきた「見える」ということとはこういうことなのだ。脳にもたらされる視覚情報には、人による差異は無いのかもしれない。だがその情報の認識のされ方が人によってそれぞれ異なる・・・。
彼は女友達とデートした時、通りを遠ざかっていく彼女をみて考えたという。「彼女は遠ざかっていく、しかし彼女の本質はこちらに向かってくる」と。なんとも哲学的な思索で分かりにくいのだが、彼はそれが存在の本質だと考えたのだ。極端に細長い立像はこの結論を表現したものに他ならない。
ジャコメッティの作品展がいま、神奈川県立近代美術館 葉山で開催されている。残念ながらこの番組を見るまで知らなかった。もし知っていれば先日鎌倉から足を伸ばして鑑賞したのに・・・。
番組のタイトルは「ジャコメッティ・見えるままへの挑戦」となっていた。極端に細長い彫刻が、「見えるまま」の人の姿を表現したものなのだという。「細長くなければ現実に似ないのだ」と彼は主張していたとのことだ。
これは一体どういうことなのか・・・。 視覚によってもたらされた外界の情報が脳に伝達される。脳がその情報を処理して知覚、認識する。認識された情報を彫刻という表現手段によって外在化する。このプロセスの結果があの細長い彫刻なのだ。ジャコメッティは人をあの彫刻のように知覚、認識していたということになる。
このブログでも書いてきた「見える」ということとはこういうことなのだ。脳にもたらされる視覚情報には、人による差異は無いのかもしれない。だがその情報の認識のされ方が人によってそれぞれ異なる・・・。
彼は女友達とデートした時、通りを遠ざかっていく彼女をみて考えたという。「彼女は遠ざかっていく、しかし彼女の本質はこちらに向かってくる」と。なんとも哲学的な思索で分かりにくいのだが、彼はそれが存在の本質だと考えたのだ。極端に細長い立像はこの結論を表現したものに他ならない。
ジャコメッティの作品展がいま、神奈川県立近代美術館 葉山で開催されている。残念ながらこの番組を見るまで知らなかった。もし知っていれば先日鎌倉から足を伸ばして鑑賞したのに・・・。