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東南アジア、台湾などへの海外旅行記などを中心に投稿しています。

桜だけではありません

2021-02-27 21:56:22 | 雑記
 三浦海岸のある三浦半島は、野菜の栽培でも全国に知られています。三浦海岸駅から数分歩いた先には畑が広がっていました。

  

  

 特に「三浦ダイコン大根」が有名です。桜並木の沿道では農家の方が野菜を販売していました。

  

  

 

三浦海岸 河津桜

2021-02-24 21:41:38 | 雑記
 神奈川県・三浦半島では早咲きの河津桜が見ごろを迎えていました。最寄り駅は京浜急行久里浜線三浦海岸駅。駅前の桜を見ると若葉が出始めていました。満開は先週中ごろだったのでは。

  

  

  

 駅から10分程歩くと京浜急行線沿いに桜並木が続いています。陸橋からが最高の撮影ポイントようです。

  

  

  

 桜は若干見ごろを過ぎた感がありましたが、桜の木の下の菜の花は満開でした。

  

  

  

  
  

台湾に学ぶ

2021-02-20 21:42:23 | 台湾
 過日、新聞全国紙の1社に下の記事が掲載されました。台湾はここまで新型コロナウイルスの封じこめに成功(2021年2月19日現在感染者数は940名、死者は9名)。米国の前厚生長官は、台湾を「世界の規範」と称賛したと書かれています。
 台湾が盤石な防疫体制がとれたのは、記事の赤枠のように日本がその土台を気づいたからです。

  

 この事業を立案し執行したのは第4代台湾総督児玉源太郎とその下で民生長官を務めた後藤新平でした。このことは今年に入り購読した「後藤新平の台湾」に詳しく書かれています。
 児玉源太郎と後藤新平は手掛けた事業は台湾がはじめてではありません。これも「後藤新平の台湾」の冒頭に書かれていました。その一部を載せました。

  「日清戦争が終われば戦地から大量の兵士が帰還する。兵士の検疫をどうするか。陸軍次官児玉源太郎が抱えた
  大問題であった。苦い経験が児玉の頭を満たす。明治10年の西南戦争後、勝利・帰還する兵士を通じて国内各地
  にコレラ汚染を招いてしまった。
   日清戦争からの帰還兵は西南戦争のそれに比べてはるかに多い。日清戦争での犠牲者は戦死1,132人である一方、
  病死者数は11,894人、とりわけコレラによる病死者が著しく多い、検疫事業はのっぴきならない課題として児玉に
  のしかかった。
   帰還兵は6月初旬から10月末までに23万2000人を超える。これだけの数を1か所でこなすことは不可能とみて、広
  島宇品の似島、大阪の桜島、下関の彦島の3つの離島に検疫所を設置することを児玉は構想していた。
   後に報じられた記録によれば、この3か所で罹患(りかん)が証明された兵士の数は、真性コレラ369人、疑似コレラ
  313人、腸チフス126人、赤痢179人、疱瘡が2人であった。この数の罹患者が検疫なくして国内の各地に帰還してい
  った場合の事態の深刻さは、想像するだに恐ろしい。」
 さらに続きがあります。そこには、
  「日清戦争後の検疫事業は、往時の日本の政治指導者がこれを国家緊急事態として認識したのがゆえの成功であっ
  た。検疫事業の遂行に一瞬の戸惑いがあったとすれば、日本国内はいかに由々しい事態に陥っていたか。2020年に
  おける新型コロナウイルスのあの急速な拡散のありようをみていると、指導者が「初動」においていかに迅速に立
  ち居振る舞うか、ポイントはやはりそこにある。現代の視点からみても、児玉と後藤の初動にはみるべきものがあ
  ったといわざるを得ない。」
 と書かれています。

横浜中華街 2021春節

2021-02-17 23:15:33 | 横浜
 横浜中華街の春節は、例年ならば獅子舞や龍舞、皇帝衣装のパレードなどで賑わっていたのですが、今年は中止となりました。今回は初試みとなる「ランタン オブジェ パビリオン」が開催となりました。それは、「西遊記」の物語に合わせたものでした。。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

2021年本(台湾にひかれて)

2021-02-13 22:50:26 | 2021年本
 明治から大正にかけて、日本が国難に直面したときに必ずと言えるほど登場した人物が後藤新平です。広く知られているのが、関東大震災によって大被害を被った東京を復興させたことでしょう。しかし、この当時の後藤新平は、「後藤新平の台湾」を読むと失意の時代だったようです。

  

 後藤新平が最も輝いていたのは台湾統治事業に従事していた時と作者は書いています。

武相荘

2021-02-06 21:14:23 | 雑記
 神奈川県横浜市に、かつて高校野球の強豪校に名を連ねていた武相(ぶそう)高校があります。一方、同じ文字で「武相荘」は「ぶあいそう」と読みます。これは東京都町田市にある故白洲次郎氏の邸宅。氏は、戦後故吉田茂総理大臣のブレーンとして新憲法制定に深く関り、その後は実業界で活躍されました。その人生が没後テレビドラマ、書籍等で多く取り上げられました。
 私が「武相荘」を知ったのは、映画「日本独立」を観た後、故人について調べている時でした。

  

  

  

 ここには、レストランカフェが併設されています。故人が好んで食べていたカレーライス、オムライスなどが当時のレシピで食べられます。

  

  

  

  

  

 私は海老カレー、友人はオムライスを注文。カレーのキャベツはライスの上にのせ、その上にカレーをかけて食べるのが白洲流だとか。オムライスも一般的なものとはだいぶ異なります。これも、白洲流なのでは。
 

2021年本(何故、今話題に)

2021-02-03 18:56:52 | 2021年本
 この本を、私は書店で見つけたのですが、知人はkindleのお薦め表示されていると教えてくれました。その本は「ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版」(服部正也著 中央公論新社刊)。初版は1972年、その後18版まで増版。増補版は2009年が初版。

  

 1965年(東京オリンピックの翌年)、独立してまもないアフリカの小国ルワンダに、中央銀行総裁として赴任したのが著者服部正也氏。国の自治も定まっていない状況下、総裁職の任だけではなく、商業、農業、工業から社会インフラ整備までを、計画・実施した日本人がいたことに驚かされました。