先日 次のようなお願い文を とある箇所(匿名者間の 一種の情報交換の場) に載せさせていただいたのでした
《昭和35年前後に北海道の胆振に住んでいました。
中学一年(もしかすると二年)の国語の教科書の中の物語が忘れられません。
でも、作者も題名も思い出せないのです。
《・・・いわゆる不良っぽい少女が、裸足で馬車に乗ってくる。なんとなく その辺りの風景を 懐かしむような気配がうかがわれる。一見、どうしようもないくらいの不真面目さを臭わせてはいるが、実は心のどこかに無垢な心をいまだ宿しているのだ・・」
というようなことを、おそらく主題とした物語。
先生に問われたのでした。「この子は施設を出た後か、それとも未だ施設にお世話になっている少女か、どちらだと思える?」
私は、心の中に“未だ施設にいるのだ、でもどうしても懐かしさに勝てなくて脱走?してきたのだ”という答えを用意していたのに、周りの答えに流され、思っている答えを発言できなく、他の答えに同調してしまったのでした。
そんなこともあって、とても気になっている物語なのです。
もう一度読み返してみたいので、ご記憶にある方、どうぞ作者でも作品名でもお教えいただければ幸いであります。》
すると
【 とくさん
遅レスですが、まだ探しておられるようでしたら…
川端康成「掌の小説」の中の一篇「夏の靴」だと思います。
「掌の小説」は短編集ですが、素敵な作品が多いのでお勧めですよ~ 】
との説明をいただけたのです
長年の疑問の渦巻きを とぎほぐしていただけたようで
うれしくて うれしくて うれしくて
さっそく 本を手に入れ 熟読
思わず 泣けてしまいました
IT時代の情報収集
どこで どんなルートによってか 思いもかけない形によってさえも 求める言葉を頂ける可能性の世界
スゴイ時代だなー と 感涙とともに 収集手段の多彩さを実感したひとときでした
それにしても ケッコウ奥の深い 難解な?叙情文を中一で学習していたものだな と 思うのですが・・・
そういえば
英語にしても 昭和30年代後半のほうが 今より 難解な部分も学習していたような?
the thing which=that (間違っていないかな??)
構文なんかも中学校の教室で学習していた記憶があるのだけれど?
初恋の頃の中学時代を 頻りと思い出すときがある
齢のせい?
『悲しき片思い』ヘレンシャピロやミコちゃん
『涙のダンス』ポールアンカ
なんぞを聴くと もう 一瞬にして 15歳の少年になってしまう
モチロン 気持ち だけだけど
皆 どうしてるかナー