昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(119)文明の進化路線に逆らえるのか(28)

2012-06-04 07:08:51 | エッセイ
 橋下大阪市長、大飯原発の再稼働を容認。
「うわべや建前論ばっかり言ってもしょうがない。事実上の容認です」とあれほど強硬に反対していた大飯原発再稼働の<安全重視論>から<危険回避論>に転換した。
 

 つまり本質的に理想主義者でなく、現実主義者の彼は、仮に計画停電などの事態になったとき、特に大阪地区の経済を支える中小企業から「どうしてくれるんだ!」と言われるのを政治家として恐れたのだ。
 原発の安全性が損なわれるのは、福島の大津波のように想定外の、それこそ杞憂と言われるほどの確率でしか起こらないが、計画停電による被害は100%目の前に突き付けられる。
 政治家としてこちらの方を怖れたのだ。

 3.11の大災害以来、政治家と民衆の信頼関係が決定的に損なわれた。未曾有の、それこそ何百年に一度の自然現象の猛威に、政治家はなすすべもなく、オタオタしてしまった。

 では、その時政治家として国民にどう呼びかけるべきだったのか。
「これは未曾有の自然の猛威です。普段自然の恵みに浴している我々が、受けざるをえない試練です。実際に被害を受けた方々には深い哀悼を捧げるとともにその苦難を受けられた方々を残された我々が懸命にお支えしなければなりません。そしてこれまで歴史が示してきたように、我々は一致結束して、新たなステップに踏み出すよう頑張りましょう」
 
 言い訳を連ねるより、政治家は先ずシンプルに事実を述べることから始めればよかったのだ。実際この震災による被害は、浅はかな我々には、まさに想定外の自然現象だった。
 ここで我々は被害を厳粛に受け止め、いかなる落ち度があったのか? 対処方法はあるのかを検証し学び、さらに新たな進歩に向かうというのが現在の人類文明のありかたなのだ。

 確かに、この震災を契機に、我々の生き方、つまり文明に取り組む姿勢を問い直すチャンスだ。日本がその新しいモデルケースを生み出すべきだという考え方もある。
 日本は古来、自然と共生し、その脅威を受け止めながらもその恩恵に寄り添ってきた。
 ところが、現代文明の主役はむしろ自然をコントロールしようとする西洋科学文明に支配されている。原発もその落とし子だ。
 そして我々はその科学のもたらしたリスクは伴うが、<便利>という恩恵に浴している。
 これがなかなかのもので、我々はその魅力から脱することができない。
 現実主義者、橋下氏はその辺を実感して決断したのであろう。