時は江戸末期、300年の泰平を築いた徳川幕府が海外からの圧力に屈し崩壊しようとしていた。
攘夷討幕の旗印を掲げて江戸に迫る官軍に、江戸城内は戦々恐々としていた。
結果的には勝海舟と西郷隆盛の会談により、江戸は戦火にさらされることなく無血開城となったと一般的には知らされている。
しかし、男たちの決断の裏には、女たちの選択が働いていたことを知った。
NHKBSテレビ{英雄たちの選択」ってなかなか魅力的な番組ですね。
海外列強の圧力と、朝廷を盾に攘夷を叫ぶ国内の動きに頭を悩ませた幕府は、公武合体を計り朝廷から和宮親子内親王を第14代将軍徳川家茂の正室として迎えた。
しかし、国内の騒乱は収まらず。夫家茂は幕府軍を率い対抗するが戦地で逝去する。
さらに西郷隆盛を筆頭に官軍が東征に踏み出した。
和宮はそこで選択を迫られた。
折しも、家茂を継いだ第15代将軍徳川慶喜は時勢に鑑み、大政奉還を決断するが、一方では幕府引き締め改革の一環として、大奥改革に乗り出す。 当時薩摩藩島津家から第13代将軍家定の正室となった天璋院篤姫が大奥を仕切っていた。 当初、育った生活環境のちがいから、不仲だった和宮と篤姫は、この頃は意を通じ合うようになっており、ともに慶喜の改革には大反対していた。
二人は、官軍の東征に対して夫々の思いを書にして彼女らなりの力を尽くした。
和宮は朝廷に対し哀訴状を。
天璋院篤姫は、西郷隆盛宛てに3メートルにも及ぶ長文の書簡を送っている。
内容は、
切々とした思いを綴った。同郷で「仁」をお互いに育んだ西郷はこれを見て涙したそうだ。
これが西郷隆盛が勝海舟と会談し、江戸を戦火から回避し江戸城の無血開城に繋がったことは疑いない。
・・・男の起こした世の騒乱は女が働かねば収まらないということか・・・
ただこれも、相手に「仁」の志があってのことだが。
攘夷討幕の旗印を掲げて江戸に迫る官軍に、江戸城内は戦々恐々としていた。
結果的には勝海舟と西郷隆盛の会談により、江戸は戦火にさらされることなく無血開城となったと一般的には知らされている。
しかし、男たちの決断の裏には、女たちの選択が働いていたことを知った。
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海外列強の圧力と、朝廷を盾に攘夷を叫ぶ国内の動きに頭を悩ませた幕府は、公武合体を計り朝廷から和宮親子内親王を第14代将軍徳川家茂の正室として迎えた。
しかし、国内の騒乱は収まらず。夫家茂は幕府軍を率い対抗するが戦地で逝去する。
さらに西郷隆盛を筆頭に官軍が東征に踏み出した。
和宮はそこで選択を迫られた。
折しも、家茂を継いだ第15代将軍徳川慶喜は時勢に鑑み、大政奉還を決断するが、一方では幕府引き締め改革の一環として、大奥改革に乗り出す。 当時薩摩藩島津家から第13代将軍家定の正室となった天璋院篤姫が大奥を仕切っていた。 当初、育った生活環境のちがいから、不仲だった和宮と篤姫は、この頃は意を通じ合うようになっており、ともに慶喜の改革には大反対していた。
二人は、官軍の東征に対して夫々の思いを書にして彼女らなりの力を尽くした。
和宮は朝廷に対し哀訴状を。
天璋院篤姫は、西郷隆盛宛てに3メートルにも及ぶ長文の書簡を送っている。
内容は、
切々とした思いを綴った。同郷で「仁」をお互いに育んだ西郷はこれを見て涙したそうだ。
これが西郷隆盛が勝海舟と会談し、江戸を戦火から回避し江戸城の無血開城に繋がったことは疑いない。
・・・男の起こした世の騒乱は女が働かねば収まらないということか・・・
ただこれも、相手に「仁」の志があってのことだが。