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東南アジア、台湾などへの海外旅行記などを中心に投稿しています。

lenovoのパソコン

2012-05-08 23:17:57 | IBM

 4月に購入したlenovoのパソコンをGW期間にセットアップしました。段ボールの中に入っていたのは、本体、バッテリーパック・ACアダプタ、そして数枚のマニュアルの3点でした。
 マニュアルの中でも肝心なのはセットアップに関するものですが、入っていたのはA3版でポスターと称するものが1枚でした。
 表面は↓ように表紙と段ボールの中身、そしてセットアップの説明です。 

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 裏面は、↓のようにボタン類の説明でした。

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 表面のセットアップの説明は4コマだけで、最後↓は“画面の説明に従ってオペレーティングシステムを構成します”と書かれていました。私はこれでも困ることはありませんが、初心者はセットアップ出来ないでしょう。初心者向けに販売する気がないとしか思えません。それとも、これが“中国流”なのでしょうか。

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最後のMSマシン

2012-04-19 23:19:55 | IBM

 約4年振りにパソコンを買いました。初めて触ったIBM日本語DOSを搭載したPS55から約25年、これが最後のMSマシン(Windows7)となるでしょう。

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 最後もIBMと縁があるマシンとなりました。IBM信奉者の私としては満足しています。しかし、本当の最後はMacに決めています。


今から約30年ちょっと前(続き)

2011-06-20 22:42:12 | IBM

 19日(日)日本経済新聞社1面の春秋欄にIBM社のことが載っていましたので紹介します。今でも日本企業の一歩先を行ってます。

 紙のカードに穴をあけ、その位置の違いで情報を記録する。コンピュータが登場する前、米IBMはそうした「せん孔カード」式事務機を作っていた。日本からも引き合いがあったのが大正の末。ところがせっかくの注文を断った。
 「機械のメンテナンス体制が日本にない」というのが理由だった。製品の点検や修理をする人がいなければ、使い手に迷惑がかかるとIBMは回答。そこで注文した会社は、交渉役の社員が米国で機械の保守技術を習うことにした。商談は成立し、その社員は日本IBMの設立にかかわり後に経営トップを務める。
 事務機などの3社が統合し、現在のIBMが生れたのが1911年6月。この100年の間、日本企業はIBMから、情報技術、半導体、超電導など幅広い分野で刺激を受けてきた。だが、技術より先に学んだことがある。製品を顧客に渡した後も企業は責任があるとの考え方は、当時の日本企業には驚きだった。
 いまIBMはアフリカの営業拠点を増やし、現地の大学と組んで技術者の養成にも力を入れている。


今から約30年ちょっと前

2011-06-17 23:58:11 | IBM

 以前一度書きましたが、私は今風に言うとIT技術者です。でも、実体は「おやじプログラマー」です。今から約30年ちょっと前、私がはじめた触ったコンピューターは「IBMシステム360」でした(↓の写真)。CPU(中央演算処理装置)のメモリー容量は64KBでした。今、このブログを書いているパソコンのメモリーの1万分の1以下です。これで、全国規模のオンライン業務を行ってました。

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 この当時、液晶モニターなどはありませんでした。会社ですから仕入れた商品や売れた商品を伝票からコンピュータに入力しなければなりません。そこで、使われたいたのが↓の「パンチカード」です。このカードに数字、英字そして一部の記号をコンピュータが認識できる穴をあけて使っていたのです。伝票が100枚あれば、このカードを100枚作ることになるのです。

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 何故、今になってこんな記事を書いたかと言えば、IBMが誕生して今年で100年を迎えたからです。