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東南アジア、台湾などへの海外旅行記などを中心に投稿しています。

すぐ近くに

2024-07-07 16:45:44 | カンボジア

 日本とカンボジア関係は、江戸時代初頭から交易が行われていたことがわかっています。終戦後はJICA最初の派遣国でもありました。その後は、様々なかたちで支援を継続しています。その中の一つに、内戦時代に埋設された地雷の除去活動があります。現在、その技術をウクライナなどに日・カンボジア共同で取り組むことが検討されています。

  

 上の記事にあるシアヌークビル港の整備は、日本が1960年代から手がけている事業でもあります。この港はタイ湾に面しています。同じタイ湾に面してあるのがリアム海軍基地。この基地に中国艦が停泊していることが確認されています。

  


日本の役割

2024-03-10 21:26:28 | カンボジア

 「開発独裁」という言葉があります。これは、経済発展を優先し、政治を独裁化することです。東南アジアでは、シンガポール、マハティール政権時代のマレーシアが、開発独裁の典型といわれています。この言葉を適用すべきか、結論を躊躇する国が「カンボジア」です。下は読売新聞の社説です。

  

  社説に書かれているように、野党勢力を排除していることから民主主義国家とはいえません。
  著しい経済発展の成果を、国民に分配することによって、「政治への不満=民主化」の動きを抑えているからです。
  いつか、日本が手助けする時がくると思っています。それは、読売新聞「時代の証言者」の記事内容から推測されるからです。

  

  証言者の「石沢良昭」さんは、上智大学教授で長年にわたり、アンコール遺跡群の発掘・保存・修復作業に従事してきました。
  この記事の最終段を読むと、日本との絆が深いことが理解できました。
  


あれから30年

2023-07-30 22:00:44 | カンボジア
 今から30年前、カンボジアで日本人の尊い命が二つ失われました。亡くなられた方々は、今のカンボジアの姿は想像していなかったと思います。中国の後ろ盾を得て、経済成長が続いている現状です。しかし、記事には中国一辺倒の姿勢から脱却したい思いもあるようです。
 日本は、戦後からJICA支援、ODA,円借款などでカンボジアを支えた経緯があります。さらに、タイに進出している日本企業は、国境を接しているカンボジアをプラスワンと位置付けています。

  

  

  

ASEANの基本原則の一つ「内政不干渉」

2023-07-08 22:34:13 | カンボジア
 ASEAN10か国(タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピン、マレーシア)には「内政不干渉原則」が重視されています。その代表がミャンマー軍政です。他国が呼び掛けに軍政は耳をかしません。さらに一党独裁・強権政治に突き進んでいるのがカンボジアです。

  

 カンボジア国民が声をあげないのは、経済発展が続いているからです。それを裏から支えているのが中国と知っていながら。

カンボジアの空港で聞かれました。

2022-09-20 09:14:23 | カンボジア
 読売新聞朝刊「特派員直伝 トラベル英会話」は、英語勉強の教材として利用しています。特派員が駐在されている国での実体験がレポートされたいます。9月19日版はアメリカからでした。

  

 スターバックスコーヒー店舗で注文のさいに名前を聞かれたそうです。日本で聞かれることはありません。私が旅した国々にもスターバックがあり、よく利用しました。その中で、唯一聞かれた国がありました。そこはカンボジアの空港内にある店舗でした。とっさのことだったので、思わず名字を伝えてしまいました。やっぱり、聞き取れなかったようでした。

  

今月は東南アジア特集(その1 カンボジアで活躍する日本人)

2018-08-02 07:49:24 | カンボジア
 今月は、私が最も興味を持っている東南アジアの国々の今や過去を中心に投稿します。先ずは↓の新聞記事から。

 

 今の東南アジアでは中国の勢いが増してます。顕著なのはカンボジア。民主主義から一党独裁の可能性が高まりつつあります。その背景にあるのは、中国からの経済支援です。今の首都プノンペンは中国一色とも言えます。
 そんな中で、現地で活躍されているある日本人がいました。カンボジアのソフトテニス代表チームのヘッドコーチを務める萩原雅斗さん。読売新聞「しあわせ小箱」で紹介されてました。

  

  

  

  

  

カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(東南アジアでは当たり前)

2016-08-26 23:09:13 | カンボジア
 東南アジアのベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、そしてタイの5か国は仏教国です。しかし、街を歩くとイスラム教が布教していることがわかります。イスラム教徒が口に入れるはハラル(Halal)食品。ハラル食品の製造や販売をするためには、ハラル食品であることを証明するものを掲示しなければなりません。





 上の写真はカンボジア・プノンペンの食肉加工店です。タイ・バンコクのスーパーでは、日本の食品メーカーのものも売られていました。1瓶85タイバーツは約300円になります。








カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(国立博物館)

2016-06-08 22:55:47 | カンボジア
 カンボジア渡航記は。そろそろ終わりに近づきました。
 私は博物館や美術館には、あまり興味はありません。ところが、今回は暑さに耐えきれずに国立博物館に逃げ込みました(TukuTukuは暑さに弱いのでした)。ここでは夜になると、舞踊シーが開催されるようです。







 展示されているものは、アンコールワットから出土されたものでした。ここでもカメラ撮影は禁止でした。



 私が気に入ったのは中庭でした。館内の椅子に座り中庭を眺めていると、心が落ち着きます。








 


カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(トゥール・スレン虐殺犯罪博物館(その2))

2016-06-07 21:54:46 | カンボジア
 私が博物館に着いたとき、道路脇には大型バスが数台停車していました。



 中に入ると、高校生の集団がいました。外のバスは、この学生を乗せたバスでした。↓の画像で、右端の青いチェックを来たのが先生でした。



 大虐殺が起きたのは、今から約40年前です。彼らが生まれていない時代のできごとですが、過去の負の遺産を知り、同じ惨劇を二度と起こさせないためにも、ここを知っておくことは一つの義務でしょう。





カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(トゥール・スレン虐殺犯罪博物館(その1))

2016-06-05 21:59:59 | カンボジア
 世界の国々の多くは「負の遺産」を抱えている言っても過言ではないでしょう。それらの多くは人間が自らの創造したものです。ポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」、ウクライナの「チェルノブイリ原発」、アメリカの「グランド・ゼロ」、記憶に新しいものには「福島原発」も負の遺産です。
 カンボジア全土には、独裁者ポル・ポト率いるクメール・ルージュによって大虐殺が行われた「キリング・フィールド」と呼ばれる場所が点在しています。ポル・ポト政権下で、強制的に連行され、壮絶な拷問を受けた後に殺された人々の遺体が埋められた場所です。その中でも最も有名な首都プノンペンにありました。私は時間がなく、足を運ぶことはできませんでしたが、実際に拷問が行われた「トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」には寄りました。
 ここには、実際に使われた拷問道具や、処刑された人々の写真が展示されていました。このような場所は、室内の撮影は禁止されていますが、欧米の旅行者はシャッターを押していました。私は、禁止されていなくても、写す気にはなりませんでした。










カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(まだ早いのでは(その2)

2016-05-20 22:52:28 | カンボジア
 イオンモール3階の半分は飲食街。ここの約半分を日本食の店が占めていました。東南アジアの日本食ブームは驚くばかりです。それでも、私が知っている店は、九州では広くしられている秀ちゃん」ラーメン、吉野家、築地銀だこくらいでした。他は地場の企業が出店しているのでしょう。
 何故か、フロアーの中央には赤い橋がかかっていました(下に池や川があるわけではないので、正確に表現すると橋のようなものが置かれているだけになります)」。
 ひときわ立派な店がありました。ちゃんこ鍋の「玉海力」です。ご存知の方は少ないでしょう。東京・広尾が本店、その他都内に2店。中国・上海と青島にも支店があります。元大相撲力士玉海力さん(最高位は西4枚目)が、引退後に開いた店です。今でも店に出ています。帰国後本店に訪ねました。カンボジア店のことを聞くと、人を通じてFC方式で出店したいとの打診があったそうです。






カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(まだ早いのでは(その1)

2016-05-19 22:39:20 | カンボジア
 観光名所ではありません。ただ、日本人として何となく気になったので足を運んだ場所がありました。そこは「イオンモール」。イオンは東南アジアで積極的な店舗展開をしています。



 1階が食品、2階は化粧品・衣料品、3階は電化製品・インテリア商品となっています。この日は平日でしたので、人の姿はまばらでした、と言うか皆無に近かったです。店員さんは手持ち無沙汰のようで、スマフォをいじっていました。日本ならば首を傾げるでしょうが、東南アジアで当たり前の光景です。









 年内のは2号店を出すようですが、大丈夫でしょうか。

 

カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(独立記念塔)

2016-04-18 22:05:50 | カンボジア
 東南アジアの一部の国には、日本、イギリス、オランダなどに占領・統治された時代がありました。ミャンマーは第二次世界大戦当時は日本、終戦後はイギリスが統治していました。インドネシアも大戦中は日本に占領されていました。これらの国々は戦後独立しました。そして、首都には独立を記念した塔が建てられています。下の1枚目はインドネシア・ジャカルタ、2枚目はミャンマー・ヤンゴンにある独立記念塔です。





 カンボジアは大戦終了後、1953年にフランスから独立しました。インドネシア、ミャンマーと同じく独立記念塔が建造されました。しかし、他の国のものとは趣が異なっていました。どことなく、アンコール・ワットを彷彿させます。




カンボジア・プノンペン渡航記(2016.03.19~22)(セントラル・マーケット(ロータリー))

2016-04-10 22:36:41 | カンボジア
 先ず下の地図を見てください。中央四角の枠の中にあるのがセントラル・マーケットです。すべての道路がここに繋がっています。敷地は四角ですが、ロータリーの役目も果たしています。



 ちょっと面白い光景に出会いました。1台の乗用車から若い男女3名が降りました。



 その中の1人(多分女性)が年配の男性にお金を渡していました。この車はタクシーの類だとおもいます。セントラル・マーケットは交通の要になっている証です。乗用車はここまで来るのが仕事で、降りた人たちは他の乗り物に乗り換えて目的地に向かうのでしょう。



 マーケットの周囲には電気店が多くありました。地方に帰る人は、ここで土産の電気製品を買い求めるのだと思います。それと、韓国・サムスンの大きな看板が掲げた店が多くありました。日本メーカーの看板もちらほらありましたが、印象が薄かったです。あるところで先生に引率された高校生10名ほどのグループに会いました。先生を含め全員がスマートフォンを持っていました。それもサムスン製でした。強いですね。





 1つ紹介が漏れていました。マーケットのドームの中は、貴金属店でした。囲いも厳重でした。このときは開店準備中でしたが、中に入れてはくれませんでした。