昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(120)文明の進化路線に逆らえるのか(29)

2012-06-06 04:17:15 | エッセイ
「大飯原発再稼働の必要性について、政府は責任と覚悟をもって国民に訴えてほしい」
 西川福井県知事は細野原発担当相との会談で強調した。
 臨時的、限定的ということで、橋下大阪市長をはじめとする関西広域連合は再稼働について了承したが、そもそも原発に取り組む姿勢について政府は明確な態度を表明していない。 
 とりあえず、現存する原発は、安全性に配慮しながら活用するという現実主義者的姿勢だ。

 一方で今回の福島原発事故は、原発の存続自体に警告が突きつけられたと捉えるべきで、即刻、脱原発に向かうべきだという理想主義的姿勢がある。
 
 従来から<脱原発>の立場で「新しい文明の創設」を訴え続けている元スイス大使、村田光平氏によれば、福島原発事故はなんら終息していない。
 
 特に4号機の燃料プールは緊急の対応を必要としており、余震の規模如何では、1535本の燃料棒が大気中で燃え、果てしない放射能の放出、世界の究極の破局にいたる引き金を引きかねないと、危機感があまりにも稀薄であることについて警告している。

 1980年、フランスのラ・アーグ再処理工場で発生した「シェルブール停電事件」は1万キロ圏内のすべての住民の死をもたらし、欧州を全滅しかねない恐れがあったという。 

 当時のフランス大統領ジスカールデスタンが完全な報道管制を敷いたため、その事実を知る人は少ない。
 幸いに幸運が重なってそういう事態にはならなかったが、日本の六ヶ所村再処理工場にも起こりうることだという。

 村田光平氏は、「経済重視から生命重視」へと世界政治の舵を切るべき時だと、この福島原発事故を契機に世界に脱原発を働きかけるべき、と主張しているのは傾聴に値する。
 
 しかし、アメリカ、フランス、中国、インドなどは現実の経済を重視し、しかも科学にはリスクが伴うものだが克服できるはずだと、原発に依存する姿勢を変えていない。
 日本だけが先行して、現行の経済で不利を被る政治判断をすることができないのが悩ましいところである。
 脱原発を宣言したドイツ、イタリアに倣うべきだという意見があるかもしれないが、彼らはフランスなど他国から原発電力を買うことで当面を凌ぐことが出来るが、日本はそれが出来ない。
 世界が一致して脱原発に向かうことができるのだろうか。