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東南アジア、台湾などへの海外旅行記などを中心に投稿しています。

ニカラグア・ヒューストン渡航記(グラダナ(カテドラル))

2016-12-01 21:25:39 | ニカラグア
 マナグアからのミニバスが着いたのは、中央公園(コロン公園とも呼ばれています)の近くでした。その公園の前に建っているのが白亜のカテドラルです。グラダナのランドマークと言っていいでしょう。このカテドラル(大聖堂)は、過去に完全破壊された歴史があります。現在の姿に再建されたのは1915年です。

  

  

 塔を上って外に目をやると、グラダナの街が一望できました。

  

  

  

ニカラグア・ヒューストン渡航記(グラダナ)

2016-11-28 22:29:28 | ニカラグア
 首都マナグアからミニバスを1時間ほど乗って、ニカラグの古都グラダナ(Granada)に着きました。1523年にスペイン人が現在のニカラグア国内で最初に創設した町で、コロニアル様式の建物や教会が立ち並んでいます。カテドラル(大聖堂)を中心とした地区は建物の保存状態も良く、通りには馬車がタクシーと肩を並べて悠然と走っていました。
中米最大の湖である、海のように大きいニカラグア湖の北西部に位置しており、湖畔の町としても知られています。また、隣国コスタリカへ陸路で向かう場合の交通の拠点ともなっています。
知人は、ニカラグアで最も多くの外国人旅行者が訪れる街だと話していました。カテドラル周辺には、レストラン、カフェ、土産物店が並んでいました。

   

   

ニカラグア産珈琲豆

2016-11-25 08:35:12 | ニカラグア
 酉の市が行われていた金刀比羅・大鷲神社は、横浜を代表する繁華街の一つ伊勢佐木町通り近くにあります。その通りの中に、ニカラグア産の珈琲豆を販売している「まめや」があります。今まで、店の前を何度か通ったことはありましたが、入る機会がありませんでした。たまたまこの日、まめや近くで昼食をとったので、その帰りに入ってみました。ここでニカラグア産の豆を扱っていることは、近所に住む知人から聞いていました。

  

  

  

  

 確かにニカラグア産の豆は置かれていましたが、ショットで飲むことはできませんでした。焙煎したものを買うこともできたのですが、私は家でじっくりコーヒーを味わをタイプではないので、諦めました。

  

  

 写真をとらせていただいて、コーヒーを飲まずに帰るのは失礼なので、インドネシア産の豆で1杯いただきました。

  

  

ニカラグア・ヒューストン渡航記(レオン(マクドナルド)小さな驚き)

2016-11-21 23:33:58 | ニカラグア
 この日は暑かったです。この時期(9月)のニカラグアは雨季(5月から10月)です。平均気温は25℃から30℃、降水量が最も多いのは9月。レオン大聖堂前の中央公園に設置されている温度計は33℃でした。次はバスターミナルに向かうのですが、ベン・ダリオ博物館近くに雰囲気のいいカフェがあったので一休みしました。

  

  

 私が注文したのはホットのカフェラテ(私はどんなに暑くてもホット)と美味しそうなケーキ。知人とその彼女が注文したものが先に運ばれてきました。何故、私が注文したものが遅いのか?その答えは、運ばれてこたものを見て納得しました。何と!ラテアートでした。さりげなく出てくると、こちらが驚いてしまいます。店の雰囲気、ドリンク、ケーキの味と申し分なかったのですが、最後に落ちがありました。プレートとグラスがプラスチック製でした。やっぱり、ニカラグア!?

  

  

ニカラグア・ヒューストン渡航記(レオン(マクドナルド))

2016-11-20 21:49:02 | ニカラグア
 ニカラグアには、米国系のマクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、バーガーキングなどが進出しています。レオン大聖堂の近くにマクドナルドがありました。ただ、気に留めていないのと気がつかない人がいると思います。
 それは、店舗がコロニアル様式の家屋の中にあるからでした。

   

ニカラグア・ヒューストン渡航記(レオン(ルベン・ダリオ博物館))

2016-11-19 22:32:09 | ニカラグア
 1867年この地に生まれた詩人ルベン・ダリオは、19世紀のスペイン詩に多大な影響を与えたといわれています。レオン市民は特にこの詩人を敬愛し、彼の育った家を博物館として保存されていました。
レオン大聖堂からここに着いたとき、入口は閉まっていました。この日は日曜日(Domingo)で、開館は正午まででした。スペイン語が話せる知人が、館内にいる男性に声をかけると、快く入れてくれました(当然、入館料も徴収されました)。内部には当時をしのぶ家具などが展示されていました。尚、カメラ撮影は中庭を除いて禁止されていました。

   

   

   

   

ニカラグア・ヒューストン渡航記(レオン)

2016-11-15 22:44:23 | ニカラグア
 レオン(Leon)はニカラグア第2の都市。1851年まで、200年以上の間ニカラグアの首都として栄えました。市街の見どころは、中南米最大の規模を誇る世界遺産の「レオン大聖堂」や、ニカラグアで初めて創設された大学などが有名です。また、詩の巨匠と呼ばれるルベン・ダリオ生誕の地としても知られています。市街は教会やコロニアル様式(スペイン統治時代の建物の形式)の民家が並び、町全体には歴史の重み風格が漂っていました。
 首都マナグアからは、ミニバスで1時間半ほどの距離。バスターミナルから、レオン大聖堂までは、人力車で向かいました。最初は徒歩で向かうつもりでしたが、人力車(?)の運転手がしつこいほど声をかけてきました。こちらは、私と知人、それに知人の彼女を入れた3名。スペイン語を話せる知人が、運転手に漕ぐのは無理だと言ったのですが、どうしても乗ってくれと頼まれたようでした。


  

  

  

ニカラグア・ヒューストン渡航記(土産の主役)

2016-11-10 22:59:30 | ニカラグア
 マナグア国際空港は小さな空港ですが、出国ロビーにはそれなりに免税店(売店?)ありました。

  

 いくつかの店を覗きましたが、酒、たばこ、化粧品など、これと言って珍しいものはありませんでした。ところが、これぞ中米と言える物が売られている店を発見したのです。それは「葉巻」でした。

  

  

ニカラグア・ヒューストン渡航記(殺虫剤)

2016-11-04 23:48:13 | ニカラグア
 中南米の街を旅するにあたって、最も注意しなければならないのは、治安の悪さでしょう。私がニカラグアを訪れる数日前には、JICAの女性隊員が日中強盗の被害にあったそうです。
 そして、今は「ジカ熱」にも注意しなければなりません。ニカラグアでは、政府の費用で月1回、各戸で殺虫剤の散布を実施しています。たまたま、その現場に居合わせました。

   

   

   

   
 

ニカラグア・ヒューストン渡航記(四角ベースボール)

2016-11-03 21:01:42 | ニカラグア
 知人が住む街を歩いているとき、路上で何かをやっている若者たちがいました。

  

 興味があったので、近くまで寄ってみました。彼らがやっているのは、私たちが子供のころに遊んだ「三角ベース」でした。とにかく、楽しそうにやっているのです。

  

   

ニカラグア・ヒューストン渡航記(太い!)

2016-10-21 23:51:15 | ニカラグア
 過去に、中南米諸国で日本製の冷蔵庫が売れない時代がありました。その理由は、3リットルのペット・ボトルが格納できなかったからです。

  

 スーパーでも、ドリンクコーナーの前面に並んでいるの3リットルボトルでした。上の段に並んでいるのは、日本国産ビールでした。

ニカラグア・ヒューストン渡航記(面白たばこ)

2016-10-19 00:27:48 | ニカラグア
 ニカラグアでは、マルボロのパッケージが3つ販売されていました。その中にちょっと変わったものがありました。

  

 何が変わっているのかと言えば、黒のパッケージのものです。

  

 左端は10本入り、右端は20本入り。中央の黒は、右端より幅が狭く、厚みも右端より多少薄いです。それでも20本いりでした。

  

 どんな目的があって、黒のパッケージを製造・販売しているのでしょうか。


ニカラグア・ヒューストン渡航記(思わずTukuTukuと)

2016-10-13 23:39:20 | ニカラグア
 ニカラグアの首都マナグアから、バスで2時間ほど走った街を歩いているとき、思わず「TukuTukuだ!」と叫んでしまいました(多少、大袈裟な表現かも)。よく見ると三輪自動車でした。

  

 知人の話では、首都マナグアでの走行(営業)は禁止されているようです。さらに、三輪車タクシーも走っていました。発展途上国、新興国では、当たり前の光景ですね。

  

 この三輪車に、私と知人+知人と同じJICA隊員(女性)で乗りました。運転手さんにはご迷惑をかけました。



 

ニカラグア・ヒューストン渡航記(横浜駅を出るときにはガラガラ)

2016-09-30 23:37:03 | ニカラグア
 成田空港へは、JR横浜駅から成田エキスプレスで向かいました。横浜駅出発のとき、私の車両には数名の乗客。



 ところが、JR東京駅を出るときには、満席に近い状態。乗客の大半は米国人?



 その理由は、私が搭乗する便の前後は北米便だらけだったからです。