気のせいか お日さまの輝度も ダンダンと強くなっているのが判る?ような・・・気がしますが
実際のところは どのような光量変化曲線なのか
景色の眺め具合から色彩の変化を覚え
今の季節になると例年私には気になる疑問点なのですが
人類最大の疑問は
まず
この世の スタートは?ということでは
おそらく もの心ついたころ頃からの 永遠の不思議です
私には
想像もできないような演算スピードのコンピューターが存在
するともいうのに おそらく 永遠に解けない魑魅魍魎の棲む世界にも答えは見出せないようなものなのでしょう
(ある意味 答えが無いからこそ 生きながらえることができているのかもしれませんが)
ときに幼子に問い詰められ
仕方なく “カミサマのようなものが 宇宙を造ってくれたのかな”
すると
『その造ってくれたカミサマは どこから来てくれて 誰が
こしらえてくれたの?』
こうなると
“そうだね 一生懸命勉強して ○○チャン 答えをみつけて教えて”
そんな風に 逃げ出すしかないことになり・・・
ときには 中学生にも 高校生にも はずみで問われたり
まったく 不思議な魅力的な?謎
そんなことばかり考えていると△△さんみたいに
なってしまうよ 答えなんぞないことを何時までも考えて
いると あんなふうになるんだからね
なんぞと言われたような幼い幽かな記憶がありますが
考え続けた△△さんを尊敬せざるを得ないような 妙な気分になった思い出があったような・・・
純粋すぎて 狡さがなさすぎる人は 答えの出ないことを
どうにもこうにも納得することできず 思索続けて 狂気を避けられなかったのか・・・謎 謎 謎
この年齢になっても 不意に
“存在しないということ しかし それを意識させる場というものが そこにはあるということで・・ つまり 無というものを意識するのにも場の存在が必要で ということは・・・
思考するに必要な場の存在が どうしても必要になるような・・・ということは 無という観念は存在し得ない??”
こういったことを 未だに捨てきれない・・・
精神的にも 全ての面でも 永遠に大人になりきれない
困った自分が存在している ということだけは
理解できているのですが・・・
まったく 困ったチャンです
特に 中学生の頃 よく思ったものです
“世の大人は ちっとも不思議だとは思わないのだろうか
酒を喰らって ノホホントと
まともにこの疑問に答えてくれる書物はあるようで無いし
直截訊きたくとも 答えてくれそうな人は周りに居ないし
皆は 友達は
なにより自分より多く人生を過ごし
知識教養充分なはずの大人は 不思議に思わないのか
なー
気になって 気になって 生きながらえてなんぞ
いられないと思うんだけど・・・高等動物たる人間に
答えの出ないことなんぞあるはずないし 想像もできない
博学知識の大人だって いるはずなのに 未だ解決できず
の状態を よくも 納得できるものだ”
こういう類のことを 今日も数分 断続的に考えるほど
暇なような そうでないような
大寒過ぎの そうして 立春まぢかの 困ったチャンの一日でした
それにしても なんと幼い疑問をはぎとることが未だに
できない自分なんでしょう
これがある意味 最大の疑問