旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

思い出深き「高校生の造った酒」

2010-06-06 13:46:10 | 

 

 あまり知られていないが、つい先年まで新潟県吉川町(現上越市)の吉川高校には醸造科があり、高校生が酒を造っていた。日本唯一の高校醸造科として、また日本酒造史の上からも非常に貴重な存在であった。
 因みに吉川町というのは、新潟県南西部の頚城平野のど真ん中にある町で、米の生産地、中でも新潟が誇る酒米「五百万石」の生産地である。その上、酒つくりに欠かせない杜氏の町で、つい10年ぐらいまでは100人近い現役杜氏が住んでいた。つまり吉川町は、酒の原料たる酒米の産地、酒を造る杜氏の里、加えて全国唯一の高校醸造科を有して酒造界の後継者を育てるという、正に酒の申し子のような町であった。

 私は、その魅力ある町にひかれ、数年に及ぶ取材を重ねて『高校生が酒を造る町』という本を出した。200010月のことであったので、既に10年前のことである。しかしその頃から醸造科の応募者は減り続け、2004年を最後に募集を打ち切り、2007年をもって醸造科は閉科となった。日本は偉大な歴史的文化的遺産の一つを失ったと思っている。
 その最後の高校生が造った貴重な酒を、吉川町の友人に頂き昨夜飲んだ。それは決して美味しい酒とは言えないものであったが、私の脳裏を様々な思いが過(よ)ぎった。私は前掲の自著をめくりながら、櫂棒をかきまわす高校生の写真や、彼らが修めるカリキュラムなどを追った。中でも最後の卒業生たちは、どんな思いでこの酒を造ったのであろうか・・・と思うと切なさが胸をふさいだ。

 もう一つ。私は「それは決して美味しい酒とはいえない」と書いたが、実はこの酒は正確には清酒ではない。原材料には「米、米麹、醸造用アルコール、酸味料」となっており、現在の基準では清酒を名乗れない。瓶には正しく「雑酒」と表示されている。
 問題は、どうして高校生に「清酒」を教えなかったのだろうか? 純米酒とまでいかなくても、せめて「清酒を名乗れる本醸造」を教えなかったのだろうか? と言うことだ。そばで聞いていたオペラの宣伝活動をやっている娘が、「オペラ歌手にマイクを使わせて歌わせるようなものだ」と言っていたが、その通りだ。オペラ歌手の声を鍛えようとすればマイクを使ってはだめなように、混ぜ物で増量したり味をつけようとすることで、よい酒が出来るはずはないのではないか。それこそ教育の原点ではないのか?
(吉川町の人には申し訳ないが、今の教育の問題点を指摘する意味で、思いのままを書かせてもらった)

   


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