おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

やはり 記しておこう

2013-07-22 | ■ サマザマな おはなし


選挙が終わった
投票率といい ガッカリする材料に事欠かないが
まあ それは ジックリ考えてみることとして
とても懸念していることがある


今までは どのようなことがあっても 選挙人団間での確執が
もろに表に出ることは さほど なかったように思う
もっとも 捉えかたの差異で 異論がある方も多いと思うが・・・




政治家への批判・非難は もちろん遠い昔から目立っていたこと
あからさまであるか ヒッソリとであるか のような差異はあろうが・・・
そのことは ある意味政治参加の過程の中で ある程度予想が付き 一定の 過激とも言える言動も 表現の自由のうちという考えも理解できないわけではない

ところが この頃 選挙人団の中での過激すぎるような応答が以前より目立つような気がする
ネットによる政治活動の広がりの中での現象が そういうイメージを強くするからだろうか?
対政治団体・政治家個人への批判・非難ではなく
そうしたものへの訴えの無力さ虚無感を 違う方向へぶつけることしか途がないと “ええじゃないか”的に 拡散するかのように
選挙人団間でのそうしたことが ますますエスカレートしていくような 懸念ともいうものを覚えてしまうのだ


どのような場にも 何事にも ルールとマナーというべきもの
守るべき 限度と 
最後の砦として 条理 というものがあろう




今までの この日本という国では
どんなことがあっても つまるところ おおよそ一つの民族の思考なのだから 総体として捉えるなら それほど 隔絶したものにはならないだろう 急激な変化はないだろう
という感があったように思うが 
そういった ボンヤリとしたものであっても 精神安定剤 のような薬効であったものがだんだんと薄れていくような・・・
どのような思考の国民になっていくのか 先の予想が困難な ますます混沌としていくような・・・ 



諸外国に ときにみられるような 選挙人団(あるいは広く 政治的集合組織)間の 容赦ない総攻撃のやり返しあい(少々過激な表現だが)さえあっても おかしくないのかな とも思わせるような 今までのものとは質の違いがあるような ほとんど容赦のない非難合戦が 投票人側でもブクブク起きだしてくるような・・・あるいは もう そういった世に変質してきている
そんな懸念
(もっとも そういったことは 懸念ととらえるのではなく 政治的な成長なのだ と理解する立場もあるかもしれないが・・・)




本質的には政治的人間でない 一介の素浪人おじいさんからすると 日本という国が そういう面でも あきらかに質の変化をきたしはじめているのだろうか? と なんとも不気味な思いを 最近 強くしている
正直なところ あまりにも硬質な 味気ない 一切の容赦のないような理論武装と 理論攻撃は 不気味すぎる
なぜかというと 絶対的正当理論というものが一義的に存在するのだ とは言い切れないと考えるので

政治的抗争にも もちろん限度があるということを再認識すべきだと思うのだ

究極的に言うと 狂気があってはじめて事をなしえるような事が珍しくもなく起こるような世は もはや 人の住むところとしてふさわしくない と思う

もっとも アメリカでの 9・11同時多発テロのような狂気が 現実の姿で登場するまでの世になっていることは ある意味確かで・・・ 
不気味すぎる


それにしても ネット上の発言 政治的なものもドキッとするような刃を見るようなものさえあるような感じで ネット社会の政治運動の 匿名性の本質からの無責任な戯れの虞れと 計り知れない膨張を可能にしてしまう結集力による無形の暴力 
そういったものにより より進んでしまうであろう不気味さを 思うのだ




あーだ こーだ と なんとも独断的もいいところのことをシャベリまくっているが
こういったことを記した 最大の理由は
“・・こういう選挙結果を 選挙人団は 心から願っての結果なのだろうか もしそうであるとするなら 率直に言って ゲンナリ
その程度の 選挙人団だとすると 何をかいわんや だな”
と 心に思ってしまったからだ

そうなのだ
選挙人団を 自分の尺度で 度し難い政治音痴と きめつけているようなおのれを発見し 自身 驚いているからなのだ
白状すると そういったことなのだ
それほど ガッカリ失望した と同時に 他者への勝手な?批判と非難を頭に浮かべた 自分が そこにはいたのだ

投票率にも 政治家の魅力の無さにも 恥の無さにも タレント性で決まってしまうような さんざん批判されてきたような流れに逆戻りのあり方にも 旧態依然のドップリ保守の田舎ドンの仕切る政治に あっさりと戻りそうな いとも簡単に改憲に向かうようなレールがしかれそうなスケジュールが眼に見えてきたことにも
(肝心の列車を吟味し その列車に合うレールを作るのが一応の順番と思うが とにかく レールを敷いてしまう そうすれば 列車は 少しでも早い時期に いや いつでもすぐに運行できることになりますので というような理論かな?)
どうにも 意気消沈というところ・・・




とにかく ジックリ 考えてみたい


もちろん 仕事 学習 に 努めながらだけれども・・・
政治家ではないので
でも 政治から逃れる途だけを選択しているのも
大人として 無責任すぎる気はさすがにしている

それにしても 今日は 虚無感を覚えてしまった

でも 愚痴まみれでは いけない
これからの子たちのためにも
とにかく 考えよう とはしている自分がいる

只今 2013年7月22日 午後18時52分



 


      

 

    

      

 
   

この記事についてブログを書く
« 庭を眺める | トップ | 価値観 »