漢字より仮名に変へたる書の思ひ
迷ひの末に吾は歌詠み 樋田哲仙
書を習い始めて20年にもなる。近くの公民館に書道クラブがあることを知り入部した。市内の寺の住職が師で書の深い意味も分からすに入った。途中で師がなくなり、それを機にカナに変えた。短歌を詠む身であり、万葉集や百人一首を楽しむ者が漢字ではと疑問を思ったからである。奈良にはカナの大家杉郎華邨の美術館があり、機会をとらえて覗いてみた。同じカナでも自分とは書体が異なり、あまり参考にはならなかった。
迷ひの末に吾は歌詠み 樋田哲仙
書を習い始めて20年にもなる。近くの公民館に書道クラブがあることを知り入部した。市内の寺の住職が師で書の深い意味も分からすに入った。途中で師がなくなり、それを機にカナに変えた。短歌を詠む身であり、万葉集や百人一首を楽しむ者が漢字ではと疑問を思ったからである。奈良にはカナの大家杉郎華邨の美術館があり、機会をとらえて覗いてみた。同じカナでも自分とは書体が異なり、あまり参考にはならなかった。