旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「喜寿同窓会」の同窓生よりカボスが届く

2012-06-06 20:49:14 | 時局雑感

 

 臼杵高校同窓生の「喜寿同窓会」で帰郷したことはすでに書いた。そこでは60年ぶりに会って親しく話し合った人も多くいたが、その中の一人に、臼杵の名産カボスを毎年送ってもらっている青果店の人もいた。奥村青果店の奥村美江さん。
 この店には生前のおふくろが大変なお世話になり、その後もわが兄弟は季節を迎えるとカボスを頼む。もちろん自分の食べる分だけでなく友人知人に送る分も含めて。そのようなことを毎年繰り返しながら、その店を仕切る同級生の美江さんとは、この60年燗言葉も交わしていなかった。ところがこの喜寿同窓会で彼女は私の席に来てくれて懐かしい話を交わした。おふくろのこと…、弟や知人の注文のこと…。
 その場はそれで別れたのであるが、今日、配送品を受け取ると、それは彼女からの直送のカボスであった。もちろん、未だカボスのシーズンではない。送ってくれたのは「ハウス栽培のカボス」であった。さっそく今夜の揚げ物やサラダに、たっぷりと絞って食べた。何とも言えない彼女の温かい心がしみていた。

 すでに書いたように、私はこの喜寿同窓会で卓話を仰せつかったのであるが、それに因んで私の出版書を皆さんに贈呈した。彼女はその中の少なくとも3冊は読んでくれたようだ。カボスの箱から出てきた手紙には、「高校生が酒を造る町」の酒米の品種こと、「旅のプラズマ」の弘田龍太郎のこと、それに「…パートⅡ」の世界の酒のことに触れられてあった。そして「本のお礼にカボスを送ります」とあった。
 加えて最後に、「蛇足で一句」として次の句が書かれてあった。

   姿、形はジジ、ババ、なれど 
   空に吸われし十五の心がよみがえる  
                  字あまり

 彼女と言葉を交わしたことはほとんどなかったが、臼杵高校で“十五の春”を共にした。はるか北の東北は盛岡で、時は違えど石川啄木は、「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」と詠んだ。彼女は、私が大好きな啄木の、中でもこの歌が大好きであることを知っていたのであろうか?
 喜寿を迎えて初めて知る「同窓の心」であった。

  
  麦秋のふるさと臼杵(2012.5.22撮影)


84歳、岩森榮助バリトンリサイタル

2012-06-04 20:18:38 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨日、岩森榮助さんのリサイタルに招待されて千駄ヶ谷の津田ホールに出かけた。
 実にご本人25回目のリサイタルであった。前回は傘寿を記念して4年前に開かれた。日本歌曲を中心にした非常にさっぱりしたリサイタルで、アンコールの最後に歌った石川啄木の『初恋』の印象を含め、このブログの2008年10月3日付けで書いた。その時の参加者の声は、「80歳でこれだけ歌えるのはすごい。しかしいくら岩森さんでも、今回が最後であろう」というものであった。
 ところが先日、リサイタルの案内状を受けて驚いて出かけた次第だ。しかも今回のテーマは、シューベルトの『美しき水車小屋の娘』。このメンタル性に富むな歌曲に、84歳になってなお取り組もうというところに、芸術家としての執念を感じた。

 さすがに、声に従来の響きはなかった。しかし、全20曲、途中休憩することもなく1時間10分、歌い続けた。何とも誠実に歌い終えた、という印象は地味な岩森さんの姿をいつまでもとどめることとなったであろう。
 聞けば、毎日4時には起きて(これは年寄りだから目が覚めるのかも知らないが)、周囲を何時間も歩き体を鍛え続けているという。歌の練習はもとより、ここまで来ると体力、体調の維持が勝負かもしれない。
 どんな芸術も人間の力の発揮からしか生まれない。そのことを強く感じさせられたリサイタルであった。


民主党の体質

2012-06-03 21:14:07 | 政治経済

 

 昨日のこの稿で金権体質の小沢元代表は民主党の体質と合わない」と書いた。しかしそれは、先の総選挙で国民が民主党に求めた体質を前提にしたものであった。それは少なくともヨーロッパ各国(除くイギリス)の中道右派的、いわゆるリベラル派的体質で、その前提には当然「脱自民」があった。
 しかし政権獲得後の民主党の実態を見ると、いわゆる保守政党の域を出ず、自民党と全く同質のものであることが分かった。民主党の中には昔の社会党員もたくさんいるが、輿石氏にせよ仙石氏にせよ、その言動を見ると中道右派も通り越して保守党の域に達している。日本はアメリカ、イギリスと同様、保守2大政党制に移行しようとしたのだ。それも民主党の失政で崩れ去ろうとしているが。

 ヨーロッパの政党を分類すると、左から「左翼、中道左派、中道右派、保守、極右」となるのではないか。そして中道左派と中道右派が主流を占め、それに保守や極右が絡みながら連立が組まれ運営されている。日本も民主党政権の出現でヨーロッパ的になっていくかと思ったが、上記の通り民主党は保守党であった。中にはいわゆるリベラル派と思えるような人も居て、マニフェストの中にはリベラル色の濃いものも出されていたが、それらはほとんど実現されず、追求されることもなくマニフェスト自体が消え去ろうとしている。政治の流れはそう簡単には変わらないことを痛感している。

 民主党が保守政党ならば、小沢一派が居るのは当然ではないかともいえる。そのとおり大勢力を誇って居座り、小沢氏は民主党を自分の政党だと思っているだろう。ただ同じ保守であっても少なくとも脱自民、その一メルクマールである脱金権体質ぐらいは国民は期待した。ところが、そのもっとも自民党的、もっとも金権体質的な小沢一郎という人物が大きな影響力を持っているところに違和感を感じているのだ。
 それが民主党なんだ、と言ってしまえば何ともつまらない議論であるが…。
 そんなつまらない議論をしたくなるほど、最近の政治はつまらない。


不可解な民主党の小沢元代表に対する対応

2012-06-02 13:02:06 | 政治経済

 

 民主党野田政権の小沢元代表に対する対応は、最近いよいよ不可解さを増してきた。一国の首相が自分の党の一党員と会うことが、マスメディアのトップ記事として騒がれること自体が異常である。
 それぞれの組織内に様々な意見があるのは当然であろう。それが議論を重ね一つの結論に達したら、反対意見の者もそれに従うのは小学校の学級会を見るまでもない。もちろん政治家たるもの小学生のようにはいかず、曲げられない自論があるというのならば潔くその組織を去るべきであろう。自分の党をつくるもよし、他の同志と行動を共にするもよいだろう。
 ところが小沢元代表は民主党を去らない。おそらくこの党を利用して権力を手に入れようとしているのであろう。他党や新党よりもやり易いと思っているに違いない。つまり民主党はなめられているのであろう。ところがそのなめられた野田首相も簡単に元代表を切らない。こちらも元代表を何とか利用して権力を保持しようとしているのか、と思わざるを得ない。とすれば、「政治生命をかけている」なんて聞いてあきれると言わざるを得ない。

 私はこのブログで、何度も「小沢氏を抱えることは民主党の不幸である」と書いてきた。民主党政権を生んだ国民の希求は、自民党政治に飽き飽きして、「少しでも新しい気風で政治を革新してくれ」ということであったろう。ところがその中で一大勢力を占めた小沢元代表は、自民党の中でも最も自民党臭く、“数と金で権力をほしいままにする”金権政治家の典型であった。それを内部に抱え、しかも幹事長など党の要職に据えていては、国民の希求であった自民党政治からの脱却、新しい政治の創造などできるはずはないからだ。(私は小沢氏を無能な政治家などと言っているのではない。民主党とは体質が違うので、しかるべき政党かグループで活動したら…、と言っているのだ。もちろん、そう甘くないのが小沢氏の体質だろうが。)

 ところが、(鳩山政権は別として)管政権も野田政権も、これほど政策も体質も違う小沢元代表を切ることなく、国民不在の党内抗争に明け暮れている。支持率が下がっていくのは当然であろう。
 反面、自民党も当然のことながら支持率を下げている。そもそも賞味期限が切れているにもかかわらず、低次元な閣僚のミスに付け込んで首のすげ替えを迫ったり、審議拒否をしてみたり、およそ代わり映えしない政治手法しか見えないのでは、支持率低下もやむをえまい。
 さて国民は何処に行けばよいのか?


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