旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

捨てられないものの基準

2008-04-08 22:18:59 | 時局雑感

 

 わが書斎の大模様替えの最中にある。とってもブログの投稿などしている暇はない。なにせ、10年も20年も開くことのなかったダンボールを開け、極力なかの物を捨てることに努めているが、それがなかなか捨てられない。全てを捨てることが出来ないならば、整理したことにならず、この模様替えの計画は失敗に終わる。
 前回書いたように、大きな本箱を一つ購入したのでこの機に他の部屋などに間借りしていた私のものを全て集めて、「自分のものは自分の部屋だけに仕舞う」というのがこの模様替えの趣旨であるからだ。ワイフや娘の厳命と言ってよい。
 しかしなかなか捨てられない。いろいろ広げて読み始めると、一つの紙袋ですぐ1時間は経ってしまう。だから本当はこんな投稿などしている暇はないのだ。
 唯一つ・・・、物を捨てる基準は、そのものの値打ちにはほとんど関係ない、ということに今更ながら気がついたのでそれだけを書いておく。捨てられない基準はそのものの値打ちより、「思い出とどれだけ結びついているか」にかかる。たった一枚の紙切れが、あの旅の、あの店の、あの人の思い出に結びついているとき、その紙切れを捨てることは出来ない。
 そして今まで何らかの理由で保存してきたものは、何らかの思い出と必ず結びついている。
 だから困っているのだ!
                             


衝動的な部屋の模様替え

2008-04-06 11:16:22 | 時局雑感

 

 前回書いた「神田川の花見」のついでに、高井戸リサイクルセンターに立ち寄り格好な本箱を見つけた。本は極力捨てるようにワイフに言われているが、どうしても捨てきれない本や書類が累積して、わが書斎は物置同然になっている。
 この際、その本箱を買って整理しようと突発的に思い立ち、衝動的に購入した。ちょうど次の日からの土・日曜にかけて部屋の大幅模様替えに取り組み整理しようと思ったのだ。早速昨日の朝から整理にかかり、本箱の到着を待ったが、運搬人の手不足で配達は月曜日の夕刻ということになった。
 自分の部屋からとなりの寝室、はては娘の営業場である音楽室まで本や書類を持ち込み、本箱が到着しだい片付けにかかる予定であったが、3室に散らかした時点で先に進めなくなった。しかも私は、今日(日曜)の夕刻から名古屋出張で、本箱の到着する月曜日午後5時は,名古屋から新幹線に乗り組む時間だ。家には8時しか帰宅できない。
 8時に帰宅して夜を徹して片づけをしないと寝室も音楽室も片付かない。どうなることか先行き不透明だが、入れ物(本箱)が来ないことには整理の仕様がないので、今は手が空いているが為す術がない。

 衝動的な行動には、このような結末がつきまとうものだ。70年以上生きて、ずいぶん経験してきたつもりであるが、その過ちを繰り返す。それが人生かもしれない。
 しかし、考えてみれば世間は年度初めだ。いわば模様替えの時節だ。とすれば私の行動も、それほど衝動的なものでもなかったのかもしれない。
                            
                


散り急ぐ桜、サービスの良くない飲み屋・・・

2008-04-05 14:58:13 | 

 

 久しぶりに帰ったふるさと臼杵の桜は4、5分咲であったし、帰京すると東京の桜は満開を過ぎていた。とはいえ雰囲気でも味わおうと、昨日夕刻からワイフと出かけ、すぐ近くの神田川沿い(浜田山から高井戸にかけて)を歩いた。
 散り急ぐ桜はまさに「桜吹雪」の有様で、神田川に散った花びらは、美しい「花筏(はないかだ)」となってどこまでも続いていた。満開に向かうときのウキウキする風情はないが、これもまた日本特有の美しさだと思った。
 とはいえ、花の散るのはどこかさびしい。少し景気をつけるか、と某居酒屋に入った。桜の季節のハナ金とあって、これから予約客が多いので・・・と奥の静かな部屋に
通された。
 なかなかいい雰囲気で、他の客もなく落ち着いて飲める雰囲気だ。九州は八女の名酒「繁桝」などあるのでそれを頼み、料理は「刺身盛り合わせ」「真鯛のカルパッチョ」などに、ワイフはお腹が空いたと「焼き鳥」と「沖縄焼きそば」などを注文した。
 ところが・・・、酒だけは来たが料理が一向に来ない。繁桝一合を飲み干したが、頼んだ料理が来ない上に店の者が顔も出さない。ようやく来たと思ったら「焼きそば」だ。一番最後に食べようと思っていたものが最初に来た。「刺身はどうした」と問うと「今もってきます」と引っ込んでなかなか来ない。しかたなしに焼きそばで名酒を飲む。
 二本目の酒を持ってきたあとに、ようやく刺身が出てきた。そのときには、刺身とともに飲みたいと思っていた酒は一本半が空いていた。やがて「真鯛のカルパッチョ」が出てきたので、グラッパ(イタリアの焼酎)の代わりに焼酎を飲みたくなり呼び鈴を押すがなかなか出てこない。カルパッチョが半分ぐらいなくなったときにやっと「遅くなりました」と注文取りに来た。
 さすがに気分を害し、「この店はいい店だが、こうサービスが悪くてはとても飲めない」と、いろいろ食べ残したまま店を出た。

 飲み屋の良し悪しは、雰囲気も、酒も、料理も良いことが条件となるが、何よりも大事なことは「客が何を求めているかを敏感に掴み、それに的確に応える」ことが出来るかどうか、にかかっていると思う。日本酒とともに刺身を注文した客に、それを出すタイミングを失するような店は、まず居酒屋とか割烹とか名乗る資格はないのではないか?
 それは客の身勝手だと言うのなら、そんな店には二度と行かないだけである。
                             
                                            


大分の酒(2)--焼酎

2008-04-03 16:34:41 | 

 

 臼杵の酒から大分県の酒について触れたが、大分といえば、というより九州といえば焼酎に触れないわけにはいかない。
 九州は気温の関係から北国に比べて清酒(醸造酒)は造りにくい。気温が高いともろみの発酵が進み、長期低温発酵による吟醸酒のような酒質のよい酒を造りにくい。下手をすると腐る恐れもある。もちろん、現在は冷房設備もよいし、蔵の努力もあって、九州でもすばらしい清酒がたくさん生まれているが。
 だから、もろみの段階から蒸留する焼酎造りの蔵が多いわけだ。宮崎、熊本、大分あたりが清酒造りの南限で、鹿児島には清酒を造る蔵は一軒もなく、専ら焼酎である。それだけ素晴らしい焼酎が多く、これはこれで世界に誇るスピリッツの産地である。

 焼酎は南蛮渡来の酒で、最初は沖縄に伝わり「泡盛」になったと思われる。タイのくず米を原料とするが、今も主原料は米であろう。これが先ず鹿児島に上陸して、その後各地に伝わる中で主原料が異なってくる。鹿児島は芋がたくさん採れるので主原料に芋を使った。熊本は米が採れるので米焼酎が主流だ。宮崎は土地の産物である粟や麦を使い、大分は麦が主流となった。前回触れたように、二階堂の「麦焼酎」が一時全国を制覇するほどにまでなったのである。
 このように、土地の産物を生かしてさまざまなスピリッツを造ったところに日本人の知恵があると思っている。もちろん、清酒メーカーはそれを蒸留して「米焼酎」を造り、全国どこにでも米焼酎はある。

 最近は焼酎花盛りで、大抵の飲み屋では清酒より焼酎の方をメニューの最初に並べている。しかも、黒糖焼酎や泡盛などを加え種類も豊富だ。日本人の知恵花盛りと言うべきだろう。
 
さまざまな食事に合わせて、さまざまな焼酎を飲みたいものだ。
                             


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