至極 簡潔に(これから お出かけなので)
先日 広い意味の経済に関する某研修があり
珍しい演題なので 期待を込め参加
質問コーナーになり
幼い私は
『・・・半年間の汗と涙の成果も 数日間の為替レートの変化など
で 無ともなる
つまるところは 経済活動の究極の評価基準は 運なのか
それとも ダメなものはダメとでもいえる つまり それを受け入れなければならない合理性に裏付けされる 要因とも言えそうなものに支配されるのか・・』 というようなニュアンスで言ったのだが
伝わったかどうか(わたしの質問の仕方も悪かった)
常々思うのだが
為替レートでの 運不運
ドル建て・円建ての差の 運不運
円高・円安での 運不運
などなどみたいのものに対処するため 一方的適用でなく
中間適用・アベレージ適用?みたいな手法は なぜ とり得ないのだろうか(経済理論からしても 現実の科学技術処理能力からしても それもあり となりそうなのだが・・・)
つまり どうみても 合理的でなさすぎる勝者と敗者?のすみわけ基準ともいうものに対し あまりにも こだわりがなさすぎるような・・・
それとも 経済(特に資本主義体制)においては 隙間リスクによる思いがけない儲け みたいな部分がないと 活動エネルギーがどうしても減殺されるというようなことになってしまうんだろうか
人間とは つまるところ 欲を産む仕組みの中でないと動くのが面倒になっていく生き物なのだろうか・・・
というようなことまでを いつまでたっても青臭い小生は
アーだ コーだと 心の中で ブツブツ言っていたのでした
それにしても 理不尽とも言えそうなことで アッサリと?歴史ある営業体が消えたか と思うと ある日突然のごとく?超ベンチャー企業が為替差益類のことでボコッと経済ニュースの寵児になっていたり
なんとも そこには 私自身を納得させ得る合理性?みたいなものがウッスラとも眺められず
不条理だけが ノッシノッシと大股で歩いているようで・・・
北の国の経済を支えていたであろうなじみの某銀行が 突然ともいう間に消え 他の同様の状況にあったであろう本州の多数の銀行が なんだかしらないが生き残っていたのを見て
なんとも言えない心もちになったことを思い出します
条理のあること
不条理とも言えそうなこと
ここらあたりのことで いつも いつも 悩む
青臭い オジイサンであることヨ
であります
さて 本日と明日は 外出仕事
あさってからは 事務所にこもり 某相続がらみの懸案に
ジックリ とりかかることになっています
当地 例年よりも 寒い日が続く?と 思えるのですが?
つい 春よ来い の 童謡を口ずさんでいたりする
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