透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ジャコメッティの彫刻

2006-07-03 | A あれこれ
 NHK教育テレビの「新日曜美術館」はよく見る番組だ。昨日はジャコメッティをとり上げていた。ジャコメッティは20世紀を代表する芸術家の一人だが、絵画より彫刻で知られている。極端に細長くデフォルメされた立像を美術の教科書で観て彼を知ったように記憶しているが定かではない。

番組のタイトルは「ジャコメッティ・見えるままへの挑戦」となっていた。極端に細長い彫刻が、「見えるまま」の人の姿を表現したものなのだという。「細長くなければ現実に似ないのだ」と彼は主張していたとのことだ。

これは一体どういうことなのか・・・。 視覚によってもたらされた外界の情報が脳に伝達される。脳がその情報を処理して知覚、認識する。認識された情報を彫刻という表現手段によって外在化する。このプロセスの結果があの細長い彫刻なのだ。ジャコメッティは人をあの彫刻のように知覚、認識していたということになる。

このブログでも書いてきた「見える」ということとはこういうことなのだ。脳にもたらされる視覚情報には、人による差異は無いのかもしれない。だがその情報の認識のされ方が人によってそれぞれ異なる・・・。

彼は女友達とデートした時、通りを遠ざかっていく彼女をみて考えたという。「彼女は遠ざかっていく、しかし彼女の本質はこちらに向かってくる」と。なんとも哲学的な思索で分かりにくいのだが、彼はそれが存在の本質だと考えたのだ。極端に細長い立像はこの結論を表現したものに他ならない。

ジャコメッティの作品展がいま、神奈川県立近代美術館 葉山で開催されている。残念ながらこの番組を見るまで知らなかった。もし知っていれば先日鎌倉から足を伸ばして鑑賞したのに・・・。

虹の岬

2006-07-03 | A 読書日記

恋愛小説 (0607) 

■ しばらく前に川上弘美の『夜の公園』中央公論新社を読んだが、それ以降恋愛小説は読んでいなかった。ある方のブログに辻井喬の『虹の岬』が載っていた。読んでみようと思ったのだが、松本の書店では見つからなかった。先日、丸の内オアゾの丸善でようやく見つけた。

『ナラタージュ』島本理生/角川書店 この本の帯の背中には**一生に一度しかめぐり会えない究極の恋**とある。大学生になった私が高校時代に所属していた演劇部の顧問の先生に恋する話だが、「究極の恋」なんて、そんな結論 はやいんじゃないのかな、まだ若いのに・・・、と思った。勿論その時期でないと経験できない恋もあるだろうが・・・。

『虹の岬』に登場する川田順は60代、相手の祥子は30代後半。これは「究極の恋」なのかも知れないな、と思った。実話を元に書かれた小説だという。雨が屋根をたたく音を聞きながら、きのう読了した。

「自分に忠実に真摯に生きる」とはこういうことなのかもしれない。但し、できることではない。恋愛小説の感想を書くことは難しい。 この小説は晩秋に読むのがいい、読み始めたときの感想は最後まで変わらなかった。