気がつかないふり、というより意識的に無視して、このブログでふれるのは止めようと思っていたのだが、実は、この23日は74歳の誕生日であった。74歳のじい様の誕生日などは、そもそも様にならない。米寿(88歳)とか卆寿(90歳)とかとなれば希少価値も含めてお祝い気分になるのであろうが、70歳前半などは中途半端に元気もあるし、周囲にウヨウヨ居るので値打ちも無い。
前月の定期健康診断でも、特に悪いところは無かった。ただ、明日死んでもおかしくないとも思っている。毎日の通勤で、駅の階段を下りながら「いつの日か、この階段を転げ落ちて死ぬのではないか…」と常に思う。特に、大江戸線など新しい地下鉄の“奈落の底”に落ち込むような深い階段を下りるときは、何時もそう思う。
今日の健康診断で「特に悪いところが無く」ても、明日「癌の宣告を受け」て何の不思議もない年代だ。それくらいは当然だし覚悟もしている。そのような人間の“誕生日”など、いかほどの意味があるのか……?
ところが、ワイフと娘が義理堅くプレゼントをくれた。高級感のある素敵なシャツと、楽譜をあしらった粋なネクタイであった。どちらも74歳には勿体ない「若さ」を感じさせるものであった。ワイフも娘も、未だ私を若いと思ってくれているのかもしれない。
明日死んでもおかしくないが、今日は「若く、元気に」生きるべきであろう。
来月ワイフと行く長崎旅行には、このプレゼントのシャツを着て行こう。
それより明日は、この楽譜のネクタイをつけて出社しよう。