旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

新しい息吹を感じた純米酒フェスティバル

2009-04-13 15:44:38 | 

 昨日、2009年春純米酒フェスティバルを無事終えた。主催者の一人としてホッとしている。2000年春に発足し、年2回春と秋に開催して10年目に入り、昨日の会は19回目にあたる。秋の満10周年、20回目はどのような記念フェスティバルにしようかと思案している。
 参加者も年々増加し、昨日は750人ずつ2回で計1400人となった。その他、夏に大阪で開催(今年は7月に名古屋で開催予定)しているので、この10年間にかなりの人たちに純米酒の良さを普及してきたと自負している。

 いくつかの新しい息吹も出てきた。昨日出展の51蔵のうち30%近い14蔵が初出展であったことだ。毎回平均50蔵に出展していただくが、初参加はせいぜい78蔵どまりであったが急激に増えた。過去19回、一貫してご出展いただいた蔵もたくさんあり、そのような蔵の力強いご支援のおかげで10年も続いてきたのであるが、新しい蔵の参加が続くことなしに運動の発展はありえない。
 まさに「古嚢(古い皮袋)に新酒を盛る」思いであった。

 また、その新しい出店蔵の大半が500石以下の小蔵であったことも特徴的だった。一番小さい蔵は年間生産量50石であった。最近、100石、200石の蔵が、まさに手塩にかけた良酒を造って人気を博している例が多い。昨日の各蔵も、いずれ劣らぬ名酒を提供してくれた。うれしい限りで、心から喝采を送る。

 青い目の酒造家の蔵が2蔵出展いただいたのもうれしかった。桝一市村酒造と木下酒造だ。桝一はセーラ・マリ・カミングスさんというアメリカ女性が代表取締役を勤める蔵で、木下酒造はフィリップ・ハーパーというイギリス男性が杜氏を勤める。
 セーラさんはペンシルベニア大学を卒業後、翌年(平成6年)には長野の㈱小布施堂に入社、桝一酒造場の再構築にたづさわり、同社の取締役営業部長からついに代表取締役となった。今や小布施市町興しの中心人物である。
 ハーパー氏は語学教師として来日したと聞くが、奈良の「梅の宿」を皮切りに日本酒の魅力につかまり南部杜氏の資格を取得、今は京都府丹後市の「玉川」という酒を造る木下酒造の杜氏を勤める。濃醇で味のある酒を造る。

 いつの日か二つの蔵を回り、「青い目の酒つくり」が何を目指しているのかを聞いてみたい。特にハーパー氏は、醸造酒では「リアルエールビール」、蒸留酒では「スコッチウィスキー」という誇り高き酒を持つイギリスを離れて来たのだ。ぜひ聞きたい。
                            


24節気の酒――清明

2009-04-11 13:36:23 | 

 24節気の清明は4月5日であった。それに6日遅れで触れるのには理由があった。実はその前日、4月4日の午前7時50分に母が95歳の天寿を全うして他界した。その日、急遽ふるさと臼杵に帰ったこともあり、このブログも一週間の喪に服したというわけ。

 それはさておき…、24節気の中でも清明というのは意外に知られず、意味も難しい。前にも引用させていただいた㈱アイティビイ社の『言の葉草』によれば、「万物発して清浄明潔なればこの芽は何の草としれる也」とある。春分を過ぎ、春は盛りを迎え万物咲きにおい、それぞれが明確にその個性を主張する様を表現しているのであろう。そして、その時期の食材の第一に筍があげられている。
 そういえば、母の葬儀を終えた翌6日に、従妹が「裏の竹山から今掘ったばかりのタケノコよ。食べて、食べて…」と持ってきてくれた筍は美味しかった。その柔らかさ、新鮮な香り、ほのかな苦味…、旬のものには何物も勝てない。

 私はその旬の筍をふるさと臼杵の酒「一乃井手」特別純米酒などを飲みながら食べた。これはこれでたまらなくマッチしたが、私が清明とともに思い出すのは”花の名前の酒”だ。春の花でも梅なら「臥龍梅」や「利休梅」など、桜なら「出羽桜」や「四季桜」などたくさんある。
 しかし私が清明に最もふさわしいと思う”花の酒”は、秋田は日の丸醸造の「まんさくの花」である。まんさくの花は早春に一番先に咲く花であるので、4月5日ごろの清明より早い時節の花だ。だから正確には清明の花ではないのだろう。しかし、まだ残雪の残る中に、凛々しく咲き誇る黄色いまんさくの花に、私はなぜか清明を感じるのだ。
 そして何よりも、この蔵の造るキリッとした純米吟醸の味が、清明そのものだといえよう。
                         


日の丸醸造のお座敷で(肩にかかるのが「まんさくの花」)

 


佐倉を訪ねる――桜より文化に感嘆

2009-04-03 10:37:03 | 

 日蘭協会の下部組織にデ・リーフデ会というご婦人方の会がある。毎年いろんな旅行や催しを計画し、楽しい会を運営している。昨日その「佐倉、桜ツアー」に参加した。実はご婦人の会であるので男は禁制と思っていたのだが、メンバーであるワイフの話では「是非とも男性も」というので参加した。日蘭協会員であるので参加資格はあるようだ。全46名中男性は私を含め二人、並み居る女性郡に「Tow special gentleman」と紹介された。

 それはさておき、4月2日ということで桜の満開を期待しての参加であったが、朝から強風が吹き荒れ真冬の寒さ、”2,3部咲きの木枯らしの桜”と相成った。ただ、それをはるかに上回る”佐倉市の文化”にふれて大満足であった。
 日蘭協会が訪問先に選ぶだけあって、佐倉はオランダにかかわりを持つようだ。詳細ないきさつを聞き忘れたが、印旛沼の堤防の桜並木のそばには「デ・リーフデ」と名づけられた大きな風車が建てられ、その周辺にチューリップ畑が広がり、4月11日は”チューリップ祭り”が開催されるそうだ。
 また大日本インキの創設者が残した「川村記念美術館」は、アムステルダム郊外にある「クローラー・ミューラー美術館」を模したそうで、木立を抜けるアプローチから、館周辺の広々としたお庭や池のつくりなど、何年か前に訪れたクローラー・ミューラ美術館を髣髴させた。実に素晴らしい雰囲気で立ち去りがたい館があった。

 また「国立歴史民俗博物館」では、豊富な錦絵の歴史に触れたし、そのほかにも「市立美術館」や「塚本美術館」など、佐倉はミュージアムの宝庫のようだ。是非再訪したい町だ。
 どうしてこのような文化町が育ったのか? その一因に、江戸時代の佐倉藩11万石の老中土井利勝の善政があったようだ。武家屋敷を見学させてもらったが、よく保存されておりガイドの方々もよく勉強されているのであろう、わかりやすい説明であった。

 全てはその地に赴いてこそわかることで、旅の楽しさがそこにある。また是非行こう、とワイフと何度も話し合った。
                            


国立歴史民俗博物館

 

 

 


原点に立ち返った農業--農業家K氏の視点

2009-04-01 14:57:22 | 政治経済

 秋田県鹿角市で農業を営むK氏の話を聞く機会を得た。今年還暦を迎えたK氏は、実は7年前から農業を始めた。永年自動車セールスなどのサラリーマンを続け、定年退職を機に、かねてから思いを温めてきた米つくりを始めたのである。
 秋田に、米を中心にした秋田の産物を都会に届け、代わりに都会の人に秋田に来てもらいたい(旅してもらいたい)という目的で設立された「こめたび」という会社がある。そのこめたび社が米を仕入れる7人の契約農家の一人がこのK氏である。こめたび社が売る米の中では最も値段が高いが、最も人気のある米の一つである。
 10人ぐらいで夕食を共にしながらのK氏の話には、学ぶべきことが山ほどあったが、特に心に残ったことだけ記しておく。

 日本の食糧自給率問題など、今後の日本農業にさまざまな不安を抱く私は、かねてより疑問に思っていたことを質問した。つまり「経済のグローバル化の中で、大規模農業で合理化を進めるアメリカなどに対し、日本の小規模形態の農業では勝てないのではないか?」という、よく言われる疑問である。
 これに対しK氏の回答は明快であった。
 「大規模企業が良い物を作っているのではない。日本の自動車は世界に冠たるものであるが、それはトヨタが作っているのか? そうではない。中身は、下請けの何万という中小零細企業が作っている。高い技術力はその零細企業に蓄積されているのだ。」
 「広大な土地に機械技術で作るより、日本の段々畑で丹精こめて作ることが大切だ。そこに日本農業の値打ちがあり、良い米を作れば高価でも必ず売れて競争にも必ず勝てる。」

 もう一つ私にとってうれしい発言があった。「日本酒を飲みますか」という私の問いに対して、
 「はい、酒は好きです。しかし純米酒しか飲みません。清酒とは“清い酒”・・・、混ぜ物が入っていてはいけません。」
 という言葉が返ってきた。日本酒の原点である米つくりの、その原点に立ち返った人の発言だけに重みがあった。

 さまざまな疑問が吹っ飛んだような、何ともすがすがしい一夜であった。
                             


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