訪問初日の26日、報道された行事の中で目を引いたのは、現地に赴任中の青年海外協力隊員との面談でした。過去の外国訪問でも現地で隊員との面談は行っていたでしょうが、今回のように報道されたことは珍しいのではないでしょうか。
青年海外協力隊は、1965年に発足して昨年で50周年。1966年第一期生が向かった先の国の中にフィリピンがありました。延べで派遣された隊員は88か国中で一位でした。50周年記念事業映画「クロスロード」の舞台もフィリピンでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/68/a535415e21798b3ef5a3ae306e3df3c6.jpg)
メトロ・マニラの中心を走るMRT(マニラ・ライトレール:Manila Light Rail Transit System)で恥ずかしい体験をしてしまいました。その日は日曜日でしたが、電車の到着を待つホームは多くの乗客で混雑してました。
先頭車両に並ぶ人が少なかったので、そこから乗車しました。出発してから、あることに気がつきました。それは私を含めて男性客は数名でした。はっ!と思いガイドブックを広げて読んだところ、その車両は女性専用でした。私は慌てて次の駅で乗り換えました。
帰りのホームでは、女性専用車両の確認ができました。
でも、日本と同じようにピンク色で表示してくれればわかったのですが。
マレーシアではわかりやすく表示されていました。
日本に帰国する日、観光スポットを回った後、ニノイ・アキノ国際空港ターミナル3には出発の約2時間前午後1時に入りました。太陽光が入る明るいターミナルでした。
しかし、日本航空のチェックインカウンターが見当たりませんでした。eチケットを確認すると、日本航空はターミナル1でした。ガイドブックにターミナル間の移動にはシャトルバスがあると書かれていました。案内所でシャトルバスの乗り場を訪ねたら、“シャトルバスはない”と冷たい返事でした。残る手段はタクシーです。乗り場に行ったら、そこは長蛇の列でした。でも、そこに並ぶしかありませんでした。
少し経った後、列の近くを通りかかったガードマンに、ターミナル1までの所要時間を尋ねたら、逆に何時の便かと聞かれました。午後2時50分発の便を、わざと2時と答えたら私を列の先頭まで連れて行きタクシーに乗せてくれました。その際、ガードマンは運転手に行先はターミナル1と伝えてくれました。
運転手は不服そうな顔をしていましたが出発してくれました。道路は酷い渋滞でハラハラしたのですが、2時少し前にターミナル1に着きました。運転手は相変わらず期限が悪そう顔をしていましたが、私がメーター料金の倍近い千ペソを渡したら、急に愛想がよくなりバックを降ろすのを手伝ってくれました。
ターミナル1の出発ロビーに入り日本航空のチェックインカウンターを探しました。左手に日本航空のロゴマークを見つけた。とりあえずほっと一安心。腕時計の針は2時を指していました。
ここで、落ち着きを取り戻し、ターミナルを見る余裕が生まれていました。何となくですが古さを感じさせるターミナルでした。それを決定づけたのはチェックインカウンターでした。
↑の画像でもわかるように、カウンターは古くて傷んでいるものでした。しかし、グランドスタッフの対応と美人度は及第点でした。
マニラ湾の夕陽を見た後、チャイナタウンに戻るためLRTの駅に向かいました。その途中に怪しげな一画がありました。そこには、日本人男性を誘うような看板を掲げた居酒屋(?)、私に向かって“おとうさん!おとうさん!”と声をかけてくる客引風の男性が立っていました。
近くの大型ショッピングセンターに、友人から依頼された音楽CDを買い求めるために入ったところ、現地の若い女性から“日本人ですか?1人ですか?”と二度も声をかけられました。
おそらく、この界隈には日本人男性を相手にするお店が多く集まっているのでしょう。
これで、初日に空港からホテルに向かうタクシーの運転手さんが、“日本人はダイヤモンドホテルに泊まる”、といっていた意味が理解できました。
それは、怪しげな一画の手前にあったダイヤモンドホテルだったからです。
2日目の夕食はチャイナタウンでとりました。横浜中華街のように料理店が軒を連ねているわけではありません。この日は、朝早くにホテルを出て、LRT全路線を乗車するなど、メトロマニラをほぼ一周してしまいました。昼食はKFCで何故かパスタ。
チャイナタウンに戻ってきたころには、“お腹が背中につく”状態でした。チャイナタウンを先に進むと派手なネオンで彩られたホテルの近くに、非常に賑わっている店があり、そこに足を進めていたら、家族連れが先に店に入り、私が入った時には満席でした。
仕方なく、他の店に入りました。その店を選んだ理由はガラガラだったからです。異国の地のことですから、“満席=おいしい、ガラガラ=まずい”とはいいきれません。
先ずはビールを頼み、それを飲みつつ料理を選びました。仕上げはご飯類と決めていたので、最初はスープと炒め物を注文しました。その際、店員さんにはジェスチャーを交えながら“small”と告げました。
スープと炒め物の見栄えは悪かったですが、ビールにピッタリ合う味でした。でも、炒め物がトロミかかっていたのには、ちょっと残念でした。ご飯物に乗せる具のようでした。↓の写真はスープです。これでsmall?
この時点で“腹6分目”ほどでしたので、仕上げに焼き飯を注文しました。これが大失敗!出てきた焼き飯は2人前はあろうかなと思うほどの量でした。そのうえ“まずい”、という以前に全く味がないのでした。塩をかけたのですが、味はかわらずでした。結局、スープと炒め物は完食したのですが、焼き飯は少しだけ口に運んだだけです。
料金は760ペソ約1800円也。さすが安いですね。横浜中華街ならば5千円近くはとられたでしょう。帰りがけに、店員さんから焼き飯を持ち帰るか聞かれたので、“ノー”と返事をしました。
昨日の記事について、友人から指摘がありました。フィリピンでは、マクドナルドが上であって、ジョリビーが2番手だと決めつけるのは間違えだと言われました。
世界を相手に事業展開しているマクドナルドでも、負けている国がありました。その代表例がフィリピンでした。ジョリビーの店舗数はマクドナルドの倍以上で、売上は日本に匹敵しているようでした。
イントラムロスには、サンチャゴ要塞以外にマニラ大聖堂、サン・オウガスチン教会など歴史的建造物がありますが、一般市民も多く住んでいます。↓は見た瞬間目を疑いました。
これは人家でした。2階部分は船の船首です。おそらく、真似て建てたのでしょう。人が生活しているわけですから、周辺には商店や食堂がありました。この日の夕食はこの人家の近くにあった食堂でとりました。料理は東南アジア定番の「ぶっかけご飯」でした。
店先に並べられているおかずを選び、ライスの上にかけて食べます。何故、この店を選んだかと言えば、店頭で焼いていた肉の臭いに誘われたからです。
私は東南アジアのお米が食べられないので、おかずをつまみにビールを飲み、〆は焼きそばでした。
初日の夕方、「サンチャゴ要塞(Fort Santiago)」を見るためにホテルを出ました。ガイドブックの地図によるとチャイナタウンのホテルから目指す場所まではさほどの距離はないようでした。ホテルからは、「パシッグ川(Pasig River)」に架かる「ジョンズ橋(Jones Bridge)」を渡り、川に沿って歩く先が目的の場所でした。
橋を渡っているとき視線の先に要塞と思しきところが見えました。歩くこと10分程でその場所の近くに着いたのですが、入口が見当たりません。仕方なく、周辺をうろうろしていたら、城壁のようなものが見えました。近くに寄って確認するとまさしく城壁でした。そして、その上を人が歩いているのでした。どこかに登り口があるのではと思い周囲を歩くと石造りの坂道がありました。上がってみるとやはり城壁でした。早速、ガイドブックの地図を広げて確認すると、私が居るところは「イントラムロス(Intramuros)」と呼ばれるところでした。↓の地図で太線で囲まれたエリアです。
ウィキペディアによると、ここは16世紀にスペイン人たちによって建てられたフィリピンの首都マニラの最古の地区であり、パシッグ川南岸に位置しています。その名称は直訳するとスペイン語で「壁の内側で」となり、壁で囲まれた都市または要塞を意味し、またその厚く高い壁と堀とで囲まれた構造を言い表しています。スペイン時代には、ここがマニラそのものだと考えられていたようです。
イントラムロス内の多くの建物はコロニアル様式でした。最近建てられたよ思われるホテルもコロニアル風でした。セブンイレブンも街に溶け込んでいました。
ホテルにチェックインした後、真っ先に足を運んだのはスターバックスコーヒーでした。ホテルのフロントの女性に場所を尋ねたらわからないと言われてしまいました。どうやら、スターバックスコーヒー自体を知らないようでした。ドアーマンに聞いたら教えてくれた。流石ドアーマンですね。
ホテルを出て右に曲がった先に、それはありました。
噴水奥左端がスターバックスコーヒーです。右端はタリーズコーヒーでした。間にあったのは、どこかのドーナッツチェーン店でした。左手にはマクドナルドもありました。
看板には漢字の表記もありました。他のエリアでは見かけなかったので、チャイナタウンに近いからでしょうかね。
店の作りは日本と同様でした。
マグカップにスターバックスコーヒーのロゴがありませんでした。なくても困る人はいないのですが。
メトロ・マニラで最初に足を運んだのは、私の旅の定番となっている鉄道駅で、チャイナタウンに近い「トンド地区」(Tondo)にある「フィリピン国有鉄道(Philippine National Railways : PNR)」の始発駅「トゥトゥバン駅(Tutuban Sta.)」がありました。正面から見た駅舎は立派でした。
最盛期には1000km以上もの路線長を誇っていたPNRですが、乗客減による経営不振に加え、地震や台風による天災、施設の老朽化などから近年休廃止が相次ぎ、ここトゥトゥバン駅から「ルソン島(Luzon Island)」南部の「レガスピ駅(Legaspi Sta.)」までの479kmを結ぶ線1本があるのみでした。
それを象徴するかのように、駅構内は閑散としていました。ホームまで行きカメラに収めたかったのですが、ガイドブックには機関区を含む駅構内はPNR本社の許可がないと撮影不可と書かれていたの諦めました。
この駅舎はPNRの本社でした。それが理由なのだかわかりませんが、改札口は駅舎の右側にありました。
ここからホームを見ることができましたが、何故か寂しい雰囲気がするホームですね。ジプニーやバスの利便性が高いからでしょうか。