昨日は第95回Fサロンで「男は女の使い走り」と題してスピーチさせていただいた。
以前、このサロンで講演された元ドイツ大使が帰りがけに「これからは女の時代だよ」とぽつりとおしゃった。
ボクもその通りだと思っていたので、以降さらに<女性>のことを調べるようになった。
この日のFサロンの参加者は29名。
95回を数える歴史的な集会だ。 緊張する。
今、世界を支配している西洋文明史的な視点からみると、イヴはアダムの肋骨から生まれたことになっている。
しかし、生物学的な視点から見ると、その昔はメスしかいなくてメスがメスを生んでいた時代があった。
つまり生命の基本仕様はメスだったんだ。
分子的な視点から見てもメスの染色体はXXという完全なペアであるのに、オスはXYという不均衡なペアになっている。
どうやら環境が変化する過程でオスはメスから創りだされたらしい。
つまりオスはメスの使い走りとして創り出されたのだ。
オスの寿命が短いのも生物学的負荷のせいかもしれない。
かくしてメスはオスに対していろいろと命令するようになる。
食べ物を取ってこいに始まって、花でも摘んでこい、そのうち家を建てろ等々。
それができないとオスはメスから叱られる。
罰としてセックスをさせてもらえないとか・・・。
オスはメスからの叱責が一番こたえる。
なにしろ自分たちの創造主だし、存在価値そのものですから。
オスはモノを集め、貯め、余剰があれば隠す。場合によってはオス同士で貸し借りをし、時には余剰が略奪される。
蓄積をめぐって闘争が起きます。
かくして余剰を支配するものが世界を支配する現状、イケイケどんどんの末に、混迷する男社会が出来上がったと言うわけです。
男はなぜここまで女に尽くすのでしょうか?
端的にいえば男は<あの快感>から逃れられないのです。
人間には五感があります。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚です。
生物学者の福岡伸一氏によれば、その他に、<加速覚>というのがあるのではないかと・・・。
ジェットコースターで体感する、あの時を超える瞬間のゾクゾク感が<あの快感>と同じだというのです。
別な視点で女が男と違うことを見てみましょう。
<男脳と女脳>の違いです。
<夫婦の会話>を例にとりましょう。
あの村上春樹が作品<遠い太鼓>の中で述べています。
「女性は怒りたいことがあるから怒っているのではなくて、怒りたいから怒っているのだ。そして怒りたいときにちゃんと怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ」と言っている。
<感性リサーチ>黒川伊保子代表の分析によると、男と女の話の方向が真逆だというのです。
つまり女性は<プロセス指向型>といって、事の発端からなぞるようにしてしゃべる。そして話終えれば、自己完結でおしまいとなるのです。その裏で、無意識に事の経緯に含まれている真実は何か、誰が悪くて何が起こったのか、そして私はどうすればよかったのか、さらにこれからどうすればいいのかという演算ができ上っているのです。
つまり女性の話は邪魔するなってことなんです。
女性の話は共感して気持ちよく聴いてあげればいい。
それに対して男性は<ゴール指向問題解決型モデル>といって、問題が見つかった瞬間に問題点を指摘して、早くゴールにいきたいのです。
で、夫が「お前の口のききかたが悪かったんじゃないの?」なんて言うから女性は一生反省しないことになるんです。
女性は<共感>してもらうと余剰なストレス信号が解消するんです。
何故か?
女性は怖いこととかを体験したときの感情が男性の数十倍強く、そして数百倍残るんです。
これは哺乳類のメスだからです。自分を守り、小さな子どもを守らないと生殖できないからです。
<共感>してもらうことが大事なんです。
そこで<夫婦の会話>で大事な四文字ことばは「そうだな}です。
今、三鷹市の市民大学で一年かけて哲学を学んでます。
動機は、この混迷した現代文明を救う手立てはあるのか?です。
中で、マルティン・ハイデッガーの<世界>と<大地>という発想に着目しました。
「
「<大地>は<世界>という開け開いたものを欠くことはできない。他方もし<世界>が全ての本質的な命運を主催している広がりの軌跡として、自ら決定されたものの上に創基すべきであるならば、<世界>は<大地>を離れて浮動することはできない」
つまり、イケイケどんどんの男といえども母性たる女から遊離できないってことかな?
最後に、まど・みちおの「頭と足」を紹介します。
生きものが 立っているとき その頭は きっと
宇宙のはてを ゆびさしています
なんおくまんの 生きものが なんおくまんの
ところに立っていたとしても・・・
けれども、そのときにも、足だけは
みんな 地球の おなじ中心を
ゆびさしています
おかあさん・・・と 声かぎり よんで
まるで とりかせいの つかない所へ
とんでいこうとする 頭を ひきとめて
もらいたいかのように
もともと、<女の使い走り>として、<いけいけどんどん>の男社会がもたらした混迷する現代文明社会にブレーキをかけることのできるのは、行き過ぎを懸念する女しかいないのかもしれない、と改めて思う。
10分という短い時間のスピーチだったが、「とてもよかった」「なるほどと思った」「もっと詳しく知りたい」と多数の方から声をかけていただいた。
主催者のF名誉教授、Y代表幹事に感謝です。
以前、このサロンで講演された元ドイツ大使が帰りがけに「これからは女の時代だよ」とぽつりとおしゃった。
ボクもその通りだと思っていたので、以降さらに<女性>のことを調べるようになった。
この日のFサロンの参加者は29名。
95回を数える歴史的な集会だ。 緊張する。
今、世界を支配している西洋文明史的な視点からみると、イヴはアダムの肋骨から生まれたことになっている。
しかし、生物学的な視点から見ると、その昔はメスしかいなくてメスがメスを生んでいた時代があった。
つまり生命の基本仕様はメスだったんだ。
分子的な視点から見てもメスの染色体はXXという完全なペアであるのに、オスはXYという不均衡なペアになっている。
どうやら環境が変化する過程でオスはメスから創りだされたらしい。
つまりオスはメスの使い走りとして創り出されたのだ。
オスの寿命が短いのも生物学的負荷のせいかもしれない。
かくしてメスはオスに対していろいろと命令するようになる。
食べ物を取ってこいに始まって、花でも摘んでこい、そのうち家を建てろ等々。
それができないとオスはメスから叱られる。
罰としてセックスをさせてもらえないとか・・・。
オスはメスからの叱責が一番こたえる。
なにしろ自分たちの創造主だし、存在価値そのものですから。
オスはモノを集め、貯め、余剰があれば隠す。場合によってはオス同士で貸し借りをし、時には余剰が略奪される。
蓄積をめぐって闘争が起きます。
かくして余剰を支配するものが世界を支配する現状、イケイケどんどんの末に、混迷する男社会が出来上がったと言うわけです。
男はなぜここまで女に尽くすのでしょうか?
端的にいえば男は<あの快感>から逃れられないのです。
人間には五感があります。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚です。
生物学者の福岡伸一氏によれば、その他に、<加速覚>というのがあるのではないかと・・・。
ジェットコースターで体感する、あの時を超える瞬間のゾクゾク感が<あの快感>と同じだというのです。
別な視点で女が男と違うことを見てみましょう。
<男脳と女脳>の違いです。
<夫婦の会話>を例にとりましょう。
あの村上春樹が作品<遠い太鼓>の中で述べています。
「女性は怒りたいことがあるから怒っているのではなくて、怒りたいから怒っているのだ。そして怒りたいときにちゃんと怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ」と言っている。
<感性リサーチ>黒川伊保子代表の分析によると、男と女の話の方向が真逆だというのです。
つまり女性は<プロセス指向型>といって、事の発端からなぞるようにしてしゃべる。そして話終えれば、自己完結でおしまいとなるのです。その裏で、無意識に事の経緯に含まれている真実は何か、誰が悪くて何が起こったのか、そして私はどうすればよかったのか、さらにこれからどうすればいいのかという演算ができ上っているのです。
つまり女性の話は邪魔するなってことなんです。
女性の話は共感して気持ちよく聴いてあげればいい。
それに対して男性は<ゴール指向問題解決型モデル>といって、問題が見つかった瞬間に問題点を指摘して、早くゴールにいきたいのです。
で、夫が「お前の口のききかたが悪かったんじゃないの?」なんて言うから女性は一生反省しないことになるんです。
女性は<共感>してもらうと余剰なストレス信号が解消するんです。
何故か?
女性は怖いこととかを体験したときの感情が男性の数十倍強く、そして数百倍残るんです。
これは哺乳類のメスだからです。自分を守り、小さな子どもを守らないと生殖できないからです。
<共感>してもらうことが大事なんです。
そこで<夫婦の会話>で大事な四文字ことばは「そうだな}です。
今、三鷹市の市民大学で一年かけて哲学を学んでます。
動機は、この混迷した現代文明を救う手立てはあるのか?です。
中で、マルティン・ハイデッガーの<世界>と<大地>という発想に着目しました。
「
「<大地>は<世界>という開け開いたものを欠くことはできない。他方もし<世界>が全ての本質的な命運を主催している広がりの軌跡として、自ら決定されたものの上に創基すべきであるならば、<世界>は<大地>を離れて浮動することはできない」
つまり、イケイケどんどんの男といえども母性たる女から遊離できないってことかな?
最後に、まど・みちおの「頭と足」を紹介します。
生きものが 立っているとき その頭は きっと
宇宙のはてを ゆびさしています
なんおくまんの 生きものが なんおくまんの
ところに立っていたとしても・・・
けれども、そのときにも、足だけは
みんな 地球の おなじ中心を
ゆびさしています
おかあさん・・・と 声かぎり よんで
まるで とりかせいの つかない所へ
とんでいこうとする 頭を ひきとめて
もらいたいかのように
もともと、<女の使い走り>として、<いけいけどんどん>の男社会がもたらした混迷する現代文明社会にブレーキをかけることのできるのは、行き過ぎを懸念する女しかいないのかもしれない、と改めて思う。
10分という短い時間のスピーチだったが、「とてもよかった」「なるほどと思った」「もっと詳しく知りたい」と多数の方から声をかけていただいた。
主催者のF名誉教授、Y代表幹事に感謝です。