旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「美の理想」展を観て

2012-06-13 14:28:20 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 渋谷の東急文化村で開かれていたこの美術展をようやく見た。6月10日までのところ、8日に滑り込んで…。3月31日から始まっていたのだからもっと早くゆっくり見ればいいものを、いつもの例で慌ただしく駆け込んだ。
 レオナルドが女性美をどのように追求したかが中心テーマで、中でも『ほつれ髪の女』がハイライト。そもそも「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」となっているが、レオナルドの絵と称されているものは、『ほつれ髪の女』、『岩窟の聖母』、『衣紋の習作』など数点しかなく、その『岩窟の聖母』もいくつかのバージョンの一つで「カルロ・ペドレッティ説」となっていた。従ってレオナルド以外の「女性美に関連する絵…資料(?)」が数多く展示されていた。たとえば『モナ・リザ』だけでも『裸のモナ・リザ』を含め十数枚掲げられていた。その真筆はパリのルーヴル美術館に鎮座しているのであろうが。
 そもそもレオナルドの真筆は、残っているものでは『岩窟の聖母』のほか『最後の晩餐』、『モナ・リザ』、『聖アンナと聖母子』など10点あるかないかとさえ言われている。(もちろん、一部のデッサン的なものはたくさんあるのだろうが)  ただそれがいずれも絵画史上最高の傑作とされているので、彼は間違いなく史上最大の画家であろうが、彼はその他の分野の方がはるかに多くの業績を残している。
 そもそもフィレンツェのメディチ家がミラノのスフォルツァ家に彼を推薦したのは宮廷音楽家としてであったというし、彼自身の自薦状には、自分の得意分野として「橋梁、艦船、隧道、有蓋戦車、臼砲、大砲、野砲、火砲、投石砲、建築、水理工事、彫像」などをあげていたという。(高津道昭著『レオナルド・ダ・ヴィンチ鏡面文字の謎』34頁)。彼はその他、解剖学、数学、物理、天文学などを含め多くの「手稿」を残している。その数は2万枚に達したという説もあり、残っているものでも5千枚あるという。つまり絵画の比ではなく、彼は画家でもあったが、戦争屋であり、建築家であり、解剖学者であり、あらゆる分野の学者であったのだ。

 どうもこのような人間の存在は御しがたい。彼は「絵画は哲学であり科学である」と言ったそうだが、彼にとって事業家や学者として残した「手稿」も作品も、真筆とされる10枚前後の絵画も、同一線上のものとして処理されたのかもしれない。
 それにしても『岩窟の聖母』はきれいで心が洗われる思いであったし、『ほつれ髪の女』何とも言えず蠱惑的でった。

   
   記念に購入したマウスパッド「岩窟の聖母」とマグネット
 「ほつれ髪の女」

 

 

 


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